ABA応用行動分析コラム39は「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられるよう成長したい」というタイトルで書いていきます
本ブログページではなぜ私がそう思っているのかについても書いて行きましょう
過去、本章「ABA応用行動分析コラム」で書いた『失敗したときに理由を、納得を求めよ「一旦そっちの落とし穴」(ABA:応用行動分析コラム34)(https://en-tomo.com/2022/05/20/attitude-to-accept-failure/)』とも少し共通しそうな内容かもしれませんが、
「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられるよう成長したい」という気持ちが私にはあります。
今回はそんな私が今GETしたいスキル(能力)のお話です。
これは『失敗したときに理由を、納得を求めよ「一旦そっちの落とし穴」(ABA:応用行動分析コラム34)』で書いた内容と同じで、
臨床(心理学を用いて私が誰かに対人支援をしているとき)は充分に可能なのですが、他のことになるとできないことがあり、後で気持ちが落ち込むことがあって少し悩んでいます。
タイトルの「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられるよう成長したい」、
「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられる」とはどういうことでしょう。
私が今思っている「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられる」とは、
早く解決しないといけない状況があったときに、時間的な切迫があった際、自分で材料を集めて判断をして決めるのですが、あとあとになって別の方法を取っておけば良かったと思う、このようなことが少なくなる方法
です。
とは書いていますが本ブログページで書いている内容は、「そうすれば少なくなるんじゃないか」と今、私が個人的に考えているだけで特に心理的な技法や何か論文からエビデンスを引っ張ってきて効果がある、
というものではなく、自分自身がそうすれば状況が良くなるのではないかと思っているもの、であることをご了承ください。
私なりになぜこれをすれば状況が良くなると思っているのかの理由は書いて行きますが、特に何か参考書や論文から引っ張ってきた内容ではありません
本ブログページではこのことについて書いて行きます。
すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられるとは
具体的なエピソードをご紹介しましょう。
私は昔、大学のゼミでゼミ長をやっていたタイミングがありました。
私はかなり意欲的に勉強をしたかったので、大学生の頃に意欲的な学生が集まるゼミに入りました。ちなみに私は4回生のころ、臨床系のゼミへ移ったのですが、このエピソードは3回生のときのお話しです。
ゼミの同学年で集まる授業があり、研究論文を1本要約して発表する会がありました。
毎週発表者は入れ替わり、自分の発表のタイミングに合わせて論文の要約を紹介していくという内容です。
発表者は発表の期日に合わせて資料を作成し発表します。
毎週毎週、1つの論文について誰かが発表をして行き、それについて質問や感想を他のメンバーが行っていくという構成の授業でした。
私はゼミ長でしたので基本的に司会進行も行っていました。
意欲的な学生が集まるゼミと言っても、全員がそうかと言えばそういうわけではありません。
私の仲の良かった子が同じゼミだったのですが、その子の発表のときでした。
その子は資料に書いてある漢字が読めず、また要約を発表したあとの質問にも基本的なことにさえほとんど答えられず黙ってしまう、ということが起こりました。
自分で作った資料なのに資料の中に出てきている漢字が読めないことが多い、ということもあり、少し場の空気が微妙な感じになったように感じたことを覚えています。
私はそのときその子に対して結構な態度で怒ってしまいました。
頭の中でなんでそのような漢字が読めない、質問にも全く答えられないということが起こったのか、私はなんとなく予測できていたことも大きかったです。
その資料は、その子の彼女が作ったものだろうと思いました。
その子の彼女はその後、大学院に進学する優秀な人で、私も友達でした。
私は「お前これ、彼女が作ったんちゃうか?お前、みんな真面目にやってんのに、これはあかんやろ」などの言葉を言ったことを覚えています。
その後の結果は最悪で、その子はゼミにあまり来なくなってしまい、私もあまり遊んだりすることが少なくなりました。
私自身はその子の態度は失礼だと思って、改めて欲しいと思って言った内容だったのですが、結果は私が思ったよりも悪い方向に進んだように思います。
実際そのあとで「じゃあ、そんな風に言わなきゃ良かった!」と思ったことも事実で、「やってしまった!!」という気持ちになるのです。
私の気持ちがたかぶっていたこともそのように行動してしまった原因でしょう。
上のエピソードは「怒り」が私の根底にあったのだと思います。
「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられる」は上のエピソードのように「怒り」が根底にあるときだけでしょうか?
