ABA:応用行動分析29は「大人になると思考が固まる、行動パターンの柔軟性がなくなるとはどういう意味か?私見」というタイトルで書いていきます
みなさまは大人になるについれて思考が固まる、行動パターンの柔軟性がなくなる、ということを聞いたことがありますか?
例えば「おじさんは頭が固い」などと言われることはこのことを表していると思います。
私自身現在35歳となりましたが、確かに例えば10年前と比べると思考行動パターンの柔軟性は落ちてきているように感じていて、少しそのことをネガティブに感じている自分がいるのです。
もし私と同じようにこのことにネガティブなイメージを持っている人がいるとすれば、本ブログページでそのようになってしまう理由と打開策を書いてみようと思うので、必要であれば柔軟性を高めることを試してみてください。
最初に思考が固まる、行動パターンの柔軟性がなくなるということは一体何かを定義しましょう。
私自身が今思っていることで、これらを本ブログページでは、
最初に思考が固まる・・・問題が起きたとき、いつも同じような解決策を取る
行動パターンの柔軟性がなくなる・・・日常生活のルーティンが固まっていて、あまり変化がない
本ブログページでは上のよう状態を「思考が固まる」、「行動パターンの柔軟性がなくなる」と定義し論じて行きます。
いろいろとこの分野の論文を探してきてから論じても面白いと思うのですがが、今日はサクッと自分の気持ちについて考察し、書いて行きましょう。
また本ブログページはあくまで私の私見となるため、例えばエビデンスを知っていて「それはこうだからだよ」とか「それは違うよ」という意見があれば是非Twitterから教えていただけると幸いです。
そもそも何故思考や行動パターンは固まってくるのか?
思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことは何故生まれてくるのでしょうか?
私自身が考える思考が固まる、行動パターンの柔軟性がなくなるといったことが、何故生じるのかと言う主な理由は、
(1)私自身長く生きていく上で自分の居心地の良い行動パターンを学習していった
(2)昔のように環境側が無理矢理変わる状況がなくなった
の2点です。
以下、以上の2点について解説をして行きます。
(1)私自身長く生きていく上で自分の居心地の良い行動パターンを学習していった
(1)私自身長く生きていく上で自分の居心地の良い行動パターンを学習していったとはどういうことでしょうか?
例えばもう私は一人暮らしを初めて今年で15年ほど経ちます。
実家暮らしの場合は一緒に住んでいる家族の生活時間を考慮する必要がありますので例えば、
「今日は23時には寝たいとなると、21時には風呂に入りたい。21時に風呂に入ると言っても、母さんがその時間風呂に入っているから30分早めるか」と考えることがありました。
でも一人暮らしだとそのような家族を意識した生活時間の考慮はほとんど無くなります。
一人暮らしでは家族を意識した生活時間の考慮は、家族と電話をする予定があるとか実家から荷物が届くとか、そういったことくらいです。
このような生活を続けているとどうなるでしょうか?
例えば私は「風呂 → ご飯」というルーティンがあります。
ここ10年ほど、ほとんどこの順番が変わったことは無いです。
しかし家族と一緒に実家に住んでいた頃は家族の行動も予測して過ごさなければいけません。
自分以外の人の生活が自分の生活に干渉してくることは、予想外の結構ランダムなイベントが発生します。
例えばご飯の前に風呂に入りたくても弟が風呂に入っていることを知ると、「んじゃ飯食ってから入るか」という日も出てくるでしょう。
特に弟が中学校から高校に進学するタイミングなど、大きな人生の転換点では弟の生活リズムも大きく変わるタイミングなので、自分自身の生活リズムも大きく変化させなければいけません。
「風呂 → ご飯」、「ご飯 → 風呂」のどっちが良いかは完全に好みです。
例えば私は「風呂 → ご飯」が心地良いですが、もしかすると弟は「ご飯 → 風呂」が心地良いと感じるかもしれません。
私自身は自由に選べる生活の中で「風呂 → ご飯」が好みであり、それを選べる環境の中でその順番を選択してきました。
自分が自由に行動できる状況では、私たちは自分が居心地の良い行動パターンで過ごすようになって行きます。
そのような生活が続くと?
