ABA応用行動分析コラム45は『人生は一度きり「良い人生」、「正しい選択」の参考に選択行動や科学も考えるが最後は自分にも打ち勝たなければいけない』というタイトルで書いていきます
さて、あなたも人生の中で「どちらが正解かわからない」という瞬間に立ち会ったことがあるでしょう。
「Aに行くか、Bに行くか」とか「やるべきか、やらないべきか」などです。
特に、その決断が今後の将来の時間や自分の体力を大きく消費しそうなどといったとき、私たちは迷ってしまいます。
「どれが正しいのかわからない」。
そういったとき、私たちはできれば「正しい選択」をしたいでしょう?
でも「正しい選択とは何か」、もっと言えば「正しいとは何か?」すらも曖昧で、よく分からない。
「正しい選択」とはABAで示すとどうなるでしょう?
例えばそれを考察しようとしたとき、ABAには「セルフコントロール」という研究分野があります。
これは「選択行動(マッチング法則)」というABAの1つの分野の研究です。
ABAで「正しい選択の答え」を回答するのであればどうなるだろうか?
私はABAで「正しい選択の答え」を回答するのであれば、私はこの「選択行動の理論」に従って答えるでしょう。
「選択行動の理論」に従えば、どのくらいの時間で強化子が手に入るかの折り合いをつけ、結果的に最大限の強化を受けられる選択をするということです。
実森 正子・中島 定彦 (2000) は、
反応した直後に小さな強化が得られる場合を「直後の小強化」
反応してもすぐには強化されないが後で大きな強化を得られる場合を「遅延後の大強化」
と述べ、
前者の「直後の小強化」を選ぶ場合を「衝動性」
後者の「遅延後の大強化」を選ぶ場合を「自己制御(セルフコントロール)」
というと述べました。
以下エピソードをご紹介しますので、想像をしてみてください
例えば引っ越しがしたいと思っている人がいました
この人はもう1年もの間、引っ越しがしたいなーと心から思っています
その人の試算では、引越しの初期費用にかかるお金は40万円です
その人にとって40万円は大金で今、通帳を見ても20万円ほどしか入っていません
引っ越しをするためには、少なくとも今から残りの20万円を貯める必要があります
※ 借金をするという選択肢は一旦考えないでおく
その人は今、返済する借金はないものの毎月、貯金はできていません
そのため引っ越しをしようとすると、どこからかお金を捻出し貯める必要があります
その人の趣味は週末の金曜日、土曜日に近くのバーでお酒を飲むことでした
1度、バーに行くと1回大体3000円から4000円使っています
平均すると1回3500円の出費です
この人がもし神様から、
「あなた、明日はバーに飲みに行く?それか明日は引っ越しする?
お金は私が全部出してあげるし、
それ以外のコスト(バーに行くなら瞬間移動で連れて行ってくれるし、引っ越しするなら全て家具などは移動してくれる)も魔法でなんとかしてあげる」
と伝えられたらどうでしょう?
ここまでのエピソードを見てもらうとその人は「きっと引っ越しを選ぶだろう」と思いませんか?
その人は「バーに行くこと」も好きなのですが、できていないだけで引っ越しがしたいなーと1年もの間、心から思っているのです。
もしそうであれば2つの結果を比較したとき、自由に選べるのであれば、本当のところ欲しい結果は「引っ越しができる」と言えます。
でも時間やコストがかかるので、もっと手軽に満足が得られる「直後の小強化(バーに行く)」ことで強化子を取りに行ってしまっているのです。
しかしそれを続けているといつまでも引越しはできない、できないことはなかったとしても、引越しするのはどんどんと遅くなってしまいます。
このように本当はお金を貯めて引っ越しがしたいと思いつつも、毎日の生活の中で「直後の小強化」のバーに行ってお金を使ってしまう状態、これをABAでは「衝動性が高い」と呼びます。
先ほど実森 正子他 (2000) でご紹介した「遅延後の大強化」を得るための行動とは、得るために時間やコストがかかるものの、比較的大きな利益を取りに行く行動です。
「やりたい」と思っているものの、お金などのコストがかかって達成するために時間がかかってしまって踏み出せません。
本人の「引っ越し」への欲求は強いと言えるにもかかわらずです。
週末にバーで飲みに行く行動に伴う結果「直後の小強化」は、今ある手持ちのお金で達成が可能で短期的に自身の欲求を満たしてくれる結果でしょう。