例えば原因が「不安」のケースもあると思います。
現在、コロナ禍ですね。これは過去の話です。コロナが始まったときくらい。
私は結婚願望があるのですが、例えば親御様に挨拶に行きたいと思っているタイミング、彼女ともそういった話もしていたタイミングで、私の彼女が「コロナ禍だから、ちょっと今、対面で挨拶することは難しいかもしれない」と言ってきたとしました。
私はコロナについては当時(2020年コロナが始まってすぐ)5年くらいは収束にかかるかもしれないと思っていたので、コロナ禍が理由で挨拶に行けないとすると、かなり状況が悪いと感じ、私はかなり不安になりました。
現在もまだコロナ禍ですが、「それが理由だったら、もう無理じゃないか?」と思ったのです。
だから私は早く解決したくて、コロナ禍の初期にも関わらず、無理なお願いもしたと思います。
これは不安から来た「すぐに答えが出ないことに対して焦らず行動した」行為だったかもしれません。
彼女も困っていましたが私は「コロナ、絶対まだ続くしその理由はちょっと難しいわ」とか言っていました。
加えてそこで私は「まだわからんから、1回、ちゃんとお母様に聞いてみてくれん?」などと言うのですが、
実際にちゃんと聞いてくれた上でやはり今のタイミングは「難しい」と返答があった場合、私のやった行為は「詰み」に向かって行くのです。
そのような結果を受けました。
実際そのあとで「じゃあ、そんなふうに聞かなきゃ良かった!」と思ったことも事実で、「やってしまった!!」という気持ちになるのです。
私自身はそのとき「もっと何年も続くぞ。これ、どうやって状況を良くするんや?」という気持ちでいっぱいになり、気持ちがどんどん落ち込んで行きました。
上のエピソードは「不安」が私の根底にあったと思います。
ここまでご紹介したエピソードについて、やってしまった、とまでは思わなくとも、もう少し上手い方法があったんじゃないか、というところは本気で考えてしまいます。
「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられる」は上のエピソードのように「不安」が根底にあるときもあるでしょう
「怒り」、「不安」いずれが根底であったとしても自分の情動を調整し、
すぐに衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
この癖をつけていくことが大切だと今は思っています。
私が思っている「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられる」は、
早く解決しないといけない状況があったときに、時間的な切迫があった際、自分で材料を集めて判断をして決めるのですが、あとあとになって別の方法を取っておけば良かったと思う、このようなことが少なくなる方法と、
文中書いてきましたが、その方法は「すぐ衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く」です。
そもそも衝動性、「衝動的に動く」とは何か?
上で「衝動的に動く、ではなく」と言っているのですが、衝動的に動くとはどういったことでしょう?
ABAで言えば「衝動性」とは短期的に小さな強化子を得ることはできるけど、長期的に見れば大きな強化子を逃す、ということです。
他には短期的に小さな罰を避けることで、長期的に見れば大きな罰を受けてしまう、ということも衝動性が高いと捉えられます。
これがABAでの衝動性が高い状態の捉え方です。
そして、そのように動いてしまうことが多い人を「衝動性が高い」と呼びます。
ーー余談ーー
余談となりますが、ABAで「機能分析」は有名なトピックかもしれませんが「衝動性」は「機能分析」とは違うトピックです。
しかし全く重ならないかと言えばそう言うことではなく、
衝動的に動いた結果の行動も何かしらの機能は有しているものの、その機能を得るために行った行動が長期的に見れば大きな強化子を逃している場合、衝動性が高い、とアセスメントしています。
ーー余談ーー
実森 正子・中島 定彦 (2000) は、
反応した直後に小さな強化が得られる場合を「直後の小強化」
反応してもすぐには強化されないが後で大きな強化を得られる場合を「遅延後の大強化」
と述べ、
前者の「直後の小強化」を選ぶ場合を「衝動性」
後者の「遅延後の大強化」を選ぶ場合を「自己制御(セルフコントロール)」
と述べました。
ABAの論文知見から「衝動性」を上のことを私が紹介したエピソードに適用したとすれば嶋崎 まゆみ (1997)は参考になります。
手や口を出したい衝動を我慢することによって周囲から適応的であると遇されること(遅延大強化)よりも、