徐々に行動パターンが固まって行きます
長くその行動パターンが続くと習慣となり、より強固になって行くでしょう
行動パターンが固まるということは何を意味しているでしょうか?
それは自由に行動できる中で見せるパフォーマンス、「何の制限もかけられていない場面で自由に行動してきた結果から、パターンとして形成される」、つまり習慣化することを意味します。
このように形成されたパターン、特に自分自身が自由に行動して形成された習慣は、自分にとっては心地良い(とても楽だったりする)です。
このような習慣がパターン化したのち、習慣が変わってしまうイベント、例えば結婚や職場の変化などによって自分の自由にできていた行動の制限がかかってしまうと大抵はストレスを受けてます。
ABAの用語で「反応遮断化理論(Response Deprivation theory)」というものがあるのですが、
「反応遮断化理論」(参考 William Timberlake・James Allison, 1974)を参考にすれば私たちが普段行っている自由な行動(何も制限がかかっていない状況で見せる、本人にとって強化的な行動パターン)から乖離が生じると、
元の行動パターンに戻ることが強化的に働き、元の行動を取ることの強化価値が上昇します。
例えば週に朝5日ランニングをしている男性が、結婚をして朝ランニングをすることが3日しか叶わなくなったとすれば「ランニングをしたい欲求」が高まる(元の行動パターンとの乖離が生じたため)のです。
自分自身の中で「週に朝5日ランニングをする」という人生の価値を高めるためにこれまでやってきたことが、自分の選択肢を狭める可能性があり、
例えば「朝、ランニングを受け入れてくれない異性(朝一緒にモーニングコーヒーを飲むことを強要されるなど)」は自分とは合わないという思考を生むかもしれません。
これは選択肢を狭めていますね?(つまり思考が固まってきている!!)
過去子どものころもこのような「合う/合わない」というのはあったかもしれませんが、それが長い時間をかけて習慣となっていたことで習慣は強くなり、より強固なものとなります。
結果的に、自分の習慣を崩すような生活(行動)パターンを嫌い、変化が生じにくくなるのです。
これは既に獲得した居心地の良い行動パターンが崩れることがストレスだと感じるからになります。
本ブログページで思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことが何故生まれてくるのかという疑問について、
最初に思考が固まる・・・問題が起きたとき、いつも同じような解決策を取る
行動パターンの柔軟性がなくなる・・・日常生活のルーティンが固まっていて、あまり変化がない
上のように定義し論じて行きますと書きましたが、
このことはオレンジの下線を引いたところに当てはまるでしょう。
このような普段の習慣との行動パターンとの乖離がストレスを引き起こすため、私たちは普段のルーティンが崩れることに少しの不快感を感じ、なかなか変化を起こすことができません。
そうなってしまうと意識的に変えていかなければこのような習慣強度はなかなか強固なのです。
「運動習慣」、「睡眠習慣」、「食事習慣」など、頭では健康に良いと思っていて、自分自身が興味を持っている習慣でもなかなか行動パターンを変えて取り入れられない理由は、
ここまで説明してきたことが影響していると思います。
では少し上で青い下線を引いた「最初に思考が固まる・・・問題が起きたとき、いつも同じような解決策を取る」についてはどうでしょうか?
