今日はABA:応用行動分析学コラム第7弾。
先日、スーパーに行くために道を歩いていていて、昔、学生時代に仲の良かった先輩の言っていたことを思い出し「これでブログ書いてみるか」と思った次第です。
私の場合、構想→下書き→本作成などしていると、だいたいアップまで1週間くらいかかるので、写真はだいたい1週間くらい前かな?
並行して2本くらいを書くので週に1−2本アップ、というのが今のペースです。
今から先輩のお話をしますが、
そのエピソードについていわゆる心理的支援「CBT」と「ABA」ではどのように捉え扱っていくという違いがあるのか?
私の思う「違い」について書いて行きましょう
このブログページでは先輩に似たクライアント様がいらっしゃった場合の仮想事例です。
先輩とのエピソード
まず最初にその先輩についてお話しいたします。
その先輩は、もう10年以上前ですが、
先:俺は誰にも嫌われたくない
と話していました。
私:え?100人中100人に嫌われないってことですか?
今思うとちょっと意地悪な言い方かもしれませんね・・・。まぁ、気になったことを聞いた感じでした。
先:うん。100人いたら100人に嫌われたくない
と先輩が言ったのでいろいろとその後、話を聞いていったのですが最終的に、
私:それ、人生つまんなくならないですか?
と言いました。
これもちょっと意地悪ですね。。。
先輩は「そんなことない」と言っていましたが、
当時の私の印象としては「100人中誰からも嫌われない生き方」というものは、主張もできず相手に合わせるだけで、
決して魅力的な生き方とならないだろうという印象があったためにそのように言った記憶があります。
また先輩は人に嫌われるということに過度に恐怖を感じていて、先輩は「人に嫌われるのが怖い」とも言っていました。
「人に嫌われる」のは私も嫌ですが、「合わない」という範囲のことまでも先輩は恐れていたように思います。
その先輩が現在もそのような想いをもったまま生活しているかどうかはわかりません。
住んでいる場所も数百キロ離れており遠く、卒業してから10年以上1回も会っていないですが、個人的には好きな先輩で仲良くさせていただいていました。
とても良い人でした。
今会っても気兼ねなくお話しできると思います。
嫌われているという現象を確認することは実は難しい
さて「相手に嫌われる」というシチューションを少し掘り下げて考えていきましょう。
「相手に嫌われている」という確信は相手の頭の中を外科手術で割ってみてもわかりません。
嫌われているという現象を確認することは実は難しいいうのは、
上のイラストのようなこともまぁ、無いわけではないでしょうが基本的にはあまり起こり得ないのではないかなと思うのからです。
ということは相手の行動から判断する必要があります。
ちなみに私は「多分、この人には嫌われているんだろうな」と思うことはありましたが、
直接的に「お前のこと嫌い」とは言われたことはありません
相手の行動から判断するとなると例えば、
他の人にしていることを自分とは行ってくれない
などでしょうか?
例えば、
・ しゃべりかけると露骨に嫌そうな顔をする(他の人には笑顔なのに)
・ 他の人とは食事に行くけれども自分とは行ってくれない
・ あいさつを自分にだけしてくれない
など?
他には
・ 知り合いに「俺、あの人のこと嫌いだから、旅行には誘わないで」と言ってたのを又聞きする
・ 俺あの人苦手なんだよと言っている話をたまたま聞いてしまった
など間接的に直接言われている内容を聞いてしまうなどもあるかもしれません。
他にも、
「嫌われている」ということを否定できることとして「嫌われていない(普通、もしくは好かれている)」ということを確認することもできそうですね。
例えば、
・ 困っているときにちょっと助けてくれた
・ ものを貸してくれた
・ 笑顔で話しかけてみて、笑顔で話しかけてくることを確認できた
・ 第三者に「俺、あの人にあんまり好かれてないかなー?」と聞いてみる
嫌いな人も社会的な目もあるので「助ける」「貸す」「笑顔を返す」、また第三者も気を使って「そんなことないよ」と言ってくれるかもしれませんが、1つの嫌われていないか確認する方法かもしれません。
「CBT」と「ABA」、嫌われたくないことにどうアプローチする?