これは、セルフコントロールの理論に従えば、長い時間コストがかかる行動(例えば引越しのための貯金)を選択できておらず、
短期的に少しの欲求を満たしてくれる行動(飲みに行く)を繰り返すことで、心から思っている引っ越しが達成できないという「衝動性の高い状態」に陥っていると言えるのです。
何がなんでも「我慢する(長い時間コストがかかる行動を選択する)」ことが正しいわけではないと思いますが、
あまりにも短期的な結果だけに反応をしてしまうことを繰り返すと結局、希望しているにも関わらず現状がなかなか変化しません。
自分自身が望んだ価値、幸せを得ることが叶わないまま、望んだ結果を達成できないまま、ただ時間を過ごすことになってしまうでしょう。
ここまでの解説でABAの「選択行動の理論」から「正しい選択」を考えると、時間がかかっても自分にとって価値のある結果にコミットし行動すること、
これが「正しい選択」と言える1つの回答だと私は思います。
でも面白いこととしては、ここまでの論でも、
「普通はバーに行く頻度を減らしてその分貯金をして引越しの準備をする」が正しいように思いますが、
不確的な変数が生じないとも限りません
不確的な変数というのは、例えばそのままバーに通い続けた結果、
・ 社長と知り合い気に入られ、今のお給料の倍の待遇で迎え入れられるかもしれません
・ 意気投合した女性と付き合うこととなり、同棲することになって引越し資金は折半でという話になり、今の貯金額でも引っ越しが叶うかもしれません
・ めちゃくちゃ株に詳しい人がいて、お勧めを教えてもらい、その株を購入したところ1ヶ月後には貯金の20万円が倍になって1ヶ月後に引っ越しが叶うかもしれません
・ バーのオーナーからもらった宝くじが当たるかもしれません
上で出した例はあまり現実的ではないとは思うこともあり、普通は「バーに行く頻度を減らしてその分貯金をして引越しの準備をする」が正しいのですが、
衝動的に動いた結果、「もっと叶えたいことを達成することのショートカットができた」、
結果的にそういった未来の可能性も否定できない、というところは人生の面白いところだと思います。
人生は一度きり、やり直しはできず、選ばなかった未来を見ることはない
引越しという大きな強化子(目的)を達成するために「バーに行く頻度を減らしてその分貯金をして準備をする」は望んでいる結果が手に入れられる可能性が高まるため、魅力的です。
しかし私が今まで生きてきた体感ですが、私も含めほとんどの人がこのような「長期的な結果の選択」がいつもできるわけではありません。
それくらい長期的な強化子にコミットして動き続けることは難しいし、短期的に手に入る強化子も強力で魅力的なのでしょう
引越しという大きな強化子(目的)を達成するため「バーに行く頻度を減らしてその分貯金をして引越しの準備をする」が正しいと思って行動し、達成したとき幸福感がそこにはあります。
しかしそうでない選択をした未来、もしかしたら衝動的に動いたことで「社長と知り合い気に入られ、今のお給料の倍の待遇で迎え入れられた」という未来が(もしかしたら)あったことも否定できません。
否定はできないけれども、そうなるかどうか未来の確認もできない、
私たちの人生は一度きりでやり直しができず、選ばなかった未来を見ることはないのです。
そうすると私たちは選択するとき、何を参考にすれば良いでしょうか?
例えば1つ参考になるのは「科学」だと思います。
人生は一度きりだから科学も必要に応じて参考にするー「科学」とは何か?
科学とは一体なんでしょうか?
私は「科学とは何?」ということの納得できる答えを探していた時期があります。
「統計を使えば良いの?」、「実験で証明すれば良いの?」、「専門家の先生が言っていれば良いの?」、いろいろ考えましたが少し違和感がありました。
私が今一番しっくりきている答えは以下です。
森 博嗣 (2011) は『科学というのは簡単にいえば「誰にでも再現できるもの」』と述べています。
つまり科学とは何度行っても再現できるもの(もしくは行うとX パーセントの確率でそうなる可能性があるということが何度か確認されていることからくる根拠)です。
その根拠のことを「エビデンス」と呼びます。
これが私の答えですが、私はある時期「科学の定義はなんだと思いますか?」と後輩に聞いている時期がありました。
そのとき私が持っている、私が正しいと思っている答えを言った人は1人だけしかいませんでした。