これを本項目の「(1)私自身長く生きていく上で自分の居心地の良い行動パターンを学習していった」のテーマから考察して行きましょう。
私たちの行動は毎時間、毎日、何かの行動したのちの結果に対し影響されて行くものです。
特に行動が強化子によって増えたり、精鋭なものになっていくことは、ABAの手続きではシェイピングと呼ばれる技法になります。
シェイピングについてPaul A. Albert & Anne C. Troutman (1999) は目標行動に近い行動を徐々に分化強化して行くことで新しい行動を教えること、と述べていますが、
私たちは毎時間、毎日、また何か問題が起きたとき最初は自分なりに試行錯誤したり、教えられたルールに沿って行動をしたりしてその問題を取り除こうと行動してきました。
例えば小学校の時代にお友達と言い合いになってお友達が泣いてしまったとしましょう。
大人から教えられていたり、他のお友達がそのようなときにどのように行動をしていたかを観察していたためあなたは「ごめんなさい」とこのようなとき、言うことを学習していました。
そのような機会があるたび「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」と謝ってその場を納めていたのですがあるとき、相手から例えば「許さない」と言われるイレギュラーが起こることもあるでしょう。
「ごめんなさい」と言えば場も落ち着いてあなた自身も安心していましたので、そのような問題解決場面で「ごめんなさい」という行動は強化されてきたのですが、
相手から「許さない」と言われる場面では強化子が提供されない(場の解決が生じない)ため、結果として「消去バースト」が生じます。
簡単に言えば「許さない」と言われて今まで手に入っていた自分の望んでいた結果(穏便いことが終わる)が手に入らないことがあると、
「え?どうしよ」と思って、別の行動パターンを試してみたり、ちょっといつもよりも大きな声でもう一度「いや、本当ごめん!」と言い直してみたり、ということが起こると言うことです。
しかし「許さない」といったイレギュラーはなかなか起こりません。
イレギュラーはなかなか起こらない、365日、1年の中で物凄く予想外なイレギュラーが起こることは稀なように思います。
起こるイレギュラーのレベルも上の例のように「許さない」ということが起こる程度です。
365日の中で少なくとも1回は自分自身が対応する方法が全く思いつかない、という問題解決場面に遭遇する、ということも大人になって行く中で少なくなってくると思います
何年も何年もこのようなことを繰り返すと問題解決のパターンも固まってくるでしょう
例えば以下のような問題解決の方法でなんとかならないケースを想像することは難しいと思います。
何か他者と問題があったとき、
(1)最初、理由を聞いた上で必要であれば謝る
(2)相手が許してくれない(和解できない)となると第三者に助けを求める(幼少期は先生、大人になってからは上司など、もしくは法律など何かしらの専門家)
(3)それでも許してくれないとなると第三者も巻き込んで折り合いをつける(幼少期の場合も大人の場合も基本的には「次からXXはしないようにしよう」とお互いに約束をし折り合いをつける)
もし以上のことを行うことで、スムースに問題が解決することが多ければ、そのように問題解決をするよう習慣づいて行くはずです。
私たちの行動は毎時間、毎日目的行動に対して強化されて行くものですので、ある程度「自分の思った結果が得られる」ことが続く行動パターン(問題解決手法)が見つかれば、
目的を叶えるため「とりあえずいつも通りの問題解決パターンのルートを取る」と、自分なりの解決策パターンが固まってきます。
そのようになると少し上で青い下線を引いて書いた「最初に思考が固まる・・・問題が起きたとき、いつも同じような解決策を取る」というような行動パターンの固定化が生じるでしょう。
これは上で書いた普段の習慣と行動パターンとの乖離がストレスを引き起こすため、私たちは普段のルーティンが崩れることに少しの不快感を感じ、なかなか変化を起こすことができないことも関係していると思います。
その他の理由はないでしょうか?
