ABA:応用行動分析コラム13では私が「精神疾患」についてどういう状態と捉えているかを書いていきましょう。
また精神疾患とまでは行かなくとも「精神的に参っている状態」などにも共通する点があると思いますので、この点も書いていきます。
私はカウンセラーという職業に既に15歳の頃には興味があり、そこから心理学を学びたいと興味を持って生きてきました。
現在30代ですがフリーランスの臨床心理士として生活しています。
生まれ変わったら、同じ仕事したい?
当たり前やろ!
こう即答できるほど心理に惚れ込んで、ブログタイトルやTwitterの紹介にもあるように現在はフリーランスの臨床心理士として心理学分野のABA(応用行動分析)をベースに仕事をしています。
社会人になってから主に自閉症の療育を行うことが多かったですので、本ブログは自閉症療育ブログとして立ち上げました。
しかし自閉症以外の精神疾患を全く扱わないというわけではございません。
このブログページではABA自閉症療育の枠を超えて「精神疾患」について私の思うところを書いていきましょう!
このブログページでは精神疾患について書いていきますがもし、「それは見当違いだよ」などご意見ありましたら是非Twitterからご連絡ください。
どうぞよろしくお願いいたします!
精神疾患についての基礎
この項は前置きです
この項の次の項で「精神疾患」についてどのように捉えているかを書いていきます
「精神疾患」である、とは「診断」がついた状態です。
「精神疾患」の診断はアメリカ心理学会の出している「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)」やWHOの出している「International Classification of Diseases(ICD)」と呼ばれる基準によって診断基準が設けられているのですが、
例えば精神疾患として有名なうつ病の場合を例に出すと診断基準である「喜びの減退」や「気力の減退」などが今日だけ症状があるということで診断がつくわけではありません。
「精神疾患」の診断には、症状が一定期間の間持続している必要があり、診断が付くためには「特定の状態」が「特定の期間」継続している必要があるのです。
DSMやICDの診断基準には「うつ病」「不安障がい」「強迫性障がい」「パニック障がい」「自閉症」「ADHD」など、本当にさまざまな診断基準が羅列され、みなさんが聞いたことがないような診断名も載っています。
例えば「パラフェリア障がい」などは、あまり聞き覚えがないでしょう?
精神疾患は上に書いたように「DSM」と「ICD」という2つの大きな診断基準の他に、いろいろなバックグラウンドを持つ研究者(ABAもその1つ)が「うつ」や「不安」、「自閉症」など精神疾患にあたるものを解釈するため理論を構築しています。
さまざまなバックグラウンドからの疾患理論はDSM、ICDという2種類以上に多く種類があるのです。
このように疾患に対して理論が多岐に渡って存在することは精神疾患領域の特徴と言えるでしょう。
「DSM」と「ICD」は時代によって常にアップデートされています。
アップデートによって無くなってしまう診断名もあり、例えば「アスペルガー」という診断名は無くなってしまいました(参考 Ferhat Yaylaci・Suha Miral, 2017)。
「DSM」は2013年に最新版にアップデート(現在2021年)されたのですが、このときに現行にあったICDとの食い違いの評価をきちんとやり直す試みもされたようです(David J. Kupfer・Michael B. First・Darrel A. Regier, 2002)。
またこれは精神疾患ではない例えば癌などの身体疾患でも言えることですが、精神疾患があったとしても他に健康的な部分が併存していることは忘れてはいけません(参考 石垣 琢磨, 2005)。
石垣 琢磨 (2005) は心理的異常は発達過程、あるいは対人関係や所属集団のあり方との関連で生じてくることが多いと述べています。
「(ABA自閉症療育の基礎67)自閉症診断、ABA自閉症療育にどう活かす?自閉症診断をどう捉える?(https://en-tomo.com/2020/12/20/autism-diagnosis-intervention/)」
で自閉症児の診断について記載をしましたが精神疾患の世界では全ての疾患がそうだとは言いませんがほとんどは、
精神疾患の診断がついた時点で、その診断に対して支援決定が確立していないことは1つの問題でしょう。
これは診断が下りたとしても「じゃあどうする?」というベストな回答を明確に示してもらえないことが多いということです。
必要であれば自分でエビデンスを検索することもできますが、基本的にはメタ分析などのエビデンスヒエラルキーの高い研究は英語で書かれているでしょう
あまり声を大にして言わないかもしれませんが、私は精神疾患については症状を緩和し、生きていくための弊害とならないような結果をもたらすよう支援することは可能だと思っています。
「治った」という状態を定義することが難しいと思いますが、幸せな人生の弊害にならないよう支援することは可能です。
セラピストの技量にもよりますが、現代までさまざまな疾患に対しての有効なアプローチが開発されてきました。
だから例えばパニック、強迫、うつ病、不安障がい系など諦めないで大丈夫!
