ABA応用行動分析コラム50は「2023年も終わり!どうして褒めてお子様を育てる必要があるの?ーABAから理由解説」というタイトルで書いて行きます
早いものでもう2023年も終わりですね。
今年も1年、皆様お疲れ様でした!
「2023年も終わり!どうして褒めてお子様を育てる必要があるの?ーABAから理由解説(ABA:応用行動分析コラム51)」はちょっとたいそうなタイトルかとも思いましたが、まぁ良いでしょう(笑)
2023年の最後のブログ記事、どうしてお子様を褒めて育てる必要があるのかについて書いていきます。
私自身はブログを書くにあたりあまり感情的な部分で理由を述べるのではなく、理論的にお伝えしたいという立場です。
私自身も褒められたら嬉しいから、お子様も褒められたら嬉しいし、だから「嬉しいから褒めるんだよ。幸せになれるでしょ?」といったように「嬉しいから」という感情的な部分を推して説明はいたしません。
では以下、見ていきましょう。
正の強化によって行動を強めると行動が拡張するからー夫婦関係を例に
BT(行動療法)やABA(応用行動分析)、CBT(認知行動療法)など学習理論、行動理論ベースの支援では「正の強化」によって行動を強めていくことが大切にされます。
あなたが誰かを支援しているときのことを考えてみてください。
「支援」というと堅いので「変わって欲しいと思って関わっている人」と言い換えましょうか。
例えば子育て以外の別の視点から考えてみましょう。
夫に対して「こうなって欲しいな」ということで考えてみます。
もしあなたが旦那様に変わって欲しいとき、どういったことが理想的な変化となるでしょう?
例えばあなたは旦那様が家に帰ってきてから服を脱ぎ散らかしたり、全く部屋の掃除をしない、使った食器を洗わない、ということに不満を抱えていたとします。
妥協点としては「ねぇ、ちょっと片付けてよ」と声をかけたとき、聞いてくれて片付けてくれるということでしょうか?
旦那様は奥様が声かけをすると腰を上げ、片付けをはじめます。
しかし奥様は、
「私から言ったときはやるけど、なんで自分から進んで片付けをしないんだろう?いつも言っているのに・・・」と、
言ったらやってくれることには感謝もしつつ、心の底では納得できない状態が続いていました。
このとき、旦那様の立場に立ってみましょう。
旦那様は奥様に言われて「わかったよ」と言うものの内心では「従っとかんと、あいつ不機嫌になるしな。面倒臭いけど」と思っているかもしれません。
その場合「不機嫌になることを避けるために片付けをしている」というところが本音です。
「ねぇ、ちょっと片付けてよ」と声をかけたとき、聞いてくれて片付けてくれるのが妥協点だとして、ベストな状態とはどういう状態でしょうか?
それは、
以前は奥様が声かけをすることで片付けをはじめていたが、今では自発的に片付けをするようになり「旦那様もそれに満足感を覚えている」
という状態ではないでしょうか?
奥様にとっては旦那様が自発的に掃除をはじめることが重要かもしれませんが、
私は「 」内の「旦那様もそれに満足感を覚えている」という旦那様側の満足感が伴うことも同じくらい大切だと考えています。
さて、旦那様が「満足感」を覚えるためにはどういったギミックが必要でしょう?
例えばあり得ない話だと思いますが、
お片づけをすると「お小遣いが1回につき1万円もらえる」とか「趣味のアイテムが買ってもらえる」など、そういったことが片付けに伴えば旦那様は満足感を持って自発的に片付けを行なってくれるかもしれません。
しかし上の話は理想的でもありませんね?