他に考えられる理由の一つとして、私たちはコストの低い行動を好むということがあります。
例えば「(ABA自閉症療育の基礎64)オペラント条件付けー先行子操作で適切行動を増やし問題行動を減らす(https://en-tomo.com/2020/12/06/antecedent-control-procedures/)」でもご紹介した内容です。
ABA自閉症療育でお子様に親御様の思ったように行動して欲しいと思ったときの手法の1つに先行子操作という方法があります。
そこでご紹介をしたのですがRaymond .G .Miltenberger (2001) はその行動に必要な努力が少なくなるような先行状況を設定する方法があり、もし強化子が同じであれば「反応努力(Response Effect)」が大きい行動よりも小さい行動の方が起きやすい
と述べました。
ざっくり言えば私たちはコストの高い「めんどうな行動」を自発的に取ることを生じさせにくいのです。
そのため問題解決の場面においても新しく問題解決を創造して解決するという、面倒なコストがかかる行動より、普段から慣れている創造性の必要のないコストの低い解決パターンを好みます。
このようなコストの面からも問題解決の手法が固定化されて行くでしょう。
またほとんどがそれでなんとかなっているので、普段の生活に特に支障はありません。
そのため行動コストの低い行動を採択することで思考は固まり、行動パターンの柔軟性がなくなることに一層拍車をかけるでしょう。
そして私たちは問題解決策で解決できなかったとき最終的には「諦める(仕事を変える、パートナーを変える、関係を切る)」などのパターンも最終手段として持っています。
「諦める」ことも人生の中で学習をしていて、本当にそこまでの方法を採択すればほとんどの問題が解決してしまいます
「諦める」は悪いことではありません。
めちゃくちゃストレスのかかる場面に居続け、「諦める」ことができない状況が持続することでもっと大きなストレスを抱えることになるかもしれません。
それは良くないので「諦める」ことも大切です。
たださまざまな状況のほとんどでいつも「諦める」という行動を採択してしまっている場合は問題となるでしょう。
自分自身が順応できる環境がほとんどなくなってしまい、結果的にはこれも選択肢が狭まり不自由を招きます。
そうすると社会からの不適応が生じ、精神疾患などの症状として出現することがあるでしょう。
少し話は脱線しますが、選択肢として「諦める」を採択しにくい状況もあると思います。
「上手く行っていない」、「嫌われてはダメなのに嫌われてしまった」、「自分は能力がない」、「評価されていない」などの考えは受け入れることも難しいものの、「諦める」こともなかなか難しいと思うことは普通です。
「あきらめること」が無理なこともあるよ
そう考えた末、「何とかしないといけない」、「解決しないといけない」と考えて行動をする。
これが上手くいけば良いですが、悩みが続いている場合は上手く行っていないことが多いということですね?
そうなると「上手く行っていない」、「嫌われてはダメなのに嫌われてしまった」、「自分は能力がない」、「評価されていない」などという思考が頭をぐるぐると巡り、
どんどんと気持ちも落ちていって悪循環にはまってしまう。
悪い場合はそれが数週間、数ヶ月、場合によっては数年間も続く。
特にそう言ったとき、固まった思考で、柔軟性のない行動パターンを用いあまり変化がないことを続けてしまうとどんどんと悪循環の渦の中に溺れて行ってしまいます。
固まった思考で、柔軟性のない行動パターンを用いすぎることはこのような場合に悪手となるでしょう。
そのようなとき「私の思う精神疾患とは何か?どういう状態か?(ABA:応用行動分析コラム13)(https://en-tomo.com/2021/04/02/mental-disorders/)」でも書きましたが、
本当に時間が止まってしまった感覚に陥るかもしれません。
実は「上手く行っていない」、「嫌われてはダメなのに嫌われてしまった」、「自分は能力がない」、「評価されていない」などという思考を否定するのではなく受け入れる態度で行動を続ける(自分が正の強化を受ける、自身の価値に沿った活動を行う)ことが大切なのですが、
ここの部分はまた別のブログで解説をしていければと思います。
それは「簡単」なことではないかもしれませんが、解決の糸口を見つけることができる方法と言えるでしょう。
話を戻して、
以上のように習慣の強さや普段行っている行動がコストが軽くなることによって習慣化に拍車がかかり、私たちは年齢を重ねるごとに思考が固まり、行動パターンの柔軟性に変化がなくなってくるのだと思います。
では何故、大人になっての方が子どもの頃よりも柔軟性がないのか?