前置きが長くなりましたがここから本題です。
ここまでをまとめると、
・ 私は「100人中誰からも嫌われない生き方」というものは、主張もできず相手に合わせるだけで、決して魅力的な生き方とならないだろうという印象を持っていた
・ 「嫌われている」を確かめるためには何かしらの行動を確認する必要がある
・ 「嫌われている」を否定するために「嫌われていない(普通、もしくは好かれている)」を確認するという方法もある
という内容でした。
ここから2つの方向性の話を書いていきたいと思います。
1つは「CBT::Cognitive behavioral therapy(認知行動療法)」、
そしてもう一つはこのブログでずっと書いてきている「ABA:Applied Behavior Analysis(応用行動分析学)」です。
私も「あなた、嫌われる方が良い?嫌われない方が良い?」と聞かれたらそりゃ「嫌われない方が良いです」と答えますが、もしこのようなことで困っている人がいるとすれば?
「CBT」と「ABA」ではどのように考えていくのでしょうか?
私の持っている「CBT」と「ABA」のイメージ・知識から解説をしていきましょう。
※ それは違うよ!という人がいたらTwitterからご意見をお待ちしております
CBT簡易解説
「CBT::Cognitive behavioral therapy(認知行動療法)」とは「認知療法(Cognitive therapy)」と「行動療法(behavioral therapy)」をMIXさせたアプローチです。
このブログで書いているABAは山上 敏子 (2007) を参考にすると「行動療法」の1つとなり、以下のイメージ
CBTは上のように認知療法と行動療法をMIXしたアプローチなのですが、例えば認知療法と行動療法は全く異なるルーツから発しており、
日本行動分析学会 (2019) を参考にすれば、
行動療法は科学的な心理学、行動主義や徹底的行動主義から研究されてきた知見を臨床場面に応用し発展してきましたが、
認知療法は精神分析の発展型でありアーロン・ベックがうつの患者に精神分析的な方法を適用しても改善しないことから、知覚や認識の仕方が改善の鍵であると考えたことから発しています。
以上のように「認知療法」とはアーロン・ベックが開発した治療法で特にうつ病に対して効果を上げてきた治療法です。
Aaron T. Beck・A. John Rush・Brian F. Shaw・Gary Emery (1979) は認知の三要素は、自分自身、自分に将来、自分の経験に関してその人特有のやり方で導くような三つの大きな認知パターンから成り立っていると述べました。
認知療法では情報処理モデルというモデルを採用していて、感情的に苦痛を感じているときには否定的な先入観にとらわれていて、正常な情報処理能力に問題が生じがちと考えるのです(参考 Michael Neenan & Windy Dryden, 2006)。
このような認知療法の系譜からなのか、CBTでもうつや不安を「問題」と捉え、問題があるから、その問題を取り除いて解決していこうという方向性で物事が進められます。
CBTでは「問題があるから、その問題を直し、以前の状態(正常)に戻す」という方向性で支援を行なっていくと考えるのですが加えて、
CBTでは様々な精神疾患、例えば「うつ」、「社交不安」、「強迫性障がい」などに対しての認知モデルも考案されており、そのモデルに沿った形での支援を行なっていくことも特徴的です。
Berni Curwen・Stephen Palmer・Peter Ruddell (2000) は思考が、行動と感情を、さらに場合によっては生理的反応をも導くということが認知行動療法(※ CBT)の基本的前提となっており、
そこで認知行動療法ではさまざまな心理的問題を乗り越えるためクライアントは自分自身の考え方を変える必要があると述べました。
また例えばBerni Curwen他 (2000) は不適切な思い込みをするクライアントに対して、認知行動療法のセラピストであればこのクライアントに対して、まずそう考えてしまう理由や証拠は何であるか考えるように促すでしょう。
もしその証拠がない場合には、そこからさらに進んで、そのような思考の底にある思い込みや考え方の根拠を取り除くように試みるでしょうと述べています。
認知行動療法ではこのように適切ではないことを修正しよう、という方向で介入を進めていくことが特徴的です。
嫌われたくないという考え方の先輩にCBTを適用する
これは仮想事例です。
上で紹介をした「誰にも嫌われたくない先輩(のような人)」に登場していただきましょう。
今回の仮想事例では先輩のような人が私のカウンセリングを受けに来たとします。
彼も先輩のように「誰にも嫌われたくない」、「人に嫌われるのが怖い」と言っており100人いたら100人に嫌われたくないと思っている人です。
もしこの人が「人から嫌われる」ことを恐れるあまり、日常生活に支障をきたしていたら?
それは例えば、
・ 頼み事を断れなくて疲れる
・ 辛いときもいつも笑顔でいるように無理をしている
・ 嫌なことをされても笑顔で愛想を振りまく
などのことにより、気疲れしていたら?
