失敗したときに理由を、納得を求めよ「一旦そっちの落とし穴」(ABA:応用行動分析コラム34)


Enせんせい

ABA応用行動分析コラム34は『失敗したときに理由を、納得を求めよ「一旦そっちの落とし穴」』というタイトルで書いていきます


これは私自身が特に最近思っていることです。

私たちは毎日忙しくて、その瞬間その瞬間起こる出来事に振り回されて時間が過ぎて行ってしまいます。

気がつけばすぐ時間がなくなって、私も社会に出てから10年くらい経ちますが、本当に一瞬の出来事だったような体感です。

毎日の生活の中で時間が無くなってどんどんと余裕がなくなってくると何か決断をするとき「一旦、そっち」ということが多くなってくるように感じます。


これは決して悪いことではありません。

充分に上手く働くことも多く、例えば私は臨床について「こっちだろう」という今まで蓄積されてきた経験値で動くことができます。

なぜそう動いたのかそのあとに言葉で説明することも可能なので、早い判断ができることは強みです。


そういうときは「一旦、そっち」という判断が大切なことも多いのですが、

これが癖ついてくると普段あまり慣れていないことを決断するときにも慣習的にそのようにしてしまうことがあります。


このことはときには上手く行くこともあるでしょうが、非常にリスキーだなと感じるところです。

どういった解決策が考えられるでしょうか?


私は「このまま先に行きたくない」と思いました


「失敗とは?」を定義することは難しい

「失敗したときに理由を、納得を求めよ」というブログタイトルにしましたが、前提として「失敗をしてはいけない」とは思っていません。

というよりは「失敗をしない」ということ自体が前提として難しいのでは無いかと思います。


「失敗とは何かを定義せよ」と言われると非常に難しいですね。

例えば今ものすごく「やってしまった」という気持ちであったとしても何年かあとにその経験から大きなリスクが回避できたり、何か良いものをゲットできたとすればそのときそれは「失敗」とは呼べなくなってしまうかもしれません。


Enせんせい

「成功だった」と「失敗だった」はどういったことなのでしょうか?


私たちの日常は非常に多くの選択に溢れていることに気がつきます。

毎日着る服だったり、食べるもの、何時にお風呂に入るかなどの毎日行う生活から、

就職、仕事を辞める、事業を立ち上げる、結婚、離婚、家を買う、投資をするなど今後多くの時間に影響を与えるであろうことまで全てが選択をしながら時間が進んでいると言っても間違いではありません。


毎日着る服だったり、食べるもの、何時にお風呂に入るかなどの毎日行う生活については私たちは慣れているので「一旦、そっち」という判断で充分だと思います。

もちろん熟考をしてそれらを楽しむということも必要ですが・・・ちょっとそれは別テーマなのでおいておきましょう。


例えばそれらに「失敗した」と思っても1週間後まで影響があるかと言えば、ほとんどないことの方が多いのではないでしょうか。

つまり(食当たりとか例外は除いて)「失敗」というものが存在しない選択なのかもしれません。


でも、そうじゃない大きな決断だったら?

どこかの瞬間で(もしかするとそういった世界に飛び込んだあとはずっと?)、「成功したと思う」や「失敗したと思う」という評価が付きまとうかもしれません。


じゃあ大きな決断をしなければ安全じゃないの?

無理しなくても良いよ!


Enせんせい

そうかもしれませんね

そうすると「失敗」は無いかもしれません


ただ「動かない、何もしない」ということの決断も私は長期的にはリスクだと思います。

自分自身は年齢と共に今後は体力も落ちていきますし、将来1人は寂しいと思うかもしれません。


またABAの選択行動の理論では、

例えば小野 浩一 (2005)1個の選択肢しかない場面を強制選択、複数の選択肢が現れるのを自由選択というと述べ、一般に人間も動物も自由選択を好む傾向があると述べています。

他にもJames E. Mazur (2006)”変化に富むこと(多様性)は人生におけるスパイスである”としばしば言われるが、この格言はヒトと同様、動物についても言えると述べました。


変化を好むとはつまり、今まで選択してきていないことを選択するということです。

「飽きた」とか、「退屈だ」とか、「刺激が欲しい」とか、日常の中で言う人も多いでしょう?

私たちは傾向として今まで選択してきていないものを選択するということが好きだとすれば?


Enせんせい

私たちは変化を好む傾向があるのであれば、何かチャンス到来ということがあったら心が揺らいでしまうかもしれません

飛びついてしまうかもしれません


私が思うのは、このような普段選択してきていない不慣れな選択では「一旦、そっち」での決断は危ないです。

本ブログページで書いたように普段あまり慣れていないことを決断するときに「一旦、そっち」と慣習的にそのようにしてしまうことは私自身は避けたいと思います。

まずはこれが今の気持ち、そして今後どうするかを以下で書いて行きましょう。



どうやって「失敗したとき理由を、納得を求める」のか?