本ブログページで思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことが何故生まれてくるのかという疑問について、
最初に思考が固まる・・・問題が起きたとき、いつも同じような解決策を取る
行動パターンの柔軟性がなくなる・・・日常生活のルーティンが固まっていて、あまり変化がない
上のように定義し論じて行くと書き、以上の定義がどのように形成されて行くのかの可能性についてここまで触れてきました。
私たちは習慣の強さや普段行っている行動がコストが軽くなることによって習慣化に拍車がかかることで以上のような定義の行動が強くなって行き、思考が固まり、行動パターンの柔軟性がなく変化がないように強化されて行くのだと私は思います。
次のテーマは「何故、大人になっての方が子どもの頃よりも柔軟性がないのか?」です
このテーマを考察して行くことで、習慣の強さや普段行っている行動がコストが軽くなることによって習慣化に拍車がかかることを止め、
そして柔軟な行動を培うことができると思います。
そのようなことが必要だな、と思う人は試してみて欲しいと思いますが、方法を書いて行く前に「何故、大人になっての方が子どもの頃よりも柔軟性がないのか?」の理由を考えて行きましょう。
(2)昔のように環境側が無理矢理変わる状況がなくなった
ブログページ上の方で思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことは何故生まれてくるのでしょうか?
私自身が思う主な理由は、
(1)私自身長く生きていく上で自分の居心地の良い行動パターンを学習していった
(2)昔のように環境側が無理矢理変わる状況がなくなった
の2点ですと書きました。
「(1)私自身長く生きていく上で自分の居心地の良い行動パターンを学習していった」についてはこれまで解説をしてきましたので、
ここからは「(2)昔のように環境側が無理矢理変わる状況がなくなった」というところの解説です。
子どもの頃は自分が望んでいようと望んでいなかろうと、環境側が勝手に変化を与えてくれます。
代表的な環境変化は「進学」や「クラス替え」、「担任教師の交代」や「性徴による身体の変化」などです。
例えばあるクラス集団で物凄く順応しており、高い充実感を持って生活ができていたとしても翌年クラス替えなどによって環境側が大きく変わり順応するために求められるスキルが変化して行きます。
身体の成長も大きな変化を生むでしょう。
例えば小学校高学年で起こる第二次性徴以降、それまで以上に異性と上手くスキンシップを取るスキルの重要性が増すなど、環境適用に必要なスキルも変わります。
兄弟がいれば兄弟の成長も自分自身の生活に影響を与えるでしょう。
例えば弟が家に友達を連れてきてくれて、今まで居なかった他学年の友達ができるかもしれませんし、部活に入って年上の先輩と関わる機会も増えるかもしれません。
例えば小学校時代2年に1回クラス替えがあったりしますが、大人では2年ごとに過ごす環境集団が外的環境により変化することはなかなかあり得ません。
また身体の成長も子どものときほどの大きな変化は生じにくく例えば「筋肉量が増える(力が強くなったり、走るのが速くなる)」などの変化を子どものときのように何も努力なしに叶えることは難しいでしょう。
他にも周りの大人からは「まだ若いから、なんでもできるよ!」と声をかけられる機会が大人よりもあり、言語的なルールの中でも選択肢は自由であると思える環境が与えられます。
そのようなルールを与えられることによって(大人と比べて)抑制がかかりにくく、色々な事柄にチャレンジしてみようという気持ちも高まるでしょう。
実際に周りにいるお友達が自分の未経験なことを体験し、楽しそうにそれを話し、それを見ているときに「君もやってみたら?」などと大人が声をかけてくれることもあると思います。
その他にも、触れたことのない世界の情報も多いことも特徴的です。
例えば「初めてゲームを買ってもらった」、「彼女ができた」、「初めて携帯電話を買ってもらった」、「友達の家に泊まりに行った」、「USJに行った」など初めての経験を得る機会が多く、
慣れが生じていないため刺激量が多く、ポジティブなものをよりポジティブに感じるでしょう。
既に経験済みで多少の慣れを持っている大人の場合と違って「何が起こるのかわからない」という感情は少しの不安とワクワクした気持ちを引き起こし、体験が深く思い出に刻まれます。
そのため、そこから得られる強化量は大人になってからの体験と比較して多く、まだ習慣強度が固まっていないことと合わさって行動が変化しやすいでしょう。
以上の内容をまとめると、
・ 「進学」や「クラス替え」、「担任教師の交代」や「性徴による身体の変化」など自分の都合ではどうしようもない環境変化が生じる機会が多い
・ 周囲から「なんでもできる」と選択肢が自由にあると考えることができる言語的なルールを与えられる機会が多い
・ 初体験のものが多く慣れが生じていないため刺激量が多く強化子として強く働き、まだ生きた年数(大人と比べて)も少ないため習慣強度が弱いことも合わさって変化が起きやすい
ということが考えられます。
これが私の思う「(2)昔のように環境側が無理矢理変わる状況がなくなった」ことが思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことに与える影響です。
ではどうやって思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことを打開するか?
