2024年の年始、もう4月も周り年度は変わってしまいましたし、今気温は結構暑くなっておりますが、これは年始のまだ寒い時期の話です。
私が経験したことで実践したことを書いて行きます。
今回はそれを文章にして私自身も忘れないようにという思いもあって、ブログのテーマにしてみようと考えました。
タイトルに「不安や焦りを一旦置いておくことを実践した(マインドフルネス)」とありますが、どう実践したのかを書いて行きましょう。
またそのときに「おー、そういうことがあるのか・・・」とも思ったこともあったのでその「気付き」についても書いて行きます。
不安や焦りを一旦置いておくことを実践することになった経緯
最初に簡単に不安や焦りを一旦置いておくことを実践することになってしまった経緯をご紹介させてください。
2024年の年始、まだ寒かったころのお話です。
その日は大きめのダウンを着て外に出ていました。
2024年の2月9日に内に秘めていた「ブログの目的と自閉症療育の課題、私自身の今後の展望と取り組み、達成したい目標(ABA:応用行動分析コラム53)(https://en-tomo.com/2024/02/09/purpose-of-blog-and-future-prospects/)」をアップしたこともあって、
2024年のこのことは私自身の活動動機がかなり高まっていた時期でもありました。
私は外出時仕事があるときは基本的にリュックを背負って移動するのですが、その時期は活動動機が高かったこともあり、
電車に乗ったり、新幹線に乗ったりしても可能であればパソコンでカタカタ(電車の場合は席が空いていればですが)、外出時に隙間時間が少し取れそうであった際もカフェに入ってパソコンでカタカタしていました。
外出するときはパソコンの充電をしっかりとして、そののち、パソコンをリュックに入れて出発します。
その日も充電を完了した元気なパソコンを持って外出しました。
その日は朝に家を出たのは8時ごろ、帰宅は21時くらいの予定でした。
その日、午前中パソコンを入れたリュックを床に置いている時間がありました。
2ー3時間、そのままリュックは床の上に放置されていたと思います。
その場所を離れ、昼食を取りました。
そして昼食をとり終え、隙間時間が1時間くらいあったのでカフェへ向かいます。
カフェでリュックからパソコンを出してカタカタしようと。
カフェでリュックからパソコンを取り出したとき、今までにない異変に気がつきました。
パソコンめちゃくちゃ熱くなってるんけど!?
触った瞬間に異常さに気がつきましたが、一応、電源ボタンを押してみました。
電源ボタンを押したものの、パソコンは真っ暗なまま画面がつきません。
充電がなくなったのかな?
いやでも朝ほとんどMAXまで電池あったから、それは変やけどな・・・
充電器は家に置いていたので充電はできません(ToT)
「パソコンめちゃくちゃ熱くなってるんけど!?」と触った瞬間に異常さに気がついたとき、私は気がついていました。
リュックをそのまま床暖房の効いている床に置いていたから熱くなったんやな、と。
「やってしまった」という気持ちでいっぱいです。
リュックを置いていた床には床暖房が設置されていました。
壊れたかどうかすらわからないパソコン。
でも家に帰って確認できるのは21時ごろ。
まだ家には帰れません。
パソコンが壊れるとその後、かなりの労力がかかることが予測されます。
「いつバックアップとったっけなー」とか「マジか。修理出すにしても、修理に出すために時間作らなあかんなー」とか。
さて、ここまでが私が不安や焦りを持った経緯です。
でも、
今、目の前にあることに一生懸命になる必要があります。
私にはまだこれからやらなければいけないことがあるのです!
午後から私はまだ仕事があり、その人も私が来ることを待ってくれていました。
特に私が体調不良というわけでもないので、予定をキャンセルする等は選択肢にありません。
「雑念(「パソコン大丈夫かなー」など)」を頭にチラつかせながら対応することは先方に失礼だと感じていました。
ただ「パソコンのことは一旦忘れよう」ということを、人間はできません。
やはり気にはなるものです。
以前「不安と恐怖の違いは?今私の思っている不安や恐怖との付き合い方、対処(ABA:応用行動分析コラム46)(https://en-tomo.com/2023/07/07/how-do-i-deal-with-anxiety-and-fear/)」にて、
私は自身から賦活される「不安」や「恐怖」を抑えようとすることを努力することをほとんど辞めました
特に『「不安」や「恐怖」に負けてはいけない、頑張らないといけない』という方向性で考えません
と書きましたが、今回もそれを実践しました。
私自身は賦活される「不安」や「焦燥感(あせり)」などはそもそも「感じない」という方向でコントロールしようとしても、人間はそれはできない、という立場で考えています。
不安や焦りを一旦置いておくことを実践した(マインドフルネス)
まず自分自身から賦活される「不安」や「焦燥感」などを「感じない」ことができないと考えるのであれば、「感じることは仕方ない」と腹を据えることができます。
実践した戦略は「感じても良いけど、基本的に相手にしない」です。
「不安」や「焦燥感(あせり)」は人間や動物でもないのに、相手にしないってどういうこと?