例えば答えとしては「エビデンスのあるもの」とか「研究で証明されているもの」という答えが多かったです。
「統計を使う」、「実験で証明する」、「専門家の先生が言っている」、「エビデンスのあるもの」、「研究で証明されているもの」は重複しているところもあるとは思うものの、本質的に違います。
科学とは例えば先人たちが「こういう条件だったら、こういう範囲の人たちはどうなるだろう」という観察の積み重ねです。
「XにYの条件ではZにこれくらいの確率でなる」という事象の観察の積み重ねということになるでしょう。
先人たちの多くが「こうする方が良かったよー」と教えてくれているのが科学だとすれば、
あなたが迷ったとき、先人たちはどうだったか、ということを参考に、
こっちの方が良い確率が高そうだ、という視点で科学を利用できれば良いと思います
それでも私たちは一度きりの人生しかない
私は上記の理由からもし選択に迷ったときは科学を参考にすることをお勧めします。
本ブログはABA自閉症療育ブログですがABAは自閉症児の療育に対してエビデンスを持つ療育手法です。
ここまで見てくださった方は「エビデンスを持つ」の意味がわかると思いますが、ABAは自閉症療育の過去の先人たちの研究(特定の条件下での観察の比較)により、効果があるとされています。
※本ブログの別ページでもご紹介していますが「ただABAを行う」ことが強いエビデンスがあるわけではなく、ABAは条件を満たした場合に強いエビデンスがあるとされているものです
※しかし強いエビデンスではなくとも、特定の問題行動の消失や発語を促すなどであれば、条件を満たさず達成できる可能性が大いにあります
だからベストな戦略を考えるとき科学は選択肢に入るのです。
ただ上でも書きましたが「引っ越し」と「バーに行くこと」のエピソードの人が、衝動的に動いたことで「社長と知り合い気に入られ、今のお給料の倍の待遇で迎え入れられた」という未来が(もしかしたら)あることも否定できないことは事実でしょう。
このようなレアケースは科学では証明が難しいと思います。
原田 隆之 (2015) はアインシュタインの言葉を引用し、
「現在のところわれわれ人間が用いる理解の道具として科学は一番ましな道具である」
と述べました。
本当はどっちに行ったら、どっちを選んだら良いか分からないとき、「未来予知」ができたり、「違うなと思ったら過去に戻ってやり直し」ができたらベストな選択ができるのかもしれません。
でも、そんなことは私たちはできないのです。
できたらできたでなんだかそれは人生がつまんないかも、とも思いますけど
このような先人たちの積み重ねから、何かに迷ったとき、選択を迫られたとき、科学は参考になると思います。
例えば本ブログの「ABA 自閉症 療育」は結構、療育の界隈では有名なキーワードだと思います。
「ABA 自閉症 療育」の界隈だけではなく、特定の界隈で有名なものは分野にもよると思いますが、科学的なエビデンスの蓄積があることが多いでしょう。
そのような分野の情報が欲しい場合は一旦、先人たちの多くの人にフィットしてきた科学的なエビデンスの蓄積があることをやってみることは効率的でしょう。
但しそれを行った全員にとってのベストな選択であったかどうかは不明です。
私たちは未来予知もできないし、「違うな」と思ったら過去に戻ってリプレイすることもできません。
例えば1987年、O. Ivar Lovaasが書いた「Behavioral Treatment and Normal Educational and Intellectual Functioning in Young Autistic Children」という1本の論文は自閉症の世界に大きな衝撃を与えたようです。
※この論文については「(ABA自閉症療育のエビデンス2)O. Ivar Lovaas、1987年(https://en-tomo.com/2020/03/22/ivar-lovaas1987/)」を参照
Tristram Smith・Svein Eikeseth (2011)はこの論文について「現在最もよく知られる研究」と述べ、この研究は情熱的な議論を巻き起こしたと述べています。
この研究は結論を簡単に言えば「ABA自閉症療育を行うことで47%(19人中9人)のお子さんがプログラムを通して知的に正常域まで成長し、加えて付き添いなしで小学校の普通クラスで生活をすることできた」ということが示された研究です。
しかし19人9人以外の10人はどうだったでしょう?