上のオレンジの項目は、私自身は疲れてしまう生き方だと感じます・・・
CBTを適用していくならば、
・ 嫌われたくないというのは何故か?
・ 嫌われるとどのような怖いことが起こるのか?
などを聞いていき同時に
・ 自分(先輩)がこれをすれば嫌われると思っていることを実際にやってみて、本当に嫌われるかどうか実験する
ということも行っていくでしょう。
事実かどうか検証し、物事の捉え方を変えていくことを狙います。
このような流れの中で面接を展開していき、1つのゴールとしては、
嫌われることに対しての嫌悪感・恐怖・不安を低減させる
嫌われるという思考を回避するために、今まで我慢していた「頼み事断る」、「いつも笑顔でいない」、「いつでも愛想を振りまかない(怒っても良い)」が行動として実行できるように
他の人は別に「頼み事断る」、「いつも笑顔でいない」、「いつでも愛想を振りまかない(怒っても良い)」を行なっても嫌われていない人も多いことに気がつき、正常な判断ができるように支援していくということが本筋になるでしょう。
このようにCBTでは「考え方や行動などに問題があり、その問題を直し正常にする」という方向性で支援を行なっていきます。
これはこれで1つの解決ルートですね。
このような支援によってその人の人生が豊かになれば、CBTをやって良かったと支援した側も嬉しい気持ちになると思います。
クライアント様がご満足していただければ、
実際に、もちろんクライアント様と話し合いながら進めて行きますが、以上のターゲットを見据えて行動が広がっていった場合、気持ちは楽になり、行動レパートリーの拡大に繋がるのです。
ABAで「嫌われたくない」をどう捉えるか?
問題行動とは何か?
「(ABA自閉症療育での行動の見方2)死人テスト・行動の過剰と不足(https://en-tomo.com/2020/06/29/behavior-view-base/)」
で「死人テスト」と「行動の過剰と不足」について書きましたが、「行動の過剰と不足」について、
Jonas Ramnerö & Niklas Törneke (2008)は行動が過剰すぎても、不足すぎてもそれは問題行動になると述べています。
行動が適切かどうかは型も大切ですが、量も大切なですね。
先輩の状態は人から嫌われない行動の過剰により、「人から嫌われる」ことを恐れるあまり、日常生活に支障をきたし心労がかかっている状態だとしましょう。
周りはいつも本人がニコニコしているので感じていないかもしれませんが、この状態は大変お辛いと思います。
CBTは適切ではないことを修正しよう、という方向で介入を進めていくことを目的としましたが、ABAではどのように考えるでしょうか?
「この世に、確実に人を苦悩から開放してくれるようなものは存在しない」
このちょっと衝撃的なフレーズはSteven C. Hayes・Kirk D. Strosahl・Kelly G. Wilson (2012)の著書の本編1番最初に書いてあるフレーズ、
これはABAの専門書です。
「ACT:Acceptance and Commitment Therapy(アクト)」と呼ばれるABAの一つの技法を紹介した本ですが、
Steven C. Hayes他 (2012) はACTのアプローチがゴールとして目指す健康的な人生とは、良い気分を感じることよりも、良い感じ方をすることである。快い思考や感情と同時に不快も持っていることは心理的に健康なことと言える、と述べました。
不快を強調文字にしましたがABAの一つACTでは「不快」な思考や感情も「正常である」という枠組みの中で支援を行います。
CBTでは「不快」は「適切ではないので修正をしよう」という対象です。
ABAとCBTの違いを聞いてCBTの方が自然な考え方に思え、「え?不快も正常なの?」と少し違和感を感じるかもしれません。
しかし実際、考え方や情動をコントロールしようとすることはとても難しいです。
コントロールすることが難しい理由の1つを、例えば
「ABA(応用行動分析)では「怒るな」「悲しむな」はナンセンスですよー情動と行動(ABA応用行動分析コラム6)(https://en-tomo.com/2021/01/14/aba-column6/)」
に記載しました。
ABAにはACT以外の方法も存在します。
その他のABAの手法も含めて考えたとき、私の思う主なCBTと違うABAの特徴としては、
(1)問題行動を認知モデルなどのモデルを作り見ることなく個人が置かれている先行刺激と結果の文脈から機能的に分析していくということと、
(2)正の強化による行動のコントロールを最重視することです。
機能的に分析して解決を目指すとはその人の診断・疾患などでに重きを置いて分析するのではなく、
その人がどういった環境との相互作用の文脈の中で生活している(どのような目的を持って行動している)のかを分析するという意味で、先行刺激と結果の関係からその人の行動の目的(意味)を分析し、理解して介入を組み立てていくことと言えるでしょう。
※ 診断を全く無視するというわけではありません
正の強化による行動のコントロールを最重視するということは、
本人にとって困っていることの改善を主目的とするのではなく(もちろん軽視はしないが)、あくまで主目的は本人が正の強化となる行動を強めて、拡大していくことで本人の満足度を高めて行くことです(結果として困りごとが改善することが多い)。
正の強化による行動コントロールは言い方を変えるとすれば
「本人の価値(強化)に沿った生活を一緒に寄り添って考え目指す」と言い換えられると思います
今回は自閉症の療育ではなく大人へのABAとなりますが、ABAは自閉症児に適用するときも大人に適用するときも、
機能的に環境の前後から問題行動を分析し、本人が正の強化を適切に取れるように生活していくことで解決を目指して行くという点で同じですね。
嫌われたくないという考え方の先輩にABAを適用する
仮想事例でまた上で紹介をした「誰にも嫌われたくない先輩(のようなクライアント様)」に登場していただきましょう。
もしこの人が「人から嫌われる」ことを恐れるあまり、日常生活に支障をきたしていたら?