と思われたかもしれません。
私はこのとき「不安」や「焦燥感」が頭にポップアップすることを知っていました。
例えば「不安」や「焦燥感」が頭にポップアップするとはどういった意味でしょう?
「不安」や「焦燥感」が頭にポップアップしたとき、言葉も一緒に付いてきました。
「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごす?」
「修理ってそもそもいくらくらいかかるんや?新しいの買った方がええんか?」
「これ壊れてなくても、だいぶんパソコン傷んでるんやろうなぁ。嫌やなぁ」
などです。
コツはこのとき、そのようなポップアップしてくる思考に対して思考を続けないことだと考えています。
例えば、
「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごす?」
と頭にポップアップしてきたら、
「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごす?」 → 「代替機とか貸してもらえるんやろうか?」
と、「代替機とか貸してもらえるんやろうか?」などと思考を続けたくなりますね?
それを一旦、
「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごす?」
と頭にポップアップしてきたとき、
「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごす?」 → 「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごすかぁ、まぁ、そう感じるよな。今の状況やと、俺」
と特に回答を持とうとせず、思考をそこでグルグルと回らないように試みます。
もちろん「代替機とか貸してもらえるんやろうか?」とも頭にはよぎるタイミングもあるのですが、あまりその考えに没頭しません。
「新しいパソコン手に入るまでどうやって過ごす?」 → 「代替機とか貸してもらえるんやろうか?」 → 「まぁ代替機貸してもらえるかどうかも気になるよなぁー、今の状況やと俺」
と言った感じ。
また自分なりには絵的なイメージも持っていて、以下のイラストのように扱うことのイメージを持っています。
ポイントは以下3点です
ポイント1
上のイラストを見てもらえると分かるのですが、全く「不安」や「焦燥感」が視界に入らないということではありません。
視界の下側にチョロっと「不安」や「焦燥感」も見えているイメージです。
そもそも前提として「不安」や「焦燥感」を「忘れる」や「感じない」と言った、無かったことにすることを諦めているので、視界の下側にチョロっと写ってしまうことを覚悟しているので、このようなイメージになっています。
ポイント2
イラストを見てもらえば表情は特にポジティブでもネガティブでもありません。
特に「不安」や「焦燥感」について評価をしていないということをイラストでは表現しました。
この「不安」や「焦燥感」について「評価しない」ということも大切なポイントです。
ポイント3
チョロっと「不安」や「焦燥感」も見えているのですが、基本的には前を向いています。
これは、「不安」や「焦燥感」もチョロっと顔を出して見えているものの、
今、目の前にあることに一生懸命になる
というイメージです。
もし注意力のメモリがあるとすれば、状況を鑑みれば、少しのメモリは「パソコンが故障したかもしれないという不安や焦燥感」に持っていかれることは仕方ないでしょう。
但し、多数の注意力のメモリは「今、目の前にあることに集中する」という感じです。
私自身は「不安」や「焦燥感」もそうですが「恐怖」や「抑うつ感」など、気持ちをたくさん持っていかれそうだと感じ、でも、やることがあるときはこのように対応をしています。
昔からずっとできたわけではありません。
ただ、意識するようになってあまり状況に振り回されることは少なくなったように感じます。
個人的には結構大切だと思っているスキルです
またこれは、ABAをやっているから知っていることなのかもしれません。
これは「マインドフルネス」を実践しているのだと考えています。
熊野 宏昭 (2020) はマインドフルネスについて今この瞬間の「現実」に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情に囚われないでいる心の持ち方、存在の有様と紹介しました。
また「エクスポージャー(曝露)」でも説明できるとも思っています。
熊野 宏昭 (2020) の述べている『今この瞬間の「現実」に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情に囚われない』、
囚われない方法の1つが、
ここまで書いてきたような、思考を続けたくなるときに回答をせずにおく、但し存在の知覚はする、ということだと考えているところです。
「メンタル」をある程度コントロールできることが大きな役割を持つということを、私も社会人になって感じることが多くなってきました
自分自身に合ったメンタルの調整方法を探していて、何か試せるものはないかなぁーと思っている人がいれば、是非試していただければ面白いかもしれません。
ここからは少し余談かもしれませんが、その後にあった「おー、なるほど」とも思ったこともあったのでその「気付き」についても書いて行きましょう。