精神疾患支援のゴールとは何か?症状の軽減なのでしょうか?それとも今よりも生きやすくなること?
近年では症状の軽減を目的としないアプローチも注目されてきています。
例えば「抑うつ」や「不安」などを「取り除くべきもの」と捉えるのではなく、これらは存在して当たり前のもので共存していく中で自分の価値に沿った生き方をいかに選択できるか?という方法が存在します(結果的に抑うつや不安は軽減されることが多いようです)(参考 Steven C. Hayes・Kirk D. Strosahl・Kelly G. Wilson, 2012)。
上の参考文献は「ACT(Acceptance & commitment therapy)」と呼ばれる行動療法ベース(ABAも行動療法の1つ)の支援を紹介した書籍ですが、ACTは近年注目されて来ました。
Russ Harris (2009) を参考にすればACTのモデルは本質的に楽観的であり、ACTでは「想像を絶する痛みや苦しみの中でさえ、生きる意義や目的、活力を見出すことはできる」と考えられているようです。
※ ACTの理論的背景の研究も知っていますが、理論的には個人的には正しいと思います
私は現在専門的に言えばACTをメインに扱っているわけではありませんが、あえて言うならば機能分析ベースで正の強化を取りに行くための行動拡大を狙った支援(阻害要因に対してはSSTとエクスポージャーを主に使う)を行って支援をしています(これを聞いてもなんのこっちゃって感じだと思いますが・・・(^^;))。
あとちょっと動機付け面接(MI:Motivational Interviewing)というABA、行動療法とは違うバックグラウンドから産まれたテクニックも使用するのですが、最近はABAの中のACTに少し興味が出てきました。
私は精神疾患についてどう捉えているか?
さてここから本題で私自身が精神疾患についてどのように捉えているかをご紹介します
精神疾患は「異常なのかどうか」ということとは少し違う答えかもしれませんが、私の持っている精神疾患のイメージを2点ご紹介しましょう。
1点目:自分か周りの人が困っている
私が持っている精神疾患のイメージは「自分か周りの人が困っている」ということです。
「当たり前やろ!」と思うかもしれませんが、まぁまぁちょっと聞いてください。
「自分か周りの人が困っている」と言っても以下に示して行くようにいろいろなパターンがあります。
例えば「うつ病」や「不安障がい」、「強迫性障がい」、「パニック障がい」などによって社会生活が限定され、本来の自分が過ごしたい生活が送れなくなること。
このような状況は「自分が困っている」状態と言えるでしょう。
本人も頭の中で「何かおかしい」と自覚しながら、自分でも変だと思いながら、同じことを繰り返してしまい、結果的に変化がない・もしくは悪くなっていると感じてしまいます。
最善策だと思って行っているその行動、いつもの対処は?
たまに・もしくは短期的には解決したように感じることもあるでしょう。
しかし振り返るとやはり上手く解決しないことが多いことに気がつき、ほとんどの時間で上手く行かない感じにずっと悩まされてしまう。
「周りの人が困っている」パターンでは例えばこのブログで主に紹介してきた「自閉症」の場合など、親御様が困っている・心配しているというパターン。
「自閉症児」本人も例えば「友達ができない」や「先生に怒られるのが嫌だ」と本人が感じているパターンもありますが、特に幼児期の自閉症児については本人はあまり困っている様子はなく、周りの大人が困っているというパターンが多いように思います。
他にも「薬物依存」などは周囲の人が困っていることが多いのではないでしょうか?
