ABA:応用行動分析21は「私たちはABAで行動をコントロールしたいのか?コントロールする/されるとは何か?」というタイトルで書いていきます
最近は「ABA:応用行動分析コラム」のブログページでもせっせと参考文献を読み込む癖が出てしまって個人的にはちょっと反省です。
本来は個人的な立ち位置としては「ABA:応用行動分析コラム」のブログページは自由に私個人のABA(応用行動分析)のコラムを書いて行く趣旨だったはず。
ただ本や論文を読んでいて「あぁこれはコラムのネタにしよう」などと思ってしまうことも多く、
コラムブログのネタになるかもと思ってからはそこからちょっと調べてしまい、見つけた参考文献からガッツリとブログ記事に使ってしまていることにも気がついています。
今後どのようなスタンスで行くかは未来の自分に託すとして今日は参考文献の力にはあまり頼らず、「ABA:応用行動分析コラム」の本来の趣旨である私自身の考え方とか気になることについて書いて行きたいと思います。
今回は内容の中で少しだけ参考文献は使うけど、それ以外は個人的な考え方で書いていこう!
そういうブログ内容も結構楽しいよね!!??(ポジティブ思考 笑)
本ブログページは「私たちはABAで行動をコントロールしたいのか?コントロールする/されるとは何か?」です。
「コントロールする」を日本語で言えば「統制する(または制御する)」と言います。
本ブログページのタイトルにもある「行動のコントロール」とはいったい何なのでしょう?
以下見て行きます。
人間がコントロールする/されるが持つ印象
「コントロール」と聞いたとき例えばゲームのコントローラーで操作しているようなところをイメージするかもしれません。
このイメージは自身が行った操作通りに操作された対象者が動くというものでしょう。
例えばBというボタンを押せばジャンプをするし、Zというボタンを押せば投げるという動作をコントロールされている側は行います。
あらかじめ組み込まれたプログラムがあり、操作通りにプログラムが動き操作可能となるものの、コントロールされる側はコントロールされないと動けません。
例えばゲームでは敵側から攻撃を受けている瞬間もコントロールされている側はコントロールされないと抵抗することもなくダメージを受け続け、
その戦いから離脱(ゲーム内での敗北)する瞬間までコントロール側の意思に抗うことができません。
このような事態を人に置き換えて考えたとき「自由は?」、「意思は?」、「人権は?」など「コントロールされる側」が不幸、ネガティブであるという認識を持つことでしょう。
だって、私たちは「コントロールされたくない」からね。
私たちは自分たちはコントロールされない自由な存在だと思っているのです。
では、コントロールされるのは嫌だ!という主張が一般的であった場合、私たちは常にコントロールする側なのでしょうか?
そうとは違って、私たちは気がついていないだけでコントロールされる側なのでしょうか?
まずは最初に予測できるもののコントロール不可能なものの例を見て行きましょう。
予測できてもコントロール不可能な事象
例えば「台風」について考えてみましょう。
台風は現代では予測することが可能な現象です。
天気予報番組やネットニュースなどで「明日、日本列島に・・・関東では・・・」などの予測を聞くと警戒するでしょう?
予測を聞いて警戒できるため、私たちは台風をコントロールできていると思うでしょうか?
私たちの日常では台風の到来は予測され、「台風の被害を受ける/受けない」でいうと結果的に受けなかったということも多々ありますが、予想通り台風の被害を受けることもあります。
私たちは台風が来ることを予測できるようになったことで、事前に備えることができるようになったのです
では、台風が事前に来ることさえ分かっていれば私たちは困らないのでしょうか?
台風の予測があっても台風が外れて全く被害を受けないことは最近でも個人的には多かったので、台風の予測はそこまで信頼性があるものとは個人的には思っていませんが、
大切なことは「近いうちに台風が来る」という予測がないタイミングで私自身は台風に出会ったことがないという事実です。
これはとても重要なことでしょう。
例えば私は現在30代半ばで特に「若い」と言われるような人ではないので、それなりに年数も生きてきました。
現代30代半ばの私は予測されていないタイミングで台風の被害を受けたことはありません。
だからみなさまも「近いうちに台風が来る」という予測がないタイミングで私自身は台風に出会ったことがないということには共感できるのではないでしょうか?