衝動に駆られて行動することによってその場の欲求は満たされるが(即時小強化)、
結果的に罰を受けるような行動を選択してしまうことを意味している
同時に、この様な行動傾向は現実の生活場面では周囲の大人や仲間からも問題行動あるいは不適切行動とみなされがちである
上の文章は嶋崎 まゆみ (1997)、発達障害児の「衝動性とセルフコントロール」について書かれた論文の文章です。
ちなみに「セルフコントロールができる」は、衝動性が低い行動(時間的に遅れてやってくる遅延大強化を選択する)を行うことを言います。
上で嶋崎 まゆみ (1997)の発達障害児に対しての「衝動性とセルフコントロール」について書かれた論文の文章をご紹介しましたが、
私が行ってきたことも本質的には同じようなことでしょう。
衝動を我慢することによって周囲から適応的であると遇されること(遅延大強化)よりも、
衝動に駆られて行動することによってその場の欲求は満たされるが(即時小強化)、結果的に罰を受けるような行動を選択してしまう
結果的に自分自身が「あまり良くなかったと思う結果(罰)」を受けることになってしまっているのですから。
すぐ衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
私は衝動的に動いてその後の未来がその瞬間に思っていたよりも悪くなった、ただそのあと、「そりゃ(そっちを引けば)そうだろう」と考える頭はあって、「なんでそのときに気が付かなかったのだろう」と思い返し悲しい気持ちになった
このようなことが生活の中にあると、私はくよくよします。
1月に1回もないのですが、1年の中で何回かはあるのです。
私個人のポテンシャルとして良い点は復活が早いこと。
人よりも切り替えは早いと思うのですが、そのような気分の時間を好むと言うことはないので今後、減らして行きたい。
そう考えています。
本項のタイトルにもした「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられる」について考えて行きましょう。
早く解決しないといけない状況があったときに、時間的な切迫があった際、自分で材料を集めて判断をして決めるのですが、あとあとになって別の方法を取っておけば良かったと思うということがあったとき、
「早く解決しないといけない状況があったとき」は、もしかすると、
自分だけが焦って勝手にそのように思ってしまっているだけの状態かもしれない
ということにも大人になって気がつく機会が増えてきました。
「あれ?これ、俺だけが勝手に焦ってんのか?」
もちろん焦って行動したことが結果、功を奏すこともあるでしょう。
でもなんとなく、人生の中でそのようなことは少なかったように思います。
10回あったら半分ないだけでなく1回、2回あれば良いかな、くらいの体感です。
たまたまそれで良かった、上手くいったということが経験として残っていることも少し毒なように思いますが、
癖が悪いことに焦って行動したとしても結果、結局は最悪な結果にはならず、なんとかなることが多い、ということが最終的にはほとんどだった、ということがこのループを抜け出せない根源だと思っています。
つまり私の場合はかもしれませんが「最大限の満足は得られないものの、結果的に少し時間が経てば支障なく、なんとかなった」という消化不良が残るものの、そこまで生活に支障ないという状況になるのです。
だからもしかすると変化が生まれにくいのでしょうか?
自分は変わりにくいのでしょうか?
「怒り」、「不安」いずれが根底であったとしても自分の情動を調整し、
すぐ衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
この癖をつけていくことが大切だと今は思っていますと上で書きましたが、
このようなことを実践することで、私のこの先の未来は変わって行くのでしょうか?
「ただ少し時間を置くだけ」で?
この先、私がなぜそう思っているのかについて書いて行きましょう。
時間を置くことで不確的な変数を入れ込む
自分の情動を調整する、というのは「怒り」や「不安」からの自分自身が受ける煽りに対する影響力を少なくすると言うことです。
そして「怒り」や「不安」からの煽りに対する影響力を少なくすることは衝動的に動いてしまった、という結果を避けることにつながるでしょう。
私は今、
すぐ衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
ということが衝動的に動いてしまい、くよくよしてしまう時間を減らすことに対して、解決をしてくれると今は考えているのですが、
「少しだけ時間を置く」ことでどういったことが結果として生まれるでしょう?
