不安と恐怖の違いは?今私の思っている不安や恐怖との付き合い方、対処(ABA:応用行動分析コラム46)


Enせんせい

ABA応用行動分析コラム46は「不安と恐怖の違いは?今私の思っている不安や恐怖との付き合い方、対処」というタイトルで書いていきます


不安や恐怖についてはいろいろな考え方があるかもしれませんが、今回はコラム記事なので「あーそういう考え方もあるな」というくらいの気持ちで見てもらえると嬉しいです。


あなたは不安はありますか?

また恐怖はあるでしょうか?


不安や恐怖が多すぎるとまいってしまいます

最初に不安や恐怖は決してネガティブな側面だけを持っているものではありません。

例えば「恐怖」がなければあなたの死亡確率は上がってしまう可能性があります。

「恐怖」を感じなければ遠方までどんどん泳いでいってしまうかもしれませんし、真夜中に1人森に入って行くことも躊躇わないかもしれません。


このように考えれば「恐怖」は生存確率を上げる必要な生態機能です。

同じ様に「不安」もそのような側面を持つことでしょう。


しかし「恐怖症」や「不安障がい」などという言葉がある様にこられが過度に働きすぎてしまうと生活に支障をきたしてしまうことも事実です。

「恐怖症」や「不安障がい」などというレベルまで行っていなくとも、日常生活の中でこれらに悩まされることでQOL(Quality of life:生活の質)が低下してしまっている人もいるかもしれません。


もしあなたの人生の中でネガティブな出来事が生じたとします。

あなたは自身に生じたネガティブな出来事のことで今悩んでいたとして、私がそのときあなたに「今、不安に思っていますか?恐怖を感じていますか?」と聞いたとしましょう。

実はこのとき、あなたは体感として「不安なのか、恐怖なのか」をある程度には区別できるかもしれません。


例えばあなたが交通事故にあって外に出ることが億劫になったとしましょう

このとき「今、不安に思っていますか?恐怖を感じていますか?」と聞いた場合は「恐怖」と答えると思います


例えばあなたが失職し、この先の見通しが立たなくなったとしましょう

このとき「今、不安に思っていますか?恐怖を感じていますか?」と聞いた場合は「不安」と答えると思います


Enせんせい

もしあなたが心理学の専門家だとすれば、このテーマについて相手にされて嫌な質問があるかもしれません

例えば「先生、不安と恐怖は一体何が違うのですか?」という質問です

体感としては何となく区別できるものの、その区別を言葉にして説明する、これは意外と難しいのではないでしょうか?


今回のブログでは不安と恐怖の違いの1つの側面についてご紹介し、そのあとに私自身がどういう形で今後、私自身は不安や恐怖と付き合って行きたいかについて書いていければと思います。


私自身の不安や恐怖との付き合い方


未来と過去から不安と恐怖を分けて考える

私が心理学を学んでいた学生時代、私自身は「不安と恐怖って何が違うの?」、「不安と抑うつって何が違うの?」、「恐怖と抑うつって何が違うの?」など、体感としては分かるもののこれらの違いについて興味を持っていました。

今は自分の答えを持っていますが、体感としては分かるものの言葉で説明するのって少し難しくありませんか?


今回は「抑うつ」はテーマに入れていませんので省きますが「不安と恐怖って何が違うの?」に対しての当時よくあった回答は以下のようなものです。


・ 不安は対象が曖昧、恐怖は不安よりも対象がはっきりしている

・ 不安は見通しがないときに生じる、恐怖は見通しがないというわけではなく対象がはっきりしている


というような内容です。


以上の内容を鑑みると「不安は曖昧で見通しがはっきりしないときに発生する」、そして「恐怖は対象がはっきりしているので曖昧ではなく、その対象が存在する(もしくは存在が予期される)とき発生する」と言えると思います。