ABAを適用していくならば、
・ 嫌われたくないというのは何故か?
・ 嫌われるとどのような怖いことが起こるのか?
面接の中で同じような質問をしていくでしょう。
しかし例えばそこから「人に嫌われるとすごく不安な気持ちになる」や「親から人に好かれないといけないと昔から言われてきたから」など本人なりの苦悩が語られた場合、
CBTではここから本人の考え方が正しいかどうかを検証していくことになるでしょう。
CBTではその考え方や物事の捉え方が本当かどうかを話し合って行きます。
「適切ではないので修正をしよう」と問題解決に焦点を当ててカウンセリングを行なっていくからです。
ABAは?
例えば「嫌われないことで、あなたはどんな風になりたいのか?(どのようか強化を受けるのか?)」というところも重点的に聞いていくでしょう。
このような質問をしていく中で「人との良好な関係が築きたい」や「信頼できる人間関係が欲しい」など本人にとっての「正の強化子」をアセスメントして行きます。
正の強化での行動のコントロールはABAでは非常に重要です
ABAでは、
「本人にとっての強化子(価値)」は何か?
今、強化子を取りに行けていない状況は他のどのような行動が強化(もしくは抑制)されているからか?
狙いとしては強化子を具体化し行動する動機付けを上げ、強化子を取りに行けていないのであれば状況を機能分析をして方法を探って行きます。
そして「人との良好な関係が築きたい」や「信頼できる人間関係が欲しい」ということは本人にとって具体的にはどういうことか?
・ 気軽に電話をしても、しっかりと対応してくれる
・ 一緒に計画を立てて旅行に行ってくれる
など、ここであげられる強化子は人それぞれでしょうが、強化子を取りに行く行動を一緒に進めて行きます。
そのときに成功しそうかどうか?をSSTなどを通して必要であれば練習をするし、
嫌悪感や不安が強すぎる場合にはエクスポージャーやマインドフルネス(※ 現在私はマインドフルネスはできません)によってそれらを弱めることで正の強化を取りに行きやすいよう設定することで支援するでしょう。
私はABAでのエクスポージャーやマインドフルネスの狙いは、本人が「正の強化」を取りに行く行動が出現しやすくなることを目的とした技法であると捉えています。
例えば支援でエクスポージャーを使用する目的は「不安を下げる」ということなのですが、それによって正の強化を取りに行くことが主目的です。
私が思うABAの肝は、
CBTのように「考え方や行動などの問題を修正する」という方向性で支援を行なっていくのではなく、
本人が生きたい生き方ができる(正の強化が取りにいける)ように行動することを支援し、結果として問題になっていたことの解決を目指す
という点になります。
問題を修正することを最重要視するのではなく、あくまで正の強化を取りに行くことを目的にするABAの目指すこのルートも、CBTとは違った1つの解決ルートだと思います。
実際に以上のターゲットを見据えて行動が広がっていった場合、ABAでもCBT同様、気持ちは楽になることが多いでしょう。
さいごに
当時私は先輩から「100人中誰からも嫌われない生き方」というものを聞いたときに「それ、人生つまんなくならないですか?」と返したのですが、これは言い方を変えれば、
あなたの生き方ってつまらなくない?と否定的な意見を返したことになりますね。
今思えば個人として持っている先輩の生き方の魅力や価値観を私自身の枠に当て嵌めて捉えてしまった、というところは反省点です
あれから時間も経ち、現在ではそのように思いますし、今先輩からそのように言われたら、
今は「面白いですね。それって、なんでですか?どういったことが魅力なんですか?」とか、もっと違った返答ができたと思います。
100人に嫌われることを拒む生き方を、私自身は自分がそのような生き方をすることは生き辛いと思ったために、
そう生きたいと思っている何かしら価値や理由に触れることなく、
実は深く話を聞いて行くともっと裏に隠された本当の価値に触れることができたかもしれないのに、
面白い話が聞けたかもしれないのに、
その生き方について、簡単に深めず話を聞いた段階で「つまらない」と自分の枠にはめて否定をした。
自分のためにもならなかっただけでなく、先輩にも申し訳なかった。
先輩は笑っていたけれども、
理解することを、知ることのチャンスを、自分の枠に嵌める中で失ってしまった。
今思うのは、自分の枠に嵌まらない生き方を他の人はするし、それを認める。
個人の持っている強化子に添って、個人が独自の魅力的な生き方をすれば良い。
その生き方はきっと魅力的で、自分とは違う生き方を知ることを、私は楽しいと感じる!