確かに台風が来ると言われて来なかったことがあったとしても、これは予測が全く意味をなさないことを表していないでしょう。
なぜなら台風が来ると言われていなかったときに台風が来たことが生まれてから無いからです。
台風の予測はとても意味があります。
だって台風の予測があるときだけ台風に備えれば良いでしょう?
この予測は非常に便利な情報です。
強い台風が来るとわかれば例えば窓が割れないようにしたり、電車の遅れを予測して職場に少し早く着くよう朝起きる、事前に食材を買っておくなど対策が取れます。
これほど便利な台風の予測ですが、私たちは台風に対してコントロールできたと言える段階まで来ているのでしょうか?
答えはNoですね。
2021年現代、台風は予測可能ですがコントロールできるとことまでは至ってはいないでしょう。
例えば「台風に対してコントロールできたと言える段階まで来た」といった場合、どういったことができれば良いのでしょうか?
例えば台風をコントロールできるためには「日本を通過しないように軌道をズラす」ことや「台風を消滅させる」ことができなければいけません。
しかしこれは現代では不可能です。
今回は台風を例として出しましたが「雨」、「雪」、「地震」、「津波」、「火山の噴火」、「惑星の接近」、「新しい疾患の流行」など私たちのコントロールの及ばないことは多々あります。
上で例としたものの中にはまだ事前に正確に予測すら難しいこともあるでしょう。
何を馬鹿なことを言っているんだ?自然現象をコントロールするんだって?と思われたかもしれません。
自然現象をコントロールするとなったとき「そんなむちゃな・・・」と思われるかもしれませんが、人間は過去にこのような自然現象をコントロールしてきたことはあります。
私たちが自然現象をコントロールしたことがあるもの
例えば実験計画法の発展を知っているでしょうか?
西内 啓 (2013)によれば実験計画法は農場で産まれました。
以下西内 啓 (2013)を参考に書いて行きます。
例えば農地を40に分割し、ランダムに肥料Aと肥料Bをばらまくとしましょう。
ランダムに撒くことで日当たりや良い土壌という食物がより育つであろう条件を相殺し、「肥料Aと肥料B」が食物を育てるための要因としてどちらが優れているか?を実験することが可能になるのです。
これは統計学者フィッシャー(Sir Ronald Aylmer Fisher)の提示した、
ランダム化を用いて因果関係を確率的に表現しようとするものでした。
以上のような科学の発展もあり、
例えば現在では自然現象である農作物の育ち具合などは「Aを使えば育つ」といったようにある程度人間がコントロールを取れるようになっている事象だと考えられます。
私たちは自然現象に対してコントロールできている事象もあるのです。
では自然現象ではなく、人間をコントロールするとなったときはどうでしょう?
ヒトも自然現象と同じようにコントロールすることはなかなか難しいと思いますが、例えば有名なもので言えば「スタンフォード監獄実験」の結果や「ピグマリオン効果」といったものも人間をコントロールできた1つの結果かもしれません。
以下、本ブログページでは「ABA(応用行動分析)」の観点から人間をコントロールする/されるということについて考えて行きたいと思います。
ABA(応用行動分析)で人間をコントロールするって何?
ABAで人間をコントロールするぞ!と言われると、
上の方の項「コントロールする/されるが持つ印象」の項で書いた内容から、
え、ABA怖っ
と思われるかもしれませんがABAは実験科学をベースとして発展してきました。
ABAの発展に大きく貢献してきた、ABAの創始者と言っても過言では無いSkinner. B. F (1947) は、
実験心理学とは行動に影響を与える変数をコントロールする科学の一分野であると定義することの興味深い結果の一つは、相関的な方法を使用したほとんどの研究を排除することである
と述べています。
相関的な方法を使用したほとんどの研究を排除というのは、相関ではなくあくまで関数関係を求めようとしたということでしょう。
スキナーが上で述べたことをかなり簡易的に言えば、ABAはもともと行動をコントロールする環境要因を同定することを目的とした科学ということです。
スキナーは科学の実際上の目的は予測と統制(コントロール)だと考えていました(参考 William .O’ Donohue・Kyle E. Forguson, 2001)。
「行動」は「予測」できて、また「コントロール」することもできることがスキナーの目指した科学の目的、という意味です。
これは私たち人類にとって本当に怖いことなのでしょうか?
