(行動療法)自分自身が人生の価値を大切にし、自・他者の評価は弁別的にね(ABA:応用行動分析コラム2)

2020年ももう残り数日ですね。

そして今日はクリスマス。家の冷蔵庫にはスーパーで昨日の夜に買った半額のレッグチキンが2本丸々、あと、昨日の食べ残りの洋食オードブルも入っているね!


今日はお休みだったので、朝からお部屋の掃除をして、外を少しお散歩していました。

「ABA:応用行動分析コラム2」の内容は実はもう別で書き上げていたのですが、

散歩をしながら思いついたテーマで書いてみたいなと思い、その記事をコラムの2番目にしようと思い、今、書いています。


今日書きたいなと思った内容は「親御様自身が人生の価値を大切にし、自分自身や他者からの評価は弁別的に見る」ことは大切、というお話です。

このブログはABA自閉症療育についてのブログなのです「親御様」向けの内容で仕上げていますが、

これは自分自身が悩んだり、辛かったりするときにもこのような考え方や見方をすることは大切なのかな、と思いってる内容となります。



悪いところを改善しよう、も良いけれど、あなたの人生の価値に目を向けてね

私が学生だったころ、もう10年くらい前です。

心理学にはいろいろな派閥があるのですが私は「行動療法」という理論、技法を扱う派閥の先生からご指導を受けていました。


山上 敏子 (2007) を参考にし作成し作成したイラスト

イラストは山上 敏子 (2007) を参考にし作成しましたが、実はABAも「行動療法」という大きな支援枠の中にある理論の一つです。

当時「行動療法」と「認知療法」のテクニックを合わせて支援を行う「CBT:認知行動療法(Cognitive-Behavioral-Therapy)」がかなり注目を浴びていたことを記憶しています。

例えば「行動療法学会」という学会が「認知療法学会」と合同で「認知行動療法」の学会を開催しだしたのも私が学生の時期でした。


もし間違っていたら申し訳ないのですが、私が学生の頃にCBTへ持っていた治療の方向性イメージは以下のようなものです。

うつ病、不安障がい、パニック障がい、強迫性障がい、摂食障がいなど幅広いニーズに対応可能で、それらの疾患から受けている苦痛などを和らげるエビデンスがある

この「苦痛などを和らげるエビデンスがある」という点ですがABAの最新カウンセリングでは少し違った方向づけで支援を行なっていきます。


ABAの最新カウンセリングテクニックとは何ですか?

と聞かれると「ACT:Acceptance and commitment therapy(アクト)」や、個人的に興味が強い「臨床行動分析(Clinical Behavior Analysis)」などがあります。

これらは「第三世代の行動療法」と呼ばれるグループに属するものと言えるでしょう。


Enせんせい

私が学生時代、CBTがものすごくフォーカスされている中で、ちょっと出てきたのが「第三世代の行動療法」と呼ばれるグループ

私はCBTよりもこちらのグループに興味を持ち、勉強して行きました


最近耳にする「マインドフルネス」という言葉もACTが心理療法のフィールドに持ってきたイメージがあり、

私が学生の頃にはもう「マインドフルネスはどうやら心的な苦痛を減らす」という話がありました。

「第三世代の行動療法」と呼ばれるABAの最新カウンセリングテクニックでは「苦痛を減らす、無くす」ということを目的としないことが特徴的です。

疾病利得(しっぺいりとく)という言葉もありますが、うつや不安が軽減することが必ずしもその人の幸福につながるとは限りません。


「第三世代の行動療法」では、

「あなた(クライアント)自身の人生の価値は何ですか?価値に沿って、生きられていますか?」

ということがテーマで、

苦痛を和らげることを目的とするのではなく、あなたの価値に沿った人生を歩むために、苦痛が障害になるのならば、苦痛を感じながらでも大丈夫なので、あなたの価値に沿った人生を歩めるようにサポートする

という基本姿勢だと捉えています。

「苦痛をなくす」のではなく「価値ある人生を生きる」ことが目的とされるのです。


臨床行動分析お勧めJonas Ramnerö & Niklas Törneke (2008)の本

かなり言葉を操作して支援するカウンセリングテクニックでしょう。

そのため自閉症療育で使用する場合には小学校中学年くらいからで且つ言葉の遅れの少ないお子さんであれば第三世代の行動療法テクニックを取り入れて支援することもあります。