経済的に、ということもあると思いますが「ものがもらえるから片付けをやる」ということについて、奥様も気持ちの中でどこか違和感を覚えるかもしれません。
ここで伝えたかったのは「片付けをやった」あとに、何か旦那様にとって価値のある結果が伴えば、旦那様は満足感を持って自発的に片付けを行なってくれるかもしれないということです。
あとは奥様が抱える「ものがもらえるから片付けをやる」という気持ちの中の違和感が拭いきれれば、
この例の「変わって欲しいと思って関わっている人」への関わりとしてはベストな状態と言えると思います。
もしかすると旦那様は奥様の「ありがとう」という言葉、という結果だけで価値を感じ、満足感を持って自発的に片付けを行なってくれるかもしれません。
もしお金や物理的なアイテムではなく、奥様との関わりの中で満足感を持ち自発的に片付けを行なってくれるようになれば、理想的ではないでしょうか?
そのようになったとき奥様も「うちの旦那は本当によく片付けをやってくれていて助かる」と、周囲の人にも伝えるようになっているかもしれません。
「ありがとう」という言葉だけで、本当に満足して旦那が自発的に片付けをやってくれるようになるの?
と思われるかもしれません
ここは夫婦の関係性によるところはあると思います。
例えば旦那様が「俺は外で働いてきているから、それはお前の仕事や」などと思っていたら、もしかすると奥様が「ありがとう」と伝えても「で、俺は片付けをやったから君はなにをしてくれるの?」などと考えてしまうかもしれません。
旦那様は奥様に「料理をもう少し、上手くなって欲しい」と感じていたとしましょう。
例えばそうであれば、奥様も料理のレパートリーを広げて旦那様が「ありがとう」と感じる関わりを普段からやっておく、
お互いがお互いのニーズに応え合う形で感謝を持ちながら関わっている。
このような土台があったとき、「感謝」というのは相手にとって価値のあるものになりやすい、と個人的には思っています。
また言い方も大切です。
機械的に、義務的に「ありがとう」というのではなく「本当、助かった。いつも感謝してる、ありがとう」と、まぁここまでオーバーでなくとも良いと思いますが、笑顔で、ちゃんと相手の目を見て言うくらいはした方が良いでしょう。
さてここまで夫婦の関わりを例に「変わって欲しいと思って関わっている人」、堅く言えば「支援」なのですが、書いてきました。
ここまでのエピソードの要所をまとめていく中でここからは療育の話も交え、本項タイトル「正の強化によって行動を強めると行動が拡張するから」について解説をしていきます。
正の強化によって行動を強めると行動が拡張するからーどうして?
ここまでのご夫婦のエピソードの要所は以下です。
(1) 言われてやるでは「面倒ごと」を避けるために行動している可能性がある
(2) 可能であれば自発的に行動して欲しい
(3) 自発的に行動をしてくれたとき、本人も満足感を持って行動してくれるとベスト
(4) お金やアイテムと言ったものではないもので満足感を持って欲しい
(5) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには普段の関係性が大切
(6) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには言い方も大切
という6点です。
以下、6点の要所についてそれぞれ解説をしていきましょう。
(1) 言われてやるでは「面倒ごと」を避けるために行動している可能性がある
何かを避ける形で行動を引き起こすとき、それは「負の強化で行動している」と考えます。
例えば「怒られるから」とか「嫌われるから」とか、ABAの実験で言うと「電気ショックが流れるから(電気ショックを避けるため)、ジャンプしてその場を犬が離れる」といったとき、
その行動は「負の強化」によって強められ、引き起こされています。
このような行動動機を持っていたとき、どういう形で行動しているでしょうか?