Enせんせい

このことは上で出した「交通事故」と「失職」の例に当て嵌めてもある説明可能でしょう


「交通事故が怖い」は文字通り、対象がはっきりしていて、交通事故の生じない場面では恐怖は感じない可能性が高いです(フラッシュバックなどは別)。

「失職」はこの先に自分はどうなってしまうのだろうという将来への曖昧さに不安を感じている、と言う見通し不全が原因になっていると思います。


またもちろん「不安」と「恐怖」が混在することもあるでしょう。

ただこのように分けて考えることが有用である場合もあると思います。

例えば対処の方法も少し変わってくるでしょう。


「不安」と「恐怖」の区分けの参考になるだろうと考えられる文章として以下のものがあります。

例えば三田村 仰 (2017) はパニック症について述べた内容の中で、

パニック発作(もしくは恐怖)は「闘争・逃走」反応とも呼ばれる差し迫った危険に対する緊急性で、現在志向の感情だ。一方、不安とはこれから来るネガティブな出来事に備える未来志向の感情なのだ

と述べました。


この言葉に私はかなりしっくりきています。

恐怖は現実に差し迫ったときにそれから離脱するため生じる感情であり、不安はまだ現実には差し迫っていない曖昧な「何か」に対して生じる未来志向の感情

このように整理すればかなり不安と恐怖について整理しやすいです。


このような見方、面白いです

今回のブログでは不安と恐怖の違いの1つの側面についてご紹介するということをお伝えしましたが、このような現在志向と未来志向という側面からタイトルにある「不安と恐怖と生き方の方向性」について書いて行きましょう。



私はこれから不安や恐怖とどう向き合っていこうか?

Enせんせい

私は(も)自身が「不安」や「恐怖」があったとき個人的には嫌悪的な状況となります


例えば明らかにこれから嫌なことが起こるかもしれないイベント、例えば何か交渉をする必要があって、その交渉に失敗したとき、自分が明らかに不利になるなどの状況は不安だったり恐怖を感じたりする状況でしょう。

そしてその交渉に自信が持てないときなど強まります。

このようなとき嫌悪的です。

朝起きて時間が近づいて行くると、特に寝不足などで体調不良であれば尚のこと、嫌悪感は強まって行きます。


さてこのようなとき、私は自身から賦活される「不安」や「恐怖」を抑えようとすることを努力することをほとんど辞めました。

特に『「不安」や「恐怖」に負けてはいけない、頑張らないといけない』という方向性で考えません。

これらを感じているときは嫌悪的であることがほとんどなので頑張って「不安」や「恐怖」が解消されるのであればやるのですが、

頑張っても残念ながら一時的に「不安」や「恐怖」が解消された気分になることはあるかもしれませんが、結局またそんなに長く無い時間が経てば賦活され、「不安」や「恐怖」のループが形成されてしまうと思います。


この件に関連する、似たような内容については『ABA(応用行動分析)では「怒るな」「悲しむな」はナンセンスですよー情動と行動(ABA:応用行動分析コラム6)(https://en-tomo.com/2021/01/14/aba-column6/)』で書いていますので、興味のある人はご覧ください。


『ABA(応用行動分析)では「怒るな」「悲しむな」はナンセンスですよー情動と行動(ABA:応用行動分析コラム6)』のサムネイル

自然発生する、賦活される「不安」や「恐怖」を自身の気持ちでコントロールしない、これがまず最初に「不安や恐怖とどう向き合っていこう」とするとき私が持つ心持ちです。


また「不安」や「恐怖」や「嫌悪感」を感じる出来事については、私もですし、多分ですがみんなも「考えたく無い」ですよね?

それは多分ですが、考えている時間も気分は暗くなるし、できるだけ思考からもそれから距離を取りたいと思っているからだと思います。

でも個人的に思うのはこれも短期的には気持ちを落ち着かせてくれる可能性はあるものの、結局解決に向かって一歩進んでいるわけではないため、「不安」や「恐怖」のループが形成されてしまう可能性があると思います。


