「先生、この子は興奮すると奇声を出すんです。困っています」と、
このようなご相談をお受けすることがあります
自閉症療育、特にABA自閉症療育を行う上で、このようなことを聞いたとき、考えたときに少し個人的には「疑問」に思って欲しい観点があるのでご紹介させてください。
その疑問とはブログタイトルにもある「興奮していたから奇声をあげたと判断したのか、奇声をあげたから興奮していると判断したのか」ということです。
今回はこのことについて書いて行きましょう。
まず最初に「興奮していたから奇声をあげる」と判断するとき「興奮」は行動の容態を示す言葉ではないことを書いていきます。
そしてその中で1つの仮説以外に別の仮説を持つことの大切さについて書いていきましょう。
また実はABA自閉症療育では「興奮」などの状態ではなく「奇声」と言った行動の容態を示す言葉を使った方が解釈・分析・介入方法の選定が楽になることも書いて行きます。
最後に「興奮を主な原因として考えた場合、建設的ではない」という項目タイトルで、その理由として循環論に陥ってしまうから、ということを書いて本ブログ記事の内容は終了です。
興奮していたから奇声をあげる、以外の観点も持つ
お子様が行った行動の原因を考えるとき、ABA自閉症療育を行うご家族様へ私から1つアドバイスを送るとすれば、
その行動の原因に対して「別の仮説も立てる」ということを伝えたいです。
またそのときに立てる仮説は原因を状態(例えば興奮)ではなく行動として捉えて観察できるような形で考えられるとより良いでしょう。
例えば統計研究に「対立仮説(たいりつかせつ)」という用語があります。
統計の研究では仮説を立てて検証をするのですが、例えば「差がない」という仮説を立てて研究をするとき、逆に「差がある」という仮説も立てて統計研究を進めて行きます(参考 Stephen B. Hully・Staven R. Cummings・Warren S. Browner・Deborah G. Grady・Thomas B. Newman, 2007)。
このように統計研究では仮説を検証する際に検証したい仮説とは別の仮説も立て、研究を進めて行くのですが、
行動の原因を探るときも1つの仮説だけでなく別の原因の仮説も頭の中で描くようにすることが良いでしょう。
そのときに立てる仮説を建設的にするために、例えば原因を状態(例えば興奮)ではなく、行動として捉えて観察し易くすることが大切です。
「興奮していたから奇声をあげたんだ!」という解釈はそのときのお子様の状態が感情がたかぶっている様子に見えていることから、
そもそもそのように捉えやすいシチュエーションだとは思います
しかしあえて別の仮説も立てるようにしましょう
別の仮説を立てるということは「興奮していたから奇声をあげたではない」と今ある仮説を一度否定し、別の可能性を考えることです。
例えば、簡単なのは原因と結果を逆にしてみます。
「興奮していたから奇声をあげたんだ!」ではなく「奇声をあげたから興奮していると判断した」と原因と結果を反対にするのです。
「奇声をあげたから興奮していると判断した」と考えたとき、そのように考えることにどのようなメリットがあるでしょうか?
一度振り返って、「興奮していたから奇声をあげた」と解釈した場合の対処法略を考えてみましょう。
「興奮していたから奇声をあげた、だから興奮させないようにする」というのはこの場合のシンプルな対処法略です。
他にも「興奮していたから奇声をあげた、だから興奮しても奇声をあげずに静かに話すようにする」なども考えられる対処方略でしょうか。
この場合「興奮」が「奇声」の主な原因となっていますので、「興奮」がきっかけです。
実はこのようなタイプの対処法略は介入を行おうと思っても難しいことが多いでしょう。
難しい理由として個人的に考えられるのは、「興奮」というものは一定時間続くもので、またさまざまな行動の容態を示す状態を現した言葉だからだと思います。
では、「興奮していたから奇声をあげたんだ!」ではなく「奇声をあげたから興奮していると判断した」と原因と結果を反対にしてみたらどうなるでしょうか?
奇声をあげたから興奮していると判断したと考える
「奇声をあげたから興奮していると判断した」と解釈した場合の対処法略を考えてみましょう。
奇声は興奮と比べると持続時間が短く、また「大きな声を出す」という意味で容態は限定されています。
この場合は「奇声」が「興奮している」と判断する主要因です。
興奮と比べると奇声は「はじまり」と「おわり」がはっきりとしており見た目もわかりやすいので、「奇声の前後」を文脈を分析に織り込みやすくなります。
例えば興奮の場合は奇声以外にもバタバタと走り回ったりジャンプを繰り返すなどさまざまな容態が興奮という状態であると判断することに含まれるため、
「ん?ちょっと興奮し出してきたか?」とか「あれ?もう興奮は終わったのか?」など興奮状態である判断が難しいです。
比べて分析対象を「奇声」と絞ってしまえば、バタバタと走り回ったりジャンプを繰り返すなどの他の行動を無視して考えることが可能となります。
「はじまり」と「おわり」がはっきりとしている奇声を主な原因として考えるとき、どのように対処法略を組むことが可能となるでしょうか?