Enせんせい

「価値に沿った人生」と書かれると、大層な夢のような人生を生きろと言われているように感じるかもしれません


ただそういうことではなくて例えば「素敵な母親でいること」や「気遣いができる人になりたい」などでも良いのです。

しかしコツがあって例えば「素敵な母親でいること」という価値のテーマを実現可能な行動レベルに具体化させること。

例えば「家族を支える母親でいる」ために何をすれば良いのかを考え、


・ 子どもが反抗的に接してきても、まずは理由を聞くようにする

・ 3ヶ月計画で子どもに伝えたい、養ってほしいスキルを教えるように計画する

・ 毎日、家族のメンバーに1回は「ありがとう」と言う


など、あなたの価値観に合う生き方ができるように建設的に、どのような具体的な行動をすれば幸福感が増す生活が可能か?を考えること、実践することが大切でしょう。


「辛さ」や「苦痛」にフォーカスすることも必要かもしれません。

でも同じくらい、いや、もしかしたらもっと大切なことは「あなたの人生の価値」に目を向け、建設的な行動を一歩一歩、積み重ねていくことのように思います。

もしこのように考えたことがなかったとしたら、一度試してみて欲しいです。



評価を感じるとき、もし嫌な気持ちになったら、弁別的にみて欲しい

自分自身や他者からの評価は弁別的に見ることは大切だと思います。

例えば私は今日「あー、学生時代楽しかったなぁ。あの頃、楽しいことだけ考えて過ごして、友達と遊んで、良かったなぁ」とお散歩をしているときに頭をよぎりました。

現在の生活に満足していますが大人になり、仕事をしていく中で上手くいかないことやプレッシャーなども感じると、たまにこういうことが頭によぎります。

こういったことはあるでしょうか?昔の思い出に浸ること。

共感できるでしょうか?


さて、私は「あの頃、楽しいことだけ考えて過ごして、友達と遊んで、良かった」と過去を評価したわけですが、本当にそうでしょうか?

タイムマシーンで過去に帰れて学生のころの私にこのセリフを言ったら怒られるかもしれませんね。


Enせんせい

昔の私にタイムマシーンで出会ってそういったら、こんなことを言われるかもしれません


「最近失恋したんじゃ。辛いんじゃ」とか?

「単位落としたら卒業できんし、テスト勉強しなあかんやん。俺あの授業あんまり興味ないから、勉強しんどいけど頑張ってしとんねん」とか?

「バイトしんどいんじゃ。金ないんじゃ」とか?

「今、親友のあいつとうまく行ってないから、ちょっと悩んでますのん」とか?


言うと思いますよ!

つまり私の頭をふとよぎったイメージは美化された過大解釈だろうな、ということも考えました。

学生時代が楽しかったという「評価」が過大解釈されたものだとするとさて、「評価」が過大解釈されることは過去のイメージに対してだけなのでしょうか?


よくよく考えるとわからなくなりますね

そんなことはありません。

例えばあなた(以下の会話文では「母」)が父方の母から「ダメな母親」と思われていると、評価しているとします。

以下の面接内容をみて行きましょう!


私:「どうしてそう思うのですか?」

母:「私と子どもが関わっているとき、見る目がいつも冷たいんです。あと前にもっとしっかりと教えていかないと、とか、叱るときにきっちりと叱らないとダメよ。とか言われたこともあります」

私:「なるほど。お母様はおばあ様から見られる目がいつも冷たくて、おばあ様からみてダメなところも指摘してきたこともあるから、お母様はそう感じられるのですね」

母:「そうですね」

私:「おばあ様から、評価されているところはありそうですか?」

母:「無いと思います。私ともあまり話しませんし、何か言われるときはだいたい、ねぇちょっと母さん。子どもと関わる時はねぇ、とかそういうときですから、関わってこられると少し身構えます」

私:「なるほど」

・・・・・


こういった状況があったとき、もしかするとあなたは「ダメな母親と思われている」という評価を弁別的に捉え直すことができれば、楽になるかもしれません。

私:「次、おばあ様とはいつ会うとか、ありますか?」

母:「明日、遊びに来るそうです」

私:「そうなんですね。プレッシャーは感じますか?」

母:「そうですね」

私:「上手く関わろうと思わなくても大丈夫だと思いますよ。一度、明日おばあ様をちょっといつもよりも観察してみて、笑った瞬間が1回あるかどうか、確かめて教えてくれませんか?」

母:「ええ?観察するんですか?」

私:「はい。話しかけたりとか、特別なことはしなくて大丈夫ですから、いつもよりちょっと注意深く観察、つまり様子をみてください」

母:「・・・わかりました」

・・・・・

そしておばあ様と会った日以降にまた話し合う機会がありました。

母:「んー、おばあちゃん、ちょっと笑っていました」

私:「どんなところで笑っていましたか?」

母:「んー、子どもが私のところに笑いながら寄ってくるときとか、あと、私が子どもを褒めて子どもが嬉しそうにしている時もちょっと笑っていたような気がします」

私:「お母様とお子さんが関わっているとき、見る目がいつも冷たいのに、なぜその瞬間は笑ったんですかね」

母:「んー、もしかすると、子どもが笑っているとき、おばあちゃんも実はちょっと嬉しかったりするのかな?」

私:「孫が嬉しそうだったら、おばあ様も嬉しいのかもしれませんね」

母:「そうですね。あ、笑うんだ。と、ちょっとびっくりしました」

私:「お母さんとお子さんが関わっている中で、お子さんが笑っている瞬間、おばあ様はお母様のことをダメな母親と思っていそうですか?」

母:「んー、ちょっとわからなくなってきました。もしかしたら、私が子どもと仲良くしているときは、思っていないかもしれません」

・・・・・

以上のエピソードは「ダメな母親」という評価を

特定のシチュエーションではダメな母親と思われているかもしれないが、特定のシチュエーションではダメな母親と思われていないかもしれない

と弁別的に切り分けて、客観的に考えていくことを行った内容となります。

評価は過大解釈されがちですが、一旦、立ち止まって現実を客観視し、弁別的にみていくことは実は大切で、このように物事を見ることができれば「どうすれば良いか?」の指針が見えてくるでしょう。


もし、おばあ様との良好な関係を築くことが必要なのであれば?