「失敗したときに理由を、納得を求めよ」というブログタイトルにしましたが、個人的に思うのは充分にそのことについて考える時間を持つことです。


私も今までいくつか大きな決断をしてきましたが、

全てでは無いですが『「一旦、そっち」で決めた』ということもあります。

しかしこれは実際は全く何も考えようとせず「一旦、そっち」で決めたのかと言えばそんなことはないのです。

何も考えていなかったわけではなく、以下のようなことが頭の中を巡ります。

個人的にはあまり好ましい時間とは言えないものでした。


私自身の体感として不慣れな選択の決断について考えるなければいけない状態のとき、どちらかと言えば嫌悪的な気持ちになる状態(本当に大丈夫か?上手くできるか?という不安など)が付き纏います。

そして早く決断しその状態から早く解放されたいという気持ちの振れがだんだんと顔を覗かせてくるのです。


その状態から解放されたいという気持ちに強く影響されすぎると、

結果的にあまり熟考することなく、気持ちの振れからの解放を優先し、『「一旦、そっち」で決めた』という感じになってしまいます。


早く解決したいという気持ちの振れがだんだんと顔を覗かせたとき「やってみる」ことが多いのか、「やめておく」ことが多いのか、ここは性格と呼べるものでしょう。

私はどちらかと言えば『「やってみる」ことが多い派』です。


このような状態のときは、私だけでなくみんなも、「不安」などと一緒に「ワクワク」や「変化への期待」も持ち合わせていると思います。

どちらの傾向(不安?ワクワク?)に反応しやすいか、というところで、「ワクワク」や「変化への期待」に反応しやすい私は「やってみる」ことが多かったのだと思います。


Enせんせい

そのような私でも、不慣れな決断をするとき、

早く解決したいという気持ちの振れがだんだんと顔を覗かせて来て、そのことはどちらかと言えば嫌悪的な状態だったように感じるところです

一般的な言葉で言えば「とてもプレッシャーを感じている状態」と言えると思います


今、私自身は私の性格では不慣れな選択の決断をするとき、早く解決したい、解放されたい、という気持ちがだんだんと顔を覗かせて来ることを理解しました。

これは今まではあまり意識していません(気がついていなかった?自分自身は重要だと思っていなかった?)でした。

ただ、今は気がついています。


そのため、今後不慣れな選択を選ぶタイミングでは「早く解決したいという気持ちの振れ」が生じることを織り込み済みで決断するタイミングを迎える、

そういった準備ができるようにして行きたいです。


例えば今、大切だと思っていること、これは非常に難しいかもしれませんが、そういったタイミングが今後来たとしましょう。


そのとき、

(1)向き合う時間はプレッシャーがあって正直嫌悪的だけど、しっかりと向き合って考える時間を持つこと

そしてできれば、

(2)しっかりと寝てスッキリした頭であるとか、コンディションを整えている状態でその向き合って考える時間を持つ

2点を意識して生きて行きたいと思います。


大学生の頃、仲の良かった友達と「名言を作ろう」だったかな?

まぁ格好の良いフレーズをお互いで作って競おうという言葉遊びをしている中で、友達が「負けたボクサーを笑ってはいけない」というフレーズを作りました。


実はこのゲームはフレーズよりも「その言葉の意味」の方が重要です。

例えば「猿も木から落ちる」という言葉がありますが、「その言葉の意味」として「木登りが上手な猿も木から落ちることがある(名人でも失敗することがあるよ)」という意味の方が重要でしょう?


友達の「負けたボクサーを笑ってはいけない」というフレーズを聞いて、

私は「へぇー、それどういう意味の言葉なん?」と聞きました。


友達は、


「ボクシング観てたら、解説者が足が遅いとか、ジャブが弱いとか色々言いよるねん

ハハハ、これはちょっとまずいですねとかは最悪やな

で負けたらやっぱり、どこどこが悪かったとか批難しよんねんけど、

負けた方も別にそのとき相手にやられようと思ってそうしてたわけやなくて、ほんま、一生懸命やっとんねんで?

叩かれたら痛いし

そんな一生懸命やってるやつを笑うんはカッコ悪いやろ?