行動動機は「悪いことが起こる(ことが予測される)ので、行動する」ということです。
言い方を変えれば悪いことが起こらなければ行動しない
と言い換えられるでしょう。
もしかすると習慣化して行動が起こりやすくなることもあるかもしれませんが、行動の動機が「悪いことを避ける」であった場合、どうしても行動が拡がっていきにくいです。
行動が拡がっていきにくいというのは2つの意味があります。
その2つの意味とは、
・ 自発的に行いにくい(引き起こして欲しい行動の頻度が伸びにくい)
・ 似た行動が引き起こされにくい(帰ってきて服を脱ぎ散らかさず片付けるようになったものの、部屋の掃除や食器洗いには拡がらない)
という2つの意味です。
それは望ましい結果ではないでしょう。
(2) 可能であれば自発的に行動して欲しい
ABA自閉症療育でも同じで「怒られるから」とか「何かペナルティがあるから(言われた行動をしないとゲームの時間がなくなるなど)」、といったことが行動動機で療育参加をお子様がしているとすれば、
確かにお子様は療育には付き合ってくれていますが、行動の拡がりへの期待は減少してしまいます。
抵抗感や癇癪の強いお子様もいますので、もしかすると例えば「お勉強しよう」と声をかけたとき、付き合ってお勉強してくれるということは妥協点かもしれません。
ただベストではありませんね。
ベストはお子様が自発的に周囲に広がっている刺激に興味を持ってくれるようになり、自発的に環境と関わり合い、いろいろなことを自立して学習して行ってくれることでしょう。
イメージとしては療育は1つのきっかけであり、例えば「模倣」を練習し強化したとき、
「模倣する」という行動自体にお子様が興味を持ち積極的に取り組み、園のお子様を自発的に観察し出し、いろいろなスキルを学んでいくようになる、
といったイメージです。
このように可能であれば、社会的に適切な行動を自発的に行うことが増えて欲しいと思います。
(3) 自発的に行動をしてくれたとき、本人も満足感を持って行動してくれるとベスト
「自発的に行動をしてくれたとき、本人も満足感を持って行動してくれるとベスト」、
というよりは、
自発的に行動をして欲しい = そのためには本人が満足感を持つ必要がある
という言い方が、支援側の立場としては正しいでしょう。
本人が自発的に取り組んで行動をしているとき、それは満足感が伴っていることが多いです。
もちろん本人も満足感を持つ方が幸せでしょうから、そういった側面もあります。
また支援者側(親御様や例で出した奥様)も大切な人(お子様や旦那様)には自分との関わりで「幸せだな」と思ってもらいたいものです。
(4) お金やアイテムと言ったものではないもので満足感を持って欲しい
支援者側は大切な人には自分との関わりで「幸せだな」と思ってもらいたいものですが、
関わりを通して支援者側も幸せとまでは言いませんが、納得感は欲しいでしょう。
「お金やアイテム」を相手方の行動に伴わせて行動を増加させ、相手は満足している、という状態ではあまり支援者側は納得感が得られないかもしれません。
「お金やアイテム」という資源を伴わせることがなぜ納得感を生まないのでしょうか?
私なりの理由ですが2点あります。
1点目:「お金やアイテム」は資源であり、限界があるから
「お金やアイテム」を伴わせるといっても、行動を増やそうと思えば片付けをした旦那様に「5円」を渡しても行動を増やすことは難しいでしょうし、
お勉強に付き合ってくれたお子様に「1秒Youtubeを見せる」では魅力が薄くて行動を増やすときに難しい場合もあるでしょう。
お子様に「1秒Youtubeを見せる」は私は療育中に狙ってやることがありますが、それは少し稀なケースです。
例えば勉強中何度も「5分間Youtubeを見せる」ということを行えばお子様は充分Youtubeを楽しんでくれて、お勉強してくれるかもしれませんが、お子様の時間、そしてあなたの時間という資源が削られてしまいます。
1時間集中して勉強に取り組んでくれれば1時間という時間の資源ですが、同じ内容を3時間かけて取り組んだとき、2時間、家事ができたり仕事ができたり、あなたの余暇だって大切な時間ですから、時間は資源です。
またあまり間延びしてしまうとお子様の「集中力」という問題もあるかもしれませんし、目の健康も心配になるかもしれません。
旦那様に「5円を渡しても行動を増やすことは難しいなら1000円ではどうだ?」、
もし「部屋着を脱いで片付ける」、「部屋の掃除をする(1日1回)」、「食器を洗う(一緒に食べた朝夕)」、1日4000円です。