Enせんせい

「じゃあどうするんだ?」と言えば、、、


「不安や恐怖とどう向き合っていこう」とするとき私が持つ行動ですが、『賦活される「不安」や「恐怖」を感じながら渦中に入って行く』ということです。


これが実は不安や恐怖への対策になると思っています。

不安や恐怖を賦活されない(無くす)ようにコントロールすることはできないと思うのですが、これは対策ができないということとは別です。


『賦活される「不安」や「恐怖」を感じながら渦中に入って行く』とき、もちろん良い気分ではありません。

しかし私はできるだけ『賦活される「不安」や「恐怖」を感じながら渦中に入って行く』ということを実践して行くことにします。


これは『賦活される「不安」や「恐怖」があることは仕方がない』とある意味、腹をくくっていることが大切なことなのかもしれません。

もう自分ではそこはコントロールできないのだから、そこをコントロールすることを諦めて嫌悪的な気持ちを持ちながら渦中に入って行きます。


恐怖は過去から来るのだとすれば、前に同じような状況で失敗をした可能性もあるでしょう。

「だから今回も」という気持ちで怖く、この状態は嫌悪的です。

不安が見通し不全によって起こるのであれば、どうなるか分からないというところは最終的には結果が出るまでわかりません。

「この先、何が起こるのだろうか」という気持ちで不安、この状態も嫌悪的でしょう。


さて、ぶっつけ本番で渦中に入って行っても良いのですがよく私が実践するのはロールプレイです。

自発的にロールプレイを実践することも『賦活される「不安」や「恐怖」を感じながら渦中に入って行く』ことだと思います。

本当は目を背けたいし考えたくもないのに、積極的に嫌悪的な状況に自ら飛び込んでいるのにです。

例えば誰か1人みつけ、状況を説明し相手役になってもらって、ロールプレイをします。

ロールプレイの方が良いと思いますが誰も相手がいない、自分で紙に書いて問答をすることも有効でしょう。


ロールプレイを行うと意外に詰まりそうなところが見つかったり、確かにそのように言われたら迷ってしまう、というポイントが出てくるのですが、嫌なことにそのときまた困るので嫌な気持ちが増大します。

ただ1歩進んでいる、このことも事実です。

気分は悪いですけど。


気分は悪いですけど、気分が悪い中で一歩一歩進んでいるのです。

そして、もちろんロールプレイで全てが解消するわけではなく、もしかしたらほとんど「不安」や「恐怖」が解消されなかったとしても、本番に挑まなければいけないときもあります。

結果的にそうであったとしても私はロールプレイや問答はお勧めです。


ロールプレイや問答では恐怖を感じるでしょう。

そして不安も。


Enせんせい

ロールプレイや問答で不安や恐怖を感じるものの1歩進んでいるとはどういったことでしょうか?

ABAの観点からご説明しましょう


例えばロールプレイの利点として、ロールプレイを恐怖を感じながら行えれば、エクスポージャーがかかっているので、目を逸らさずに実践をしていれば恐怖が徐々に低減していく可能性があります。

また見通しも少しづつついていくので、不安も少し軽減されていく可能性があるでしょう。


エクスポージャーについてはブログ内でいくつも記事がありますのでブログ内検索窓から「エクスポージャー」と検索してみてください。

「不安」や「恐怖」などに有用な戦略です。

例えば「(ABA自閉症療育の基礎9)エクスポージャー(曝露療法)(https://en-tomo.com/2020/07/23/exposure-therapy1/)」が見つかります。


「(ABA自閉症療育の基礎9)エクスポージャー(曝露療法)」のサムネイル

また可能であれば充分な時間を取ることも必要です。

そして本番にはしっかり寝る等でコンディションを万全にしておくことも大切でしょう。


また本番中はできれば俯瞰で自分を観察する。

このことも大切でしょう。


不安や恐怖、嫌悪感やイライラした感情、焦りなどが特に本番中は賦活されると思いますが俯瞰で観察しながら、できるだけ冷静に対処するように努めたいです。

毎回毎回このように自分では「上手だな」と思う方法で不安や恐怖に対応できているわけではないと思うのですが、今日書いたこのことを胸に、これからも頑張っていきたいと思います。