以下ABAが発見してきた行動法則の基本的なところをご紹介しましょう。
「強化子」を行動のあとに伴わせると行動が増加することがわかりました
行動を減らそうと思えば「罰」を使用すれば行動が減ることもわかりました
特定の状況で強化し、特定の状況では強化しないことを繰り返せば「弁別」という現象が起こることもわかりました
以上のことはABAの超基礎の部分だけですが、実験によってその他の事実が明らかになって行きました。
これらはXという独立変数によってYという従属変数が変化するということで関数関係を表すことができます。
関数関係とは特定の操作(X、独立変数)を行うことでその後の変化(Y、従属変数)をコントロールできる関係のことです。
簡単に言い換えると「特定のXをすればYの変化が期待できる」ということなので、
例えば「ボタンを押す行動(Y)の行動のあとにお金(X)を渡すことを繰り返すと、お金(X)はボタン押し行動(Y)を増加させることができる、つまりXによってYはコントロール可能である」、という考え方になります(これはABA「強化子」の理論を用いています)。
ではこのような理論を私たちがABA自閉症療育で使用するとき、具体的にはどういったことができるでしょう?
以下ご紹介して行きましょう。
スキナーは環境側は私たちにコントロール可能であると考えました。
私たちは相手からコントロールされると言われると「自由意志」を否定されたような気持ちになり、ネガティブな気持ちになってしまうかもしれません。
ただ、コントロール可能であるということは、療育ではお子様の変化が望める希望となるのです。
コントロールできないことの方が実は怖いことでしょう。
ABA自閉症療育でいう行動のコントロールは例えば以下のように行います。
3歳0ヶ月になっても目が合わなかった(アイコンタクトがない)お子様がいたとしましょう。
イメージしてみてね!
よろしくね
毎日のアイコンタクトの頻度はほとんど0でした。
そこでアイコンタクトのプログラム(介入)を導入します。
アイコンタクトのプログラムでは強化子として働くことを期待し、目が合ったあとに「高い高い」を行いました。
結果的に3歳0ヶ月までアイコンタクトをほとんど示さなかったお子様の目が合う行動が増えたとしましょう。
目があったときに「高い高い」をした。
これが「介入」です。
シンプルでしょう?
※ ABA自閉症療育の介入は専門用語を並べられると難しく思ってしまうかもしれませんが、スキルをGETするときのほとんど介入は実はこのようなシンプルな設定であることが多いです
「目が合う行動(Y)のあとに高い高い(X)を繰り返すと、高い高い(X)は目が合う行動(Y)を増加させることができる、つまりXによってYはコントロール可能である」というロジックです。
このロジックをさらに強固なものにしていきましょう
これは「シングルケーススタディ」という実験計画で「AーB」デザインと呼ばれるものですが、これは科学的な根拠としては認められない弱いデザインです。
アイコンタクトの頻度が上がってきたとき、少し時期をずらして今度は模倣行動にも「高い高い」を導入しました。
お子様が模倣したあと「高い高い」を繰り返します。
すると模倣行動の頻度も「高い高い」を行うと増えたことが確認されました。
まだここでも科学的な根拠としては弱いデザインです。
さらに少し時期をずらして発声に対して「高い高い」を導入しました。
お子様が発声したあと「高い高い」を繰り返すことを行います。
すると発声の頻度も「高い高い」を行うことで増えたことが確認されました。
このような事象が確認されたとしましょう。
科学的知見では上のように少なくとも3つの場面で確認されたとすれば科学的根拠があると言えます。
これは「多重ベースラインデザイン(multiple baseline designs)」というシングルケーススタディという実験法の1つで科学的に根拠が認められるレベルのものです(参考 Michele A. Lobo,Mariola Moeyaert,Andrea Baraldi Cunha,Iryna Babik, 2017)。
ここまで確認できれば「高い高い」は行動を増加させる(コントロールする)結果として成立している可能性が科学的に高いと言っても過言ではありません。
私たちは人間の行動を増やす、行動をコントロールできる可能性の高い方法を発見したことになります。
もちろん「高い高い」が行動を増やす結果(強化子)として万人に機能するわけではなく「人による」ため個人単位で効くかどうか確認をしていく必要はあるでしょう。
一旦、「自身のお子様にとってこうすれば行動が増加する可能性が科学的に高いと言える」というレベルの情報を手に入れたときの汎用性を考えてみてください。
例えば自信を持って園や小学校の先生に「家でこのようにしたところーーーという結果でしたので、園(もしくは小学校)でも、そのようにしていただけませんか?」と、お願いできると思いませんか?