不安や焦りを一旦置いておくことを実践したその後の気付き
私は「死」ということを周りの人よりも意識して生きてきたような気がします。
例えば、ゴキ⚪︎リは別ですが(それもゴキ⚪︎リに申し訳ないが)、私は基本的に虫を殺しません。
蚊なども、部屋で見かけたら手でふわっと掴んで外に逃がします。
もし部屋の中などで小虫を見つけたときも同じで、ティッシュで包んで外に逃がします。
その日は何度か電車を乗り換えて家に帰る日だったのですが、最後に乗って帰る電車が自分がに乗る直前、人身事故でストップしました。
普段「人身事故」のアナウンスを聞いたとすれば、
・ 何か思うところがあったのかな
・ 大変なことがあったのかな
・ 辛いことがあったのかな、ご冥福を(そのような人身事故かどうかアナウンスではわからないものの)
というような感情が芽生えて、どちらかと言えば少し悲しい気持ちになります。
ただ、この日は少し違って私自身も「おー、そういうことがあるのか・・・」と少し驚きました
この日、午後の仕事があったので今、目の前にあることに一生懸命になる必要があり、その仕事については一生懸命、集中してできたと思います。
さてここまで意識しながら保ってきた気持ちが、仕事の終了と共に一気に解放されました。
「パソコン大丈夫かなー」などの雑念について、「この時間から考えても良い」となったタイミングで今度はそちらに集中力が持っていかれます。
できるだけ早く帰って確認したいです。
充電したい。
壊れてるかどうか知りたい。
そもそもそれまでは目の前に仕事があったのでそちらに集中する必要があったのですが、パソコンが壊れているとなればそののちに影響を受けるため、
パソコンが壊れているかもしれないという事態そのものは私にとっては大切に考えなければいけない状況です。
夜、外で食べて帰ることもあるのですがこの日は速攻直帰予定。
可能な限り早くパソコンに充電器を差し込んでみて、復帰するかどうか確認したい。
そんなタイミングで最後に乗って帰る電車が自分がに乗る直前、人身事故でストップした。
このとき、私の頭の中には、「人身事故」に対して、
マジかよ!なんで今のタイミングやねん!!
と負の感情が湧き上がってきたのでした。
これは少し驚きで、ちょっと私は衝撃的
上でも書きましたが、私は普段「人身事故」のアナウンスを聞いたとすれば、見知らぬ相手ですが思いやる感情が芽生え、どちらかと言えば少し悲しい気持ちになります。
でもこの日、上のような感情が湧き上がってきたのでした。
自分自身もマインドフルネスな状態でこの日その時間まで対応をしてきた状態が解放され、
パソコンのことに注意を向けて手の中のスマホでいろいろと調べたりなどして、パソコンのことにかなりの集中力を向けていたタイミング。
そもそも朝からパソコンの充電を充分にして準備したものの、ほとんどパソコンは機能せず、壊れたかもしれないという不安や焦燥感を感じながら1日の大半を過ごし、その中でも自分ができることを精一杯やってやっと解放された!
と、いろいろなことが折り重なったとき、
あ、普段は思わへんことって、状況によって思うことあるんか!まぁ、そらそうか
と、当たり前かもしれませんが体感することができたのでした。
そしてそのとき、
「この人なんでこんな意地悪なこと言うのやろう」
とか、
「それは難しいやろう、なんでそうなるんや・・・そう言うのや・・・?」
と人に対して思うときも、全てではないとは思いますが、その人のそのときの状況とかももしかしたら影響していて、状況が違ったらその人もそんなことを言わない可能性もあるな、
と、
カウンセリングをする中で大切なことだろうなと思う気付きも得られることができたと感じています。
今日はコラムにてこのようなエピソードを書いてみたかった1日でした。
さいごに
本ブログページは2024年の年始、私が経験したことで実践したことを書いて来た内容です。
いろいろと自分自身も良い経験になったなと感じていることもあり、私自身も忘れないようにという思いもあり、今回ブログのテーマにしました。
本ブログページ内で書きましたが、私自身は賦活される「不安」や「焦燥感(あせり)」などはそもそも「感じない」という方向でコントロールしようとしても人間はそれはできない、という立場です。
そのため本ブログページ内のイラストでお示ししたように、私は「不安」や「焦燥感」、「恐怖」や「抑うつ感」など気持ちをたくさん持っていかれそうだと感じ、でも、やることがあるとき、
視界の下側にチョロっと写ってしまうことを覚悟も持ちながら目の前の必要なことに注意力のメモリを向ける形をイメージし、対応しています。
その後のエピソードは私が出会った人身事故のことも書きました。
普段の自分であれば感じないことを感じた、というのは非常に興味深かったです。
私自身もその日、人身事故に対して普段、感じないと負の感情が湧き上がってきたことから、もし誰かがかなりネガティブな意見をぶつけて来たときも、
「状況が違ったらその人もそんなことを言わないかもしれない」と広く選択肢を持って考えることができそうな体験ができたことはとても良かったなと感じています。
そして最後に、ホットカーペットの上にパソコンを置くのは辞めよう!
このことも強く、訴えたい(笑)
最後までご覧になっていただき、ありがとうございました。
<参考文献>
・ 熊野 宏昭 (2020) 実践!マインドフルネスDVD 体験に気づき、反応を止め、パターンから抜け出す理論と実践 株式会社サンガ