両方を兼ね備えた「自分と周りの人が困っている」パターンも存在し、
例えば「薬物依存」の「アルコール依存症」などでは、
「自分自身も社会生活を阻害されているので、アルコールを辞めたい」
と感じながら、例えば仕事ができないことやアルコール摂取時に高まる攻撃性などの影響で奥さんも生活に影響が出て困っている、というパターンもあり得ます。
不安障がいによって生じた「不登校」という症状でも、
「自分自身も学校に行かないことによって生じる将来への漠然とした不安」
を感じながら、例えば学校に行かないことや部屋から出て来なくなることなどで家族も生活に影響が出て困っている、というパターンもあり得るでしょう。
もし私が「精神疾患もしくは心理的支援において一番難しい状態は?」と聞かれたら?
1つの答えとしては「疾病利得(しっぺいりとく)が存在しているとき」と答えます
疾病利得とは、本人にとってその症状があることによって利益を得ている状態のことを言います。
例えば学校に行かない不登校児がいたとして、本人も学校に行かないことで将来への漠然とした不安は抱えているものの、学校にいかないことで得ることができる安心感や家でゲームができる時間から受ける恩恵を享受し、「学校に行く」というモチベーションがあまりない状態で、
且つ親御様側から相談があって「なんとかしてほしい」と言われたケースなどこれにあたりますが、
不登校や引きこもりの場合ほとんどがこのような状態で私の下には相談に来られることが多い印象です。
このような疾病利得が絡む状態では「本人のモチベーション」を上げるところから始まりますので、支援に少し時間がかかります。
逆に「自分が困っている」状態で「自分自身もなんとかしたい」と私の下に相談に来られた場合は「本人のモチベーション」はそこそこありますので、疾病利得が絡んだ状態と比較すると支援の時間は短い印象です。
※ もちろんどの程度慢性化しているか?ということも支援にかかる時間に絡んできます
最後に話は変わりますが例えば「自閉症」という診断があったとしても本人も満足していて、家族も満足して生活している状態もあり得ると思います。
著名人で経済的にも大きく成功している人で「この人は自閉症だろう(もしくは発達障がい)」と言われる人を聞いたことがないでしょうか?
その人たちの多くは結婚をし、子どももいて家庭を持っています。
もしかしたら幼少期、その人をお医者様にみて貰えば「自閉症」と診断がついたかもしれません。
もし診断がつく状態であったとして「本人か周りの人」が困っていなければ「精神疾患ではない」と言って良いのではないかな、と個人的には考えています。
2点目:同じ時間がずっと続くように感じている
私から見れば心が健康な人の時間は動いているものです。
心が健康な人は「時間は動いているもの」という自覚もなく、自然とその中で生活を送っているでしょう。
逆に心が不健康な人は時間が動いていないと自身で、どこかで感じている印象を持っています。
心が健康な人は例えば「1ヶ月後」の自分が全く同じ状態である、とは思わないでしょう。
ただ心が不健康な人は「1ヶ月後」の自分も同じような悩みを抱えている状態と考えていると思います。
時間は動いていくのに自分だけがずっと取り残されるような感覚。
しかしこのような感覚は「心が不健康だからあるのか?」と言えば少し違うような気もします。
例えば私は現在精神疾患を患ってはいませんが、嫌なことがあった日は頭の中でぐるぐるとそのことが回って、夜眠れなくなり、
なんとか解決しようとインターネットで記事を検索したり、動画を探して解決策を得ようと努力することがあるのですがこのような症状が出ることは特別なことではないでしょう。
但しこのような症状が出ている最中であっても私自身、『「1ヶ月後の自分」、「1年後の自分」が同じ行動(症状)を行っているか?』と誰かに聞かれたとすれば、
「いや、そんなことはない」と答えると思います
これは今までがそうだったからです。
でも既に数ヶ月、数年、外に出られない生活や夜眠れないことが続いていれば?
頭の中にいつも浮かんでくる同じ考えや似たイメージが、ほとんどの時間に続いていたとしたら。
自閉症で言えば数ヶ月、数年、言葉が出ない期間があったり、遊びが発達せず手をパタパタとしている期間が続いているとすれば?
抑うつで言えば数ヶ月、数年、なぜか感じる気持ちの落ち込みはなんなのか?