もちろん経済状況は家庭によって違いますが「お金を渡すことをやめてしまった途端に減ってしまう可能性のある行動」に月12万円(4000円×1日3回×30日)かけるくらいなら、
私だったら自分で相手の部屋着を片付けて、掃除は月に何度かプロに頼み、高めの食洗機を購入すると思います
2点目:使用して欲しいスキルは他の場面では「お金やアイテム」が伴わないことが多い = 自然ではないから
使用して欲しいスキルは他の場面では「お金やアイテム」が伴わないことが多い、自然ではないことが多いというところも、
「お金やアイテム」という資源を伴わせることがなぜ納得感を生まない理由になると個人的には考えているポイントです。
旦那様の片付けについては「自然ではないこと」というと少し難しいでしょう。
例えば旅先の旅館には奥様も同行するでしょうから、旅先でも脱いだ服をクローゼットに入れたら1000円渡せば成立するのであれば関わり(支援)を継続することもできるし、
旦那様だけで出張に行ったときは奥様は目にしないので脱いだ服をどう扱っていてもあまり気にならないかもしれません。
お子様の療育についてはどうでしょうか?
特に社会的なスキルを教えているとき「お金やアイテム」を伴わせることで行動を強めていた場合、「般化」に悩むことになるかもしれません。
Shira Richman (2001) は般化について、
般化とは直接教えていない様々な場面や状況、人に応じて適切な行動を示すこと。また、教えられた型どおりではない応答を示すこと
と述べています。
社会的なスキルをあなたがお子様に教えるのは、お子様がその社会的なスキルを自分以外の人に、社会活動の中で使って欲しい場面が多いでしょう。
例えば何かをもらったり、してもらったとき「ありがとう」というスキル。
あなたがお子様に何かをあげたり渡したり、してあげたとき「ありがとう」と言って欲しいということもあるかもしれませんが、
お友達や先生に何かをもらったり、してもらったとき「ありがとう」と言えるようになることを目指して療育をすることを目的とする方が多いと思います。
普段あなたが誰かに「ありがとう」と感謝を述べたとき、「相手が嬉しそうにしている」例えば笑顔になっているということで、「ありがとう」と言ったあなたも嬉しくなって、またあなたは相手に何かをあげたり渡したり、してあげようと思う。
これは、自然なことのように思いませんか?
普段の自分と相手の関係性があることを前提として、大切な関係性を持つ人が嬉しそうにしているということであなた自身の「ありがとう」と伝える行動が強められ、今後も「ありがとう」という行動が維持されて行くことが自然なのであれば、
「お金やアイテムが伴うから」という行動動機で「ありがとう」と言うことは不自然です。
「お金やアイテムが伴わない」場面では「ありがとう」と言う行動動機が持てないとなってしまっては、
お友達や先生との自然な関係性の中では普通は「お金やアイテムが伴わない」ので「ありがとう」が生起しない(しずらい)、と、ここまで理論立てて考えていなくともなんとなくそう感じることがあれば「違和感」が残り、
「お金やアイテム」という資源を伴わせることで納得感が生まれない原因となるでしょう。
本項「(4) お金やアイテムと言ったものではないもので満足感を持って欲しい」というタイトルですが、
このように支援者側から見てお金やアイテムと言ったもの以外で行動動機を持って欲しい理由があり、満足感を持ってもらうことが必要になるのです。
(5) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには普段の関係性が大切
相手に何か変わって欲しいと思ったとき、もちろん自発的に相手が目当ての行動を引き起こすことを待つことも戦略の1つです。
低頻度だったり、今まで一度も自発的に行ったことのない行動を自発的に行うことを待つ、それも良いでしょう。
ただ、特に今まで一度も自発的に行ったことのない行動を自発的に行うことを待つ場合などは時間がかかりますし、「いつまで待てば良いのか」という気持ちになるかもしれません。
上でも書きましたが時間も資源であり、有限です。
特にABA自閉症療育では療育の開始時期は早い方が良いというエビデンスもあり、
例えばHelen E .Flanagan・Adrienne Perry・Nancy L .Freeman (2012) は重回帰分析という統計手法を用い療育開始年齢の早さが良い結果の重要な予測因子である可能性があると述べています。
自発的に相手が目当ての行動を引き起こすことを待つこと以外の戦略とは?