もうどうすれば(どういうときに)おばあ様が笑っているのかは観察済みなので、お子さんが楽しく過ごせる時間をいかに作ることができるか?と考えれば、

「ダメな母親という評価を覆すためにどうするか?」という具体的な方略が建てられそうに無い目標よりももっと明確な、


・ 褒めることを増やす

・ 抱きしめることを増やす


とか、「何をすればいいの?」が具体的になるでしょう。


Enせんせい

あまり評価は過大解釈せず、ちょっと弁別的に客観的に、

このような見方をしんどくなったときは試してみてはいかがでしょうか?


また仮にセラピストと話す中で心が整理されていき、

祖母からダメな母親としてみられている自分がいたとしても、自分の第一優先の目的はお子さんの成長であるので、祖母が仮に「ダメな母親」と思っていたとしてもその気持ちを抱えながら進んでいく、という選択も有りでしょう。

お子さんにとって祖母との関わりが成長につながるのであれば、お子さんのために賦活される嫌悪的な気持ち(「きっと、祖母は私をダメな母親と思っている」など)を抱えながら、

祖母が上手くお子さんと関わってくれたときは笑顔で「ありがとうございます」と言うのです。

このような行為を実行していくことも機能的で素晴らしいと思います。



高校時代の思い出

私は高校時代に野球部に属していました。

私の属していた野球部は強く、地区大会で最後の夏は2位でした。

私はベンチにも入れなかったですが練習も厳しく、所属選手の意識も高かったと思います。


高校3年生の頃かな?体調不良で4日ほど学校を休んだんです。

ちょっと今では信じられない流れかもしれませんが全員がしんどい練習に取り組んでいますので、練習に参加せず休むと言うことは、ちょっと気まずい空気感を生み出します。

私自身もちょっと気まずいなと思って体調が回復してから、初めて練習に参加した日の練習終わりです。

なんだかその日、みんながあまり私に話しかけてくれなかった気がして落ち込んでいました。

その日の練習終わり、その日は休日で夕方まだ空が明るい間に練習はたしか、終わったと思います。

仲の良い野球部の友達とグランドの石灰とかが入っている小屋の前に2人で座ってから、話をしていました。


私:「いや、なんかやっぱ休んだら、ちょっとなんか冷たい感じなるんか?」


と私は友達に相談していました。

30分ほど話したでしょうか?

話している間、部員は結構、私たちが座っていた石灰が入っている小屋の前を通り過ぎます。


私:「・・・・・」

↑↑↑ちょっと落ち込んでいる

友:「帰ろうか」

私:「んー。そうやな」

友:「お前、気づいてなかったと思うけど、(石灰の小屋の)前みんな通るやつ、俺じゃなくてみんなお前に話しかけていってたやろ?やし、大丈夫やで」

と言ってくれました。


私は「休む = なんか悪いことで、嫌われるかも」と言う評価、思考に占有されていたので気がつかなかったのですが確かに・・・石灰の小屋の前を部員が通るとき、

※ (私)は私の名前


部員A「おっ、(私)サボってんのか?(笑)」

部員B「(私)はまだ帰らへんの?」

部員C「今日熱いな(私)、ほなまたなっ」


など・・・、思い返せば確かに、、、。

私は落ち込んでいたので「ん?」、「おお」、「あぁ」、「おう」とか、なんか空返事しかできなかったですけれどね。


友達から気付かされたときすごく元気が出ましたし、感謝もしましたし、何よりも嬉しかったです。

こういうことに気がついて、どんどんと周りの人を受け入れることができるようになれることは、個人的には幸せなのかもと今考えています。



さいごに

「親御様自身が人生の価値を大切にし、自分自身や他者からの評価は弁別的に見る」というテーマで書いてきましたが、

ABA自閉症療育の主役は子どもかもしれませんが、親御様のあなたも主役ですよ!

もちろん、兄弟の二郎くんも三郎くんも、大切なパートナーも、親しい友達も自分自身の親も、全部大切であなたを取り巻いてくれています。


ABA自閉症療育で私自身は「家族全体」の幸福度を考慮して療育やってくれという立場です。

2020年ももうすぐ終わってしまいますが、今日はメリークリスマス!


2020年ももうすぐ終わりますね!
今年最後のクライアント様にもいってきましたが「良いお年を!」


【参考文献】

・ Jonas Ramnerö & Niklas Törneke (2008)The ABCs of HUMAN BEHAVIOR:BEHAVIORAL PRINCIPLES FOR THE PRACTICING CLINICIAN 【邦訳: 松見純子 (2009)臨床行動分析のABC,日本評論社】

・ 山上 敏子 (2007) 方法としての行動療法 金剛出版