ここまでの内容は思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことが何故生じるかを論じたものでした。
ここまでのキーワードをまとめると、
・ いつも行っている行動パターンは習慣となり、習慣強度を強める。習慣強度が強まれば、その行動パターンから逸脱することに嫌悪感が生じる
・ 人間はコストの低い行動を取りやすい。いつも行っている行動パターンは慣れておりコストが低く、いつも行っていない行動を取ることはコストが高くそもそも取りづらい
・ 子どもの頃は自分の都合に関係なく、環境側が勝手に環境を変化させる機会があった
・ 周囲から「なんでもできる」と選択肢が自由にあると考えることができる言語的なルールを与えられる機会が多かった
・ 初体験の出来事が多く、慣れていないため体験から得る強化量が多い
ということでした。
ではどうすれば思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことを打開する場合、
どのような方法が考えられるのか考察して行きましょう
まずは普段行っている行動パターンを変えることに生態はストレスを感じるのが当たり前のことである、と知ることが大切です。
例えば「筋トレ」、「禁酒」、「ダイエット」、「掃除」、「資格の勉強」など普段の行動パターンに入っていないものの興味のある活動が持続しなかったとき、
「私はダメな人間だ」と感じてしまうかもしれません。「私は面倒くさがり屋で決めたことを事項できない」と思うかもしれませんが、
私たち人間はそもそも普段行っていない、普段の行動パターンに組み込まれていない、習慣化されていない行動を行うことはコストが高くめんどうで、多少の嫌悪感を感じる可能性もあるということを知っておきましょう。
「私だけがダメな人間」なのではなく、みんな普段の行動とは別の何かをするとき、めんどうに思っています。
まずほとんどの人は上のように思ってしまうでしょう。
ではどうすれば良いのか?
ここまでの内容から考えられることことは、思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことを打開するために必要なことは、
普段行っていない行動、できればやったことのない興味のあることを行ってみると言えそうです。
普段行っていない行動、できればやったことのない興味のあることを行ってみるというすごくシンプルで簡単な答えになります。
単発ならそんなに難しいことでもありません。
例えば住んでいる最寄駅の沿線上で降りたことのない近くの駅で降りて、20分間歩いて過ごす
とか、
人とご飯を食べるとき基本的に自分の話をすることが多かったが、その日はたくさん質問をして相手のことを知るようにしてみる
とか、
受けたことのないサービス(例えばマッサージやストレッチ)を受けてみる
とか、
やったことのないこと(例えばホットヨガとかフットサル)をやってみる
とか、
読んだことのないジャンルの本や映画を見てみる
とかです。
例えば最初に「住んでいる最寄駅の沿線上で降りたことのない近くの駅で降りて、20分間歩いて過ごす」を行ってみたとしましょう。
結構面倒なものですが、結果として結構楽しめた場合、次に「受けたことのないサービス(例えばマッサージやストレッチ)を受けてみる」という行動に移るフットワークは軽くなります。
そしてそれも楽しかったとすれば?