ABAでは行動には「機能(目的)」があるという行動の見方があります。
機能を探るために「行動の前後に何が起こっているか」という着眼点で分析をすることがしやすくなるでしょう。
例えばもしかすると、
・ 奇声をあげる前は難しい課題を課せられたときかもしれません(課題が嫌で奇声をあげる)
・ 奇声をあげたあと、落ち着かせることを目的としてYoutubeが与えられているかもしれません(Youtubeが欲しくて奇声をあげる)
・ 奇声をあげたあと、落ち着かせることを目的として抱っこされ、あやされているかもしれません(相手をして欲しくて奇声をあげる)
以上のように前後の文脈を絞り込んで考えることが可能です。
以上のように前後の文脈を織り込むと、対処法略が変わってくることに気がつくでしょう
例えばですが、
・ 奇声をあげる前は難しい課題を課せられたときかもしれません
→ 「やらない」と言葉で拒否することを教える、手を出して拒否のジェスチャーを教える
・ 奇声をあげたあと、落ち着かせることを目的としてYoutubeが与えられているかもしれません
→ 「見る」と言葉で要求することを教える、手を出して要求するジェスチャーを教える
・ 奇声をあげたあと、落ち着かせることを目的として抱っこされ、あやされているかもしれません
→ 「ねーねー」と言葉で要求することを教える、肩を叩いて要求するジェスチャーを教える
このように考えることができます。
「興奮」を主な原因として立てた介入方略、
・ 興奮していたから奇声をあげた、だから興奮させないようにする
・ 興奮していたから奇声をあげた、だから興奮しても奇声をあげずに静かに話すようにする
と比較して具体的で教えやすい目標だと思いませんか?
続けて以下に「興奮」などの状態を主な原因として考えたとき、陥ってしまう建設的ではない考え方についても解説をします。
興奮を主な原因として考えた場合の建設的ではない考え方
本ブログページでは「興奮」は「奇声」と比較して介入方略を立てるときに扱いずらいという内容から、「奇声」として捉えた方が良いよということを書いてきました。
興奮と捉えて対処法略を立てる場合は、
・ 興奮していたから奇声をあげた、だから興奮させないようにする
・ 興奮していたから奇声をあげた、だから興奮しても奇声をあげずに静かに話すようにする
という比較的難しい介入方略を立てることになると思います。
それでも「興奮」を主な原因として考え、介入方略を練る場合は少なくとも興奮している状態をしっかりと定義することから始めましょう。
・ 大きな声を出す
・ 飛び跳ねる
・ 相手の身体の一部を強く握ってくる
例えば「以上の状態が1分以上持続する場合を1回とカウントする、それを興奮状態」であると定義する、などです。
このようにいくつかの行動をまとめて定義するようにします
少し話は変わるが・・・
ここまで興奮のような「状態」を扱うことは難しいと書いてきましたが、状態を扱うことが有効な場合もあるでしょう。
例えば「悲しみ」や「怒り」などの状態を定義する場合などは以上のようにいくつかの行動をまとめて定義することがあります。
以上のように行動をまとめて定義して改善して行くことが有効である場合もありますので、一概に状態を定義して介入方略を立てることが悪いというわけではありません。
例えば行動をまとめて定義して改善を狙うことのメリットの1つとして、複数の行動改善を狙っているので幅広い範囲の改善を目指すことが可能になるでしょう。
特に年齢も進み、生育歴を積み重ね、扱う行動が複雑になっていった場合はまとめて定義することが有効なように感じます。
本題、ABA自閉症療育で主に対象となるのは幼少期に話を戻すと・・・
しかし本ブログはABA自閉症療育をテーマにしており、ABA自閉症療育で主に対象となるのは幼少期のお子様です。
この場合、まだ生まれてから経験した経験値がそこまで蓄積されているというわけではないので、
生育歴の短さから一旦はここまで示してきたように「興奮」ではなく、維持時間と容態が限定されている「奇声」と捉えた方が扱いやすいことが多いと思います。
ただ、例えば上手くいっている途中の1回、2回だけについて「状態」を理由に解釈する、ということは良いでしょう。
普段「上手くいっている中で、今日は調子が悪かった。多分、昨日キャンプから帰ってきたから調子が疲れているんだろう」という状態での説明は大丈夫だと思います。
どういったとき「建設的ではない」となるのでしょうか?