なぜそのように思うか?ー人生にリセットはないから

Enせんせい

最後に少しだけなぜそのように思うのかも考えていきましょう


ゲームであればもしかすれば嫌なイベントが生じると感じたとき、嫌なイベントが生じないであろう時点まで戻ってリセットすることも可能かもしれません。

また、嫌なイベントが生じるとわかっていても、嫌なイベントに失敗したときにリセットして成功するまでチャレンジできるかもしれません。

嫌になったら途中でゲームをやることを辞めてしまうこともできるでしょう。

だからゲームではもしかすると、不安や恐怖はリアルほどは感じないかもしれません。


ただ私たちの人生は1回きりでリセット、巻き戻しはできません。

1回のチャンスで今後の方向性が決まってしまうのです。

だから不安になるし、恐怖を感じるのでしょう。


上で、

また「不安」や「恐怖」や「嫌悪感」を感じる出来事については、私もですし、多分ですがみんなも「考えたく無い」ですよね?

それは多分ですが、考えている時間も気分は暗くなるし、できるだけ思考からもそれから距離を取りたいと思っているからだと思います。

と書きました。


だから「ちゃんと考えなければいけない」と頭ではわかっているのに、ちゃんと向き合うことができないのかもしれません。

またときには「別にどうなっても良いし」と、理由づけし、本当に大切なことであっても考えない時間を優先するように行動をしてしまうこともあるでしょう。

しかし残酷なことに確実に時間は過ぎて、本番は訪れるのです。


もしかすると時間経過の中で他の人が解決してくれているかもしれませんね?

それはラッキーですか?

もちろんラッキーなときもあると思います。

私も「良かったぁ」と胸を撫で下ろしたこともありました。

これは決して悪いことではないので、あって全然いいと思います。


ただタイミングや人によっては虚無感や自信を失ってしまう可能性もあるでしょう。

そしてずっとそうだったら?

いつも誰かが助けてくれる。

助けてもらえるように狙って普段から動いていたなら違うと思いますが、そうでなければ、いつもあなたは自分自身ではほとんどのことが解決ができていないと感じるかもしれません。


話を戻してそして本番が訪れたとき。

私たちは本番が訪れるときでさえ「考えたく無い」と思い、当日を迎え不安や恐怖は最大限に大きいものとなった中で、不安や恐怖が強過ぎて「黙っている」とか「他のことを考える」などでやり過ごそうとするとすれば・・・。

もし本番が「人生で大切なこと」であればあるほど、私自身はそれは「最悪」な方略と思ってしまうかもしれません。

自分の人生に真剣になれていない、と、感じてしまうかもしれません。


Enせんせい

私はそれは嫌だと感じています


でもそう思っていてもなおそうしてしまう、「不安」や「恐怖」は強烈です。

何度か後悔をしたあとでさえ、そう行動させてしまう可能性のあるものたちでしょう。

だから私はそういうものだと織り込んで、嫌だなと思いながら、嫌悪的な気持ちを抱えて、できるだけ『賦活される「不安」や「恐怖」を感じながら渦中に入って行く』ことを選択していきたいと思います。


それが自分にとって大切であればあるほど不安や恐怖を感じるかもしれませんし、そうであればあるほど嫌悪感も強いと思いますが、

自分にとって大切なのであれば、だからこそ頑張りどき、『賦活される「不安」や「恐怖」を感じながら渦中に入って行く』ことが大切なのです。

と、今、私は考えています。



さいごに

冒頭でも書きましたが不安や恐怖は人間、動物に備わっている生存確率を上げる必要な生態機能です。

だから生きていくために必要なものとなります。

ただそれが多すぎるとしんどくなるし、嫌悪的な気持ちになるでしょう。


今回自分では「上手だな」と思う方法で不安や恐怖への対応を書きました。

ただ私自身がそれを毎回毎回実践できているかといえばそうでもないと思います。


少し自分への意識を高めるための意図も入れて書いたブログ記事。

最後まで読んでくださってありがとうございました!



【参考文献】

・ 三田村 仰 (2017) はじめてまなぶ行動療法 金剛出版