そういう意味や!!(ドヤっ)」


みたいな感じの内容でした。

学生の頃にやったこの遊び、とても楽しかったです。

私自身はなぜかこの言葉がすごい好きで、その後の人生で何回か使わせていただきました(笑)

だから私自身も「一生懸命考えた末の決断なんだ」と、少なくとも自分自身には嘘をつかず胸を張って言える形で、不慣れな選択でも決断できるように成長して行きたいと思います。


もちろん時間のリミットがある決断も多いですね?

その時間のリミットも決断材料に織り込みましょう。


「一生懸命考えた末、やめておいた。結果を見ればやった方が良かったんだけど、当時は時間的なリミットがあったのと、忙しいこともあったから、3日間、毎日30分しかそのことに向き合えなかった。でも、そのときの俺は一生懸命やれる中でちゃんと頑張った」


今までそうできたこともあったし、そうできなかったこともあった。

だけどこれからはそうできる割合を増やして行きたい。


そうすることできっと今より自分が「失敗した」と思ったとき、その選択をした自分なりの理由があって、だから納得することができる。

だから痛みにも耐えることができて、「一旦そっちの落とし穴」の後悔をしないことが多くなるかもしれない。

経験則ですが、理由や納得があまりない状態で受ける失敗の痛みは非常に大きなダメージを負い、とても辛いです。

だから結果的に周囲の評価が下がったとしても、そのとき自分が納得できる形で選択することはとても大切だと思います。


多分、実際にそうしてみたとしても本当のところ結局、未来はわからないのだから「どっちに進むのが良いのかわからない」ということの方が多いのでしょう。

でもそのとき、「一生懸命考えて俺は選んだんだ」というプロセスを挟むことが私はとても大切だと感じたのでした。


特に誰かがそう考えたからではなく自分でそう考えること。

これは例えば「誰かのアイディアが良い」と思ってそれを採択したときも、自分自身も本気で考えて良いと思い、失敗したとしてもその誰かを責めず、自分も責任を負う気持ちを持つこと。

特にチームプレイではこのことは大切でしょう。


いろいろな場所で、気分も変えて悩む、考える時間を持つ


さいごに

実は私、ブログ記事は結構溜め込んでいるのでこれを書いたのは数ヶ月前ということになります。


実は数ヶ月前にプライベートなことですが不慣れな決断に対し「一旦、そっち」判断でやってしまったことで、失敗し大きく落ち込んでいた日がありました。

本ブログページを書いたのはその翌日です。

当日は帰ったら夜中11時半でしたがノートを買って帰り、帰ってすぐノートに気持ちを書きなぐりました。


Enせんせい

今、ブログをアップしたタイミングの自分自身もまだその気持ちを継続できているかな?


長期的に行動を継続することについてABAではセルフコントロールという研究分野があります。

セルフコントロールはABAの「選択行動」という研究分野です。


臨床研究としては例えばTimothy R. Vollmer・John C. Borrero (1999)攻撃行動を行う2名(自閉症児含む)のお子さんたちに、攻撃行動ではなく適切な行動を教えるという趣旨の研究があります。

このTimothy R. Vollmer他 (1999) の研究では衝動的に手を出すのではなく適切な行動(長期的に見て友好的な関係を築ける)スキルを強化(選択させる)のですが、

1つ、そうするためのポイントは強化子到来の合図があることがポイントでした。


Timothy R. Vollmer他 (1999) の研究を参考に、私自身が今日ブログでアップしたことを今後の行動指針として続けていくためには?

ルールを根付かせるために日記を書くとか日記を読み直し、思い出して強化される、そういったことが必要でしょう。


また実際、これまでの人生の中で「一旦、そっち」判断でとりあえず飛び込んでみたとき、結果的に良いことがあったことも多いです。

だから本当のところどういった判断を持って選択をすることが正解なのか、まだ悩んでいるところですが、今は私自身は「一生懸命考えて選んだ」というプロセスを持つことに興味を持っています。

だからやってみたいです。


面倒くさがりな私ですが、少しトライしてみようと思います!

やはり、大きなインパクトがあったとき、人間が変化するきっかけになるのかな?

あとは継続できるかどうかですね。



【参考文献】

・ James E. Mazur (2006) LEARNING AND BEHAVIOR:6Th ed. 【邦訳 磯 博行・坂上貴之・川合伸幸,訳 (2008) メイザーの学習と行動 日本語版 第3版 二瓶社】

・ 小野 浩一 (2005) 行動の基礎 豊かな人間理解のために 培風館

・ Timothy R. Vollmer・John C. Borrero (1999) EVALUATING SELF-CONTROL AND IMPULSIVITY IN CHILDREN WITH SEVERE BEHAVIOR DISORDERS. JOURNAL OF APPLIED BEHAVIOR ANALYSIS. 32, p451–466 No. 4 (WINTER)