科学とは時間がかかって慎重に進めていく姿勢ですが、発見したときは強い後ろ盾を手に入れることとなります。
ABAではこのように科学的な知見を使って、
個別にフィットする方法を確認をしていくことで、私たちはある特定の人間をコントロールできる可能性の高い方法を知ることができる
のですが、果たしてこれは自由意志に反した、不幸を産むことと言えるのでしょうか?
このように行動をコントロールされた側のお子様は自由意志が無視され、果たして不幸だったのでしょうか?
例えば「高い高い」はお子様にとって魅力的で、お子様も高い高いをして欲しくて自発的に行動を行なっていたとしたら?
またあなたもお子様の目が合う、模倣するなどの成長が嬉しくて自発的に「高い高い」を行なっています
これはあなた自身が実は「お子様にコントロールされている」ともみることができて、
こうなってくると「どっちがコントロールした/された」ということは実はかなり曖昧なのです
相手をコントロールできることは決して悪いわけではなく、相手に対して良い影響を与えることができることです。
そしてほとんどはコントロールしている(と思っている)側も相手からコントロールされている状況となるでしょう。
本ブログページをここまで読むまでに、
ABAで人間をコントロールするぞ!
と言われたとき、上の方の項「コントロールする/されるが持つ印象」の項で書いた内容から「え、ABA怖っ」と思われたかもしれません。
しかしここまで読んで少し印象は変わらなかったでしょうか?
人間をコントロールする力は善の方向で正しく使ったとき、福祉や教育、医療の現場では少なくともコントロールされる側にとって優しい結果となる、と私は信じています。
またあなたも被支援者側の「成長」という結果からコントロールを受け支援を自発的に行うこととなり、「コントロールする/される」とは実はお互い様なのです。
さいごに
スキナーの科学の目的が予測と統制(コントロール)だとすれば、その力(知識、知見)は善の方向で正しく使えば支援する側/される側にとって優しい結果を導きます。
このようにお互いがコントロールする/されるという関係性を「相互作用(そうごさよう)」と呼ぶのですが、相手が良くなるという結果は支援者側を強化する結果を生み出すでしょう。
これはいわゆる、支援者側の「やりがい」などと言われる部分だと思います。
本ブログページ冒頭、
今回は個人的な考え方を書いていこう!
と書きましたが今回、1つの参考文献に寄って書いたというよりは私自身の考えをまとめた内容でした。
私自身は書いていて楽しかったです
またこのような趣旨でもブログを書いて行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
【参考文献】
・ Michele A. Lobo,Mariola Moeyaert,Andrea Baraldi Cunha,Iryna Babik (2017) Single-Case Design, Analysis, and Quality Assessment for Intervention Research. Journal of Neurologic Physical Therapy. July 41(3) p 187–197
・ 西内 啓 (2013) 統計学が最強の学問である ダイヤモンド社
・ Skinner. B. F (1947)Experimental psychology. Current trends in psychology p16-49 【邦訳 スキナー著作刊行会 (2020) B. F. スキナー重要論文集Ⅱ 勁草書房】
・ William .O’ Donohue・Kyle E. Forguson (2001) The Psychology of B.F.Skinner 【邦訳: 佐久間 徹 (2005) スキナーの心理学 応用行動分析(ABA)の誕生 二瓶社】