不安で言えばいつも浮かんでくる「そんなことはないだろう」という否定的な気持ちと「多分、大丈夫だ」と自分を励まそうとする姿勢は?一度そう考えることができたのに、また時間が経てばなぜか頭の中に戻ってくる。
このような症状が出ている最中、当人たちに『「1ヶ月後の自分」、「1年後の自分」が同じ行動(症状)を行っているか?』と聞いたとすれば、
「多分、そうだ」もしくは「わからない」と答えるように思います。
これは今までがそうだったからです。
「時間は輪廻しています。だから私たちの心も時間によって変化しますが、心に病を持っている状態では時間は止まってしまっていて、時間が動かないことが心の健康を阻んでいる」
このようなセリフを昔どこかで聞きました(学会だったかな?)。
誰が言っていたのか、定かではありませんが確か学生時代。
この言葉が印象的で精神疾患の専門家として勉強を重ねる中でも「正にそうだな」と思います。
「明日がもっと良い日になる」
ここまでの希望を持って生活できれば良いですが、そこまででなくとも
「明日は何があるかな?」と変化が前提に生活ができる
このような状態で人生が謳歌できるようサポートするため、私自身はこれからもカウンセリングやセラピーを行っていきたいです。
さいごに
みんなどこかで思っている、もしくは耳にしたことがあるだろう「人生は1回しかないから、楽しみたい」という考え方。
みんなどこかで思っている、もしくは耳にしたことがあるだろう「幸せの価値は人それぞれだから、自分自身の幸せを見つけるんだよ」という考え方。
このような生き方が正しいかどうか、ということの検証は難しいですが少なくとも私自身は、自分の1回の人生を大切に過ごしたいと考えています
冒頭、精神疾患とまでは行かなくとも「精神的に参っている状態」などにも共通する点はみなさまにもあるでしょう。
「抑うつ感」や「不安感」があることは自然なことだし、「怒り」「悲しみ」などが心に湧いてくることも通常です。
但し、そういった状態から抜けられない感じがずっと続いて、時間が止まってしまっている感覚がある。
そしてその状態に診断がつくと精神疾患と呼ばれる状態です。
このようなときには専門家に頼ってみても良いでしょう。
結構、しんどいと思いますよ。
そういう状態って。
基本的には精神疾患とはこのような正常の延長線上にある誰しもが陥ることのある疾患と近年は考えられてきているように思います。
自閉症で有名になったキーワード、「スペクトラム」の概念はこのことを示しているものです。
私は医師ではないので「診断」をつけることはできません。
全てではないかもしれませんが基本的には精神疾患はなんとかなる、そういう気持ちで私自身は精神疾患をなんとかしたいと思って、私は精神疾患についてこのように捉えて活動をしています。
誰かの生活、健康、自由を阻む心の病があったとき、その病を解消し、自分の1回の人生を大切に過ごすためのサポートができるようこれからも技量を上げ、勉強に励んでいきたいです。
【参考文献】
・ David J. Kupfer・Michael B. First・Darrel A. Regier (2002) A RESEARCH AGENDA FOR DSM-Ⅴ 【邦訳: 黒木 俊秀・松尾 信一郎・中井 久夫 (2008) DSMーⅤ研究行動計画 みすず書房】
・ Ferhat Yaylaci・Suha Miral (2017) A Comparison of DSM-IV-TR and DSM-5 Diagnostic Classifications in the Clinical Diagnosis of Autistic Spectrum Disorder. Journal of Autism and Developmental Disorders. 47, 101-109
・ 石垣 琢磨 (2005)異常の定義【中島 義明・繁桝 算男・箱田 裕司 (2005) 新・心理学の基礎知識 Psychology:Basic Facts and Concepts 有斐閣ブックス p464-465】
・ Russ Harris (2009)ACT Made Simple: An Easy-To-Read Primer on Acceptance and Commitment Therapy 【邦訳: 武藤 崇・岩渕 デボラ・本多 篤・寺田 久美子・川島 寛子 (2012)よくわかるACT アクセプタンス&コミットメント・セラピー 星和書店】
・ Steven C. Hayes・Kirk D. Strosahl・Kelly G. Wilson (2012) Acceptance and Commitment Therapy The Process and Practice of Mindful Change 【邦訳: 武藤 崇・三田村 仰・大月 友 (2014) アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版 星和書店】