次に「やったことのないこと(例えばホットヨガとかフットサル)をやってみる」という行動に移るフットワークは更に軽くなるでしょう。
私自身はこのような普段の自分の行動パターンに組み込まれていない行動を敢えて行っていくことが、思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことを打開する小さな歯車になって行くと考えています。
さいごに
このような内容で本ブログページを書いてきましたが、まだなかなか私自身も普段の行動パターンに組み込まれていない行動を敢えて行っていくことで、思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことを打開することにチャレンジができていません。
まずは小さなことからでも良いので、今持っていない自分の人生を豊かにしてくれる強化子を何か得られないかなという気持ちで私も日々生活をしています。
もっと色々知りたいし、やってみたいことも多いです。
だから今の生活パターンが固まってしまわないよう意識的に動いていかなければ、色々知りたいし、やってみたいこともなぁなぁになってしまって結局やらないとなってしまいそうで怖いなとも思っています。
正直面倒だけども、、、なんとか頑張って行きたい
また本ブログの趣旨とは少し違ったため文中にあった『「筋トレ」、「禁酒」、「ダイエット」、「掃除」、「資格の勉強」など普段の行動パターンに入っていないものの興味のある活動が持続しなかった』という話については展開しませんでしたが、
普段の自分の行動パターンに組み込まれていない行動を敢えて行って更にそれを新しい習慣として生活に取り込んでいくことは更にもう一段ハードルが高くなるでしょう。
私自身は今こうして見ていただいているブログ活動は2020年から習慣付いた新しい行動パターンです。
仕事に繋がるだろうとか、勉強になるからとか自分なりに理由もあるのですが上手く習慣に取り入れられたなと思っています。
私がこれを習慣に取り入れられたのは3点ポイントがあって、
1点目はTwitterなどで周囲にブログを書いていることを告知していること
2点目は無理なペースではやらないこと
3点目は結果が出ていること
です。
1点目の他者への告知は行動を維持させる要因として良く取り扱われるテクニックになるのですが、SNSでの発信であっても行動維持に寄与するのだなと感じています。
2点目の無理なペースでやらないというのは私は週1回しか更新していません。
「毎日更新しなければいけない」などの難しい、無理のかかるハードルを設定してしまうと燃え尽きてしまうかもしれないため、自分自身の出来る範囲の中でハードルを設定して習慣に取り入れるようにしました。
3点目はブログの場合アクセス解析と言って1日にどれくらい自分のブログが見られているのか数字で出てくるのですが、嬉しいことに私のブログは毎日結構な人数の人が訪れてきてくれていて、読んでくださっています。
このようなたくさんの人に読んでもらっているという結果が出ることも「ブログ執筆」という行動を習慣に取り入れることができた理由でしょう。
以上、長くなってしまいましたがいかがだったでしょうか?
私見いっぱいで論を書いてきましたが、楽しかったです。
思考が固まること、行動パターンの柔軟性がなく変化がないことについてまた別のご意見をお持ちの方もいらっしゃると思いますので、是非Twitterなどからご連絡をお待ちしております。
【参考文献】
・ Paul A. Albert & Anne C. Troutman (1999) Applied Behavior Analysis for Teachers:Fifth Edition【邦訳 佐久間 徹・谷 晋二・大野 裕史 (2004) はじめての応用行動分析 二瓶社
・ Raymond .G .Miltenberger (2001)Behavior Modification : Principles and Procedures / 2nd edition 【邦訳: 園山 繁樹・野呂 文行・渡部 匡隆・大石 幸二 (2006) 行動変容方入門 二瓶社】
・ William Timberlake・James Allison (1974) RESPONSE DEPRIVATION: AN EMPIRICAL APPROACH TO INSTRUMENTAL PERFORMANCE. Psychological Review Vol. 81 No. 2 p146-164