これはABAを学んでいく中で感じた、1つの想いです。
私は人生の中で自分のスキルが上がっていくことに魅力を感じますが、隣の人は良好な人間関係を築くことに人生の魅力を感じるかもしれません
私も隣の人もそれぞれの価値観を否定することなく肯定し、それぞれを尊重し、「あなたはそうなのね」と、
私たちはそのように生きているはずで、
私はそのように生きたい
ブログページではABAとCBTについて、私の思う、それぞれのカウンセリングの方向性を書いてきました。
「で?結局、あなたはどっちのカウンセリングをお勧めするの?」と言われると「うーん」、なかなか難しい問いですね。
ここからは今の私の気持ちですが、
CBTはかなりのエビデンスの蓄積があり、ABA自閉症療育が海外で保険適用となっているように「うつ」などの精神疾患はCBTは海外で保険適用となっているようです。
また2021年現在、日本でも医師がCBTを行う場合は保険適用となるのですが、私たちカウンセラーが行う場合は保険適用とはなりません。
「公認心理師」という国家資格も出てきていますので、今後、このところの制度が変わって行くとよいなぁ、と勝手に思っています。
対してABAでのカウンセリングはCBTと比較すると2021年現在では精神疾患のエビデンスは無いようですが、積み上げてきた基礎研究から生み出される介入法は理論的にものすごく魅力的です。
個人の正の強化を最大化する(個人の価値に沿った)生き方を提供するというABAの理念に共感します。
以上のようにどちらも良いところがあり、
そのためどちらが良い!と今、ハッキリとお伝えすることが難しいです。
ちょっと小難しい内容となってしまいました。
みなさんはどう思われたでしょうか?
よろしければTwitterからご意見等をお気軽にいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします!
【参考文献】
・ Aaron T. Beck・A. John Rush・Brian F. Shaw・Gary Emery (1979) Cognitive Therapy of Depression 【邦訳 監訳:坂野雄二 共訳:神村 栄一・清水 里美・前田 基成 (2007) うつ病の認知療法<新版> 岩崎学術出版社】
・ Berni Curwen・Stephen Palmer・Peter Ruddell (2000) Brief Cognitive Behaviour Therapy 【邦訳 監訳:下山 晴彦 (2004) 認知行動療法入門 短期療法の観点から 金剛出版】
・ Jonas Ramnerö & Niklas Törneke (2008)The ABCs of HUMAN BEHAVIOR:BEHAVIORAL PRINCIPLES FOR THE PRACTICING CLINICIAN 【邦訳: 松見純子 (2009)臨床行動分析のABC 日本評論社】
・ Michael Neenan & Windy Dryden (2006) Cognitive Therapy in nutshell 【邦訳 監訳:大谷 彰 訳:玉井 仁 (2007)わかりやすい認知療法 二瓶社】
・ 日本行動分析学会 (2019) 行動分析学辞典 丸善出版
・ Steven C. Hayes・Kirk D. Strosahl・Kelly G. Wilson (2012) Acceptance and Commitment Therapy The Process and Practice of Mindful Change 【邦訳: 武藤 崇・三田村 仰・大月 友 (2014) アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版 星和書店】
・ 山上 敏子 (2007) 方法としての行動療法 金剛出版