「少しだけ時間を置く」とき、あなたは「ただ呼吸をしているだけ」でしょうか?
ここは何が起こるかわからない「不確的な変数」です。
ただ時間を置くだけ、もしかすると「ただ呼吸をしているだけ」という時間でも恩恵を受けるかもしれません。
生命活動を止めながら一切の時間を止める、という能力を私たちは持ち合わせていないため、時間を置いている間も、実は何かしらの行動を行う必要があるのです。
「考える(考えてしまう)」という行動もその1つでしょう
「ただ呼吸をしているだけ」でもあなたの頭の中には時間が経過するごとに様々な考えが浮かんできます
「あなたの頭の中には」と書きましたが、私の頭の中にもです
「考え」が浮かんできます
いろいろな考えが浮かんでくるでしょう。
ネガティブで嫌な時間かもしれません。
考えたくないし、早く解決したい。
私自身はこのようなとき、どちらかと言えばネガティブ寄りな情動を持ち合わせていることが多いと感じています。
ただ早く解決したかったり、あまり気持ち良くない時間で、解決に至らなくとも解消はしたいと思い、考えてしまうことが多いです。
しかしいろいろな考えの中に、もしかすると一般的に「アイディア」と呼ばれる、何か別の分岐を思わせるような考えも浮かんでくるかもしれません。
「少しだけ時間を置く」とき「ただ呼吸をしているだけ」、ほとんどの場合そうではありません。
目を開けています。耳も機能しています。
そのため、外界から様々な情報が入ってくるでしょう。
TVを見るかもしれないし、スマホで何かを検索しているかもしれない。
誰かから情報が入ってくるかもしれないし、新しい情報が聞こえてくるかもしれません。
例えば今年のコロナで言えばに「濃厚接触者の待機期間が短縮された(自宅待機期間7日から5日へと変わった)」などは、
あなた一人で考えていてはなかなか答えを出すことが難しい環境変化です(令和4年7月22日に生じた変化)
ただ時間を置いて「ただ呼吸をしている」、ただぼーっとTVやスマホを眺めているだけでも、世界の時間では誰かが動かしてくれていて、私たちはその誰かが動かした環境の変化に影響を受けます。
そのようなあまり自身と関係の深くない他者が行ってくれた環境変化でさえ、他の選択肢や言い回しのアイディアが浮かんでくるのが仮に真実なのであれば、
「どうなるかわからんけど、例えば(嫌な気持ちだけど抱えながら)3日間だけ我慢して言いたいことを言わない」という戦略は悪くないかもしれません。
3日間というのは特に理由なく、今書いていますが、ほんの少しだけでも私は今、衝動的にすぐ動いて解決を目指すのではなくただ「待つ(時間経過)」も今後、取り入れて生活をして行きたいと思っています。
例えば自分だけで100パーセントコントロールできることだったら、特にそこまで深く考えなくても良いのかもしれません。
ただもし誰かと一緒に活動を行っている内容であれば?
これは今、私も肝に銘じたいと思っているのですが、
特に何か共同作業をしている場合、共同作業をしている人に対して相談をしてから結果どうするか決める
ということは私自身には必要なスキルだと思います。
そのためには?
すぐ衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
ということを実践する。
なぜするのか?
どういったことが期待できるかはわからない不確的な行動ではありますが、別のアイディアが浮かんだり、必要な情報が入ってくる、誰かによって勝手に状況が変化する可能性があるからです。
これが本項タイトルの「時間を置く、不確的な変数を入れ込む」ことになります。
スピードが大切で、できるだけ早く解決・解消することが重要である問題について私自身は得意です。
このような行動パターンは自分一人で全部決断して、責任も全部自分で負える問題には向いているかもしれません。
そのような行動パターンが求められることが多い人もいるでしょう。
でも多くの人を取り巻いている、他者を巻き込んで行う活動の場合、そうではないのだろうと、最近感じています。
私も今、その多くの人と同じように動くことを求められることも多くなってきました。
衝動的に動くことが良いかどうかは、個人的な答えとしては「他者が介在している場合は時間を作ってでも、相談をした方が結果的には良いことが多いだろう」という仮説を今持っています。
特に何か共同作業をしている場合、共同作業をしている人に対して相談をしてから結果どうするか決める
ということは重要だなと思うことが多いです。
これもすぐ衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置くときに役立つ行動でしょう。
なかなか「怒り」や「不安(焦り)」でこのようなことができず、至らないこともまだあるので今後の目標になります。
私自身のパターンとしては人生で「怒り」や「不安(焦り)」が生じることが多かったです。
このような書き方をしてきましたが、
・ 自分を認めてくれないと感じた
・ 軽くみられた、舐められたと感じた
・ 妬みを感じた
・ 自分だけが平等でないように感じた
・ 環境に理不尽さを感じた
これらも怒りや不安が根底にあるかもしれませんが、このような場合にもあてはまるのではないでしょうか?