さてここから本項タイトルにある興奮を主な原因として考えた場合の建設的ではない考え方についてです。
「興奮」に原因を帰属したとしても、その原因から介入方略を考えるのであればまだ個人的には建設的だと思います。
しかし「興奮」を主な原因として考えたときの建設的ではない考え方は以下のようなものです。
例えばセラピーを行っていて、上手くいかない日が続いたとしましょう。
「上手くいかない日が続いた」というところはポイントです
今回のブログ内容に沿えば奇声が多く、集中できずお勉強が進まない日が続くなどです。
そのときに、お勉強ができなかったことに対して、
「お子様は興奮をするから今回もお勉強は上手く行かなかったですね」
というように、上手く行っていない原因を「興奮」に帰属し、完了(終了)とする。
これは何も建設的ではありません。
もし解決を求めるのであれば、上手く行かないことが続いている結果に対して「興奮した結果」と理由を説明する、ということはできるだけ避けるようにしましょう。
同じように、
「機嫌が悪いとお勉強が上手く行かないですね」
「調子が悪いのでお勉強が上手く行かないですね」
のように「機嫌」や「調子」を原因としてお勉強が上手く行かなかったことの理由に帰属する。
このようなことも建設的ではありません。
このような解釈は以下のような循環論を招きます。
A:今日も興奮をしていたからお勉強が上手く行かなかったですね
B:どうして興奮していると思うのですか?
A:奇声が多かったからです
B:どうして奇声が多いのですか?
A:興奮しているからです
B:どうして興奮していると思うのですか?
A:奇声が多かったからです
B:どうして奇声が多いのですか?
A:興奮しているからです
B:どうして興奮していると思うのですか?
A:奇声が多かったからです
B:どうして奇声が多いのですか?
A:興奮しているからです
・・・ずっと循環する・・・
↑結論が出ず、建設的ではありませんね?
循環論を抜けるための1つの方法は行動の前後を見ることです。
以下の例文では太文字のところで行動の前後を見ています。
A:今日も興奮をしていたからお勉強が上手く行かなかったですね
B:どうして興奮していると思うのですか?
A:奇声が多かったからです
B:どうして奇声が多いのですか?
A:奇声の前に課題のレベルを上げたこと、奇声を上げたら課題を取り下げたことが原因かもしれません
B:どうすれば良いですか?
A:例えばですが次回は前半は普段通りそこまで難しくない課題を行って奇声が出るかどうか判断する、後半は今日と同じように課題のレベルを上げてみてまた奇声が出るかどうかアセスメントしてみますか?
以上のやり取りでは太文字のところで行動の前後を観察し、問題解決を目指そうとしています。
循環論を抜けることができますね。
このような建設的な行動の見方が大切でしょう。
私たちは何か思い通りに行かなかったとき、理由が欲しくなります。
私たちはそのとき「興奮していた」、「機嫌が悪かった」、「本調子ではなかった」という言葉、一見しっかりとした理由として成立しているように見えてしまう言葉で納得してしまいがちです。
でも、そもそもなぜ理由が欲しかったのですか?
困っていてその困っていることの原因(理由)が欲しいのは、どうやったら解決できるかを知りたいからですよね?
決して気持ちの中で納得するだけを求めていたわけではないでしょう。
そのことに思いを留め、ABA自閉症療育を行っていければ建設的な介入方略に近づくことができると思います。
さいごに
本ブログページでは「興奮していたから奇声をあげたと判断したのか、奇声をあげたから興奮していると判断したのか」というタイトルで、
最初にその行動の原因に対して「別の仮説も立てる」ということを伝えたいと書いてきました。
本ブログでは「興奮」と「奇声」をテーマに書いてきましたが、いつでも何か方略を立てるときに1つの仮説だけで突き進むのではなく、別の仮説も頭に置きながら進む方が賢明だと思います。
1つの仮説だけで突き進むと視野が狭くなります。
例えば上手く行かなかったとき、その原因について循環論的な結論によって納得してしまうというリスクがあるでしょう。
本ブログページで紹介した内容で言えば、「興奮」「機嫌」「調子」というもので結論づけ納得してしまうということですね。
1つの仮説だけで突き進むと視野が狭くなることは方略としては個人的にリスクだと思っているので、できるだけ避けましょう。
複数の仮説を立てるときのコツは「〜は間違っている」と一旦、否定から入ることや、
今回ブログページでご紹介したように「興奮したから奇声をあげる」ではなく「奇声をあげたから(私は)興奮していると判断した」というように原因と結果を逆転させることです。
状態を作ることに確定的な原因がある場合もあるでしょう。
例えば「飲酒状態」はさまざまな行動を引き起こす可能性がありますが、飲酒状態は飲酒という行動がなければそのような状態を引き起こしません。
このような確定的な原因がある場合はわかりやすいのですが、普段から私たちが日常的に使っている「興奮」「機嫌」「調子」、他にも「気分」や「テンション」といった用語で説明してしまうときは原因と結果を逆転させ考えることを一度行ってみてください。
新しい視点が持てると思います。
以上、ABA自閉症療育での行動の見方でした。
【参考文献】
・ Stephen B. Hully・Staven R. Cummings・Warren S. Browner・Deborah G. Grady・Thomas B. Newman (2007) “Designing Clinical Research” Third Edition 【邦訳: 木原 雅子・木原 正博 (2009) 医学的研究のデザイン 第3版 研究の質を高める疫学的アプローチ メディカル・サイエンス・インターナショナル】