文献を見れば10人のうち8人は知的な遅れが軽度になるという効果を受けましたが、2人は知的な遅れは遅れたままでした。
そのためそれを行った全員にとってのベストな結果であったと言い切れないかもしれません。
このように、適切な形で行う「ABA 自閉症療育」も多くの人に効果があるというエビデンスを持つものの、100パーセントの確率で皆に同じ恩恵を与えるものでもないのです。
しかしそれでも私は先人たちの多くの人にフィットしてきた科学的なエビデンスの蓄積があることをまずやってみることが効率的だと思うしお勧めします
それが一番現在の選択肢の中でマシだと思うからです
正しい選択は最後、自分にも打ち勝たなければいけない
ここまで、
・ ABAで「正しい選択」を考えたとき、得るために時間やコストがかかるものの比較的大きな利益である「遅延後の大強化」を取りに行く行動を選択することが1つの正しい答えだと思う
・ 但し衝動的に動くことで得られたレアケースの恩恵があったことも否定できない(バーでの出会い)
・ また「遅延後の大強化」を取りに行く行動は自分でそれが正しいと思っていても容易ではなく、分かっていても「直後の小強化」に反応してしまうことも多い
・ 私たちの人生は一度きりでやり直しができないため、選択しなかった未来の結果を知ることはない
・ そのため先人たちが受けてきた結果の観察の蓄積(エビデンス)を参考に選択することも私は大切だと思う
ということを書いてきました。
引っ越しとバーの話を思い出してください。
「先人たちが受けてきた結果の観察の蓄積(エビデンス)を参考に選択する」と上で書いていますが、
『「引っ越しするために我慢してお金を貯める」と「バーに行く」』普通に考えれば前者の方が幸せになれると思いますが、科学的にこのようなレアケースを比較した研究は無いと思います。
※あったらすみません。ただこのくらいめちゃくちゃニッチでレアケースな研究はないと思います
ここまでの論を鑑みれば、この場合はバーに行く頻度を抑え「引っ越し資金」を貯めて行くことが正しい選択でしょう。
そしてここまでの論も読んでいてまったく賛同できない、というレベルのものでもなかったのではないでしょうか?
またここまでの内容で書いた中には、
「引っ越し」と「バーに行くこと」のエピソードで、衝動的に動いたことで「社長と知り合い気に入られ、今のお給料の倍の待遇で迎え入れられた」という未来が(もしかしたら)あることも否定できない、という内容もありました。
しかしそのような偶然のエピソードの存在を否定はしませんが、多くの人がそのようなレアケースからの恩恵を受けられない確率の方が大きいとなると、
そちらの選択に身を委ね続けることで、時間の浪費が続くことは、やはり「誤った選択である確率が高い」と言えてしまうかもしれません。
そしてやっかいなことは、頭で「我慢した方が良い(遅延大強化子にコミットして動く)」方が良いと分かっていても、
「直後の小強化」も魅力的で我慢できずにバーに行ってしまうことは、私の経験ですが、特に珍しいことでもないです。
それくらい私たちの意思は弱い、と言っても良いでしょう。
だからこそ自身を自律的にコントロールできる(セルフコントロール)できることは周りの人からも「凄いね」と言われるのだと思います
「ダイエット」、「塩分多寡」、「アルコール飲酒量」、「喫煙」、「運動不足」など調整や我慢することで長期的に効いてくる健康に対してのメリットの結果があるにも関わらず、調整や我慢ができず苦しんでいる、諦めている人もいると思います。
となれば、
頭の中で「こっちが正しい」と思ってそれを選択するとき、実は「選ぶ」だけでなく「選んでコミットし続ける(その方向性に寄り添って行動し続ける)」という、自分の衝動に打ち勝つことも正しい選択には必要になってくるのでしょう。
このように考えれば「正しい選択」とは一時的な判断ではなく、その先も継続して行なっていかなければなかなか望んだ結果を手に入れられない、そういった結果にコミットする行為です。
自分にも打ち勝たなければいけません。
そして「我慢し続けるのも身体に良くない」とも言われるので、良い塩梅でたまには「直後の小強化」にも反応しガス抜きをするタイミングを持つ、ということも必要なのでしょう。
今回は「選択」について考えてみましたが、正しい選択とは実は結構、難易度の高いものなのだなぁと考えることができました。
さいごに
「選択」と言ってもさまざまで「今日は何を食べよう」とか「明日はどこに行こう」と言った、
特に、その決断が今後の将来の時間や自分の体力を大きく消費するわけではないものもあるでしょう。
今回考えてみた「選択」はその決断が今後の将来の時間や自分の体力を大きく消費する「選択」です。
そして考えてみると「正しい選択」をするためには「選ぶ」だけでなく「選んでコミットし続ける(その方向性に寄り添って行動し続ける)」という行為の継続が「正しい選択」なのだな、と今回書いてみて思いました。
最近、「ブログのネタ何を書こうかなぁ」と思っていて、とりあえず今回書き出して行く中でまとまって行ったのですが、
自分自身の「選択」に対しての考え方も深まったように思って、個人的には本ブログページは書いていて良い時間でした。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
【参考文献】
・ 実森 正子・中島 定彦 (2000) 学習の心理 第2版 サイエンス社
・ 森 博嗣 (2011) 科学的とはどういう意味か 幻冬社新書
・ O. Ivar Lovaas (1987)Behavioral Treatment and Normal Educational and Intellectual Functioning in Young Autistic Children. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 55(1) p3–9.
・ Tristram Smith・Svein Eikeseth (2011) O. Ivar Lovaas: Pioneer of Applied Behavior Analysis and Intervention for Children with Autism. Journal of autism and developmental disorders. 41 p375-378