もしそのようなことで悩んでいる場合、仮説ですがすぐに行動するのではなく、少しだけ時間を置いてみるのはいかがでしょう?
私自身はできれば実践して行きたいと思っています。
できない日もあるだろうし、でも、3年後には今より上手くなっているかな、そうなっていたいなという気持ちで。
さいごに
本ブログページでは最近私が思っていることについて書いてきました。
「すぐに答えが出ないことに対して焦らず、時間を織り込んで考えられるよう成長したい」というタイトルで書いてきましたが、
書いてきた内容は、
早く解決しないといけない状況があったときに、時間的な切迫があった際、自分で材料を集めて判断をして決めるのですが、あとあとになって別の方法を取っておけば良かったと思う、このようなことが少なくなる方法です。
心理学の技法から引っ張ってきたものでもないし、何かしらのエビデンスがあると論文で見たわけではないものの、そのために実践していく解決策の仮説として、私は、
すぐに衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
ということを実践して行きたいと思います。
上の方法を実践することで期待できることは、
時間を置くだけで、別のアイディアが浮かんだり、必要な情報が入ってくる可能性がある
ということです。
私たち人間はただ時間を置くといっても生命活動を止めて時間経過を待つようにはできていません。
本ブログページをABAの用語で解説するとすれば、専門範囲は文中にも登場しましたが「衝動性とセルフコントロール」の範囲になるでしょう。
「衝動性とセルフコントロール」については例えば過去のブログ、「(ABA自閉症療育の基礎56)選択行動のABA療育応用研究、子どもの攻撃行動を減らす「衝動性と我慢」Timothy R. Vollmer・John C. Borrero, 1999(https://en-tomo.com/2020/11/10/timothyr-vollmer-johnc-borrero-1999/)」、
でTimothy R. Vollmer・John C. Borrero (1999) の研究をご紹介しました。
Timothy R. Vollmer他 (1999) の研究は自閉症児や精神遅滞児(今で言う知的障がい児)が行う攻撃行動の減少を「遅延大強化」により狙った研究です。
上でご紹介したURLリンクで研究の詳しい解説を行っていますが、
Timothy R. Vollmer他 (1999)の研究を参考にすれば強化子を遅延させている時間、合図があるとお子様は衝動性を押さえ、我慢することができる、という結果でした。
すぐに衝動的に動くではなく、少しだけ時間を置く
という本ブログのテーマをTimothy R. Vollmer他 (1999)の研究結果を参考にどのように実践しやすくしていけば良いか考えてみると、
例えばスマホのメモアプリに「すぐに、衝動的に動く、ではなく、少しだけ時間を置く
」とだけ書いておき、
早く解決しないといけない状況、時間的な切迫があった際にメモを開けて書かれた文字を確認する、
という方法は衝動性をコントロールするために必要かもしれません。
何にせよ、今の環境で必要なスキルはゲットして行くことは大切なので、私自身は実践していこうと感じた最近の日々でした。
【参考文献】
・ 実森 正子・中島 定彦 (2000) 学習の心理 第2版 サイエンス社
・ 嶋崎 まゆみ (1997) 発達障害児の衝動性とセルフコントロール. 行動分析学研究. 11, 29-40
・ Timothy R. Vollmer・John C. Borrero (1999) EVALUATING SELF-CONTROL AND IMPULSIVITY IN CHILDREN WITH SEVERE BEHAVIOR DISORDERS. JOURNAL OF APPLIED BEHAVIOR ANALYSIS. 32, p451–466 No. 4 (WINTER)