ABAにはプロンプトという言葉があります。
プロンプトとは好ましい行動をより起こしやすくさせる刺激のことです(James E. Mazur , 2006)。
「刺激」というと小難しいので、これは例えば「目当ての行動を引き起こすための」、「関わり」とか「ヒント」とか「手助け」と読み替えてください。
プロンプトについてはブログ内でたくさん書いてきましたので、ブログ内の検索窓から検索してもらっていろいろ見てもらえると嬉しいのですが、
例えば「ありがとう」の場合、プロンプトの一例としては、お子様に直接的に「ありがとう、と、言って」でも良いです。
これは直接的に目当ての「ありがとう」を引き起こす関わりでしょう?
自発的に相手が目当ての行動を引き起こすことを待つこと以外の戦略とはこのように「プロンプト」を使って引き出すことが戦略の1つです。
さて、「プロンプト」を使われる側にあなたが立ったこともイメージしてみましょう。
例えば直接的に「ありがとう、と、言って」と、あなたが言われた。
このとき言われたあなたは違和感があるかもしれません。
そしてこの違和感はちょっと気持ち悪い寄り。
言わされるのは気持ち悪いしなんか変な気分になるけども、まぁ、相手が求めているからとりあえず言っておこうかなーーー「ありがとう」と、的な。
そう思って「ありがとう」と言う人は割といるんじゃないかなと思います。
しかし、通りすがりの人に例えば道を譲られ「ありがとう、と、言って」と言われたら?
上の状況と比較して「とりあえず言っておこうかな」と思う人の割合は減るんじゃないかなと思います。
通りすがりの人に対しては、相手から求められても同じプロンプトが機能しにくい、ということがあるでしょう(あと、単純に怖いしね)。
もっと別のシチュエーションでは?
例えばあなたの嫌いな人、特に相手も自分のことが嫌いで、自分も嫌いな場合。
嫌いな人から例えば道を譲られて「ありがとうは?」とか言われたら、多分、私なら「ありがとう」と言わないと思います。
あまりABAの参考書で目にしたことはありませんが「目当ての行動を引き起こすための」、「関わり」とか「ヒント」とか「手助け」と言われるプロンプトが有効に機能する1つのポイントとして、私は「普段の関係性」も大切だと感じています。
そしてプロンプトによって目当ての行動を引き起こしたあと、お子様が相手だったら褒める、先ほどの夫婦の例であれば「ありがとう」という感謝は定番ではありますが、
「褒める」や「感謝」が機能するためにも「普段の関係性」は大切でしょう。
上で出した3例、
・ 相手が求めているからとりあえず言っておこうかなという関係性の人
・ 通りすがりの他人
・ お互いが嫌いと思っている人
の3例を出しましたが、場合によっては「お互いが嫌いと思っている人」の場合、意外性もあって違うこともあるかもしれませんが、これらの3例よりも、
「信頼している自分の好きな人」や「尊敬している人」が褒めてくれたり感謝を述べてくれる方が、
褒められたり感謝を述べられた本人は満足感を得ると思いませんか?
本項は『「ありがとう」などの声掛けが機能するためには普段の関係性が大切』ということでしたが、
行動の前(行動を引き起こすプロンプト)も、行動のあとの関わり(褒めや感謝)も、うまく機能するためには「普段の関係性」が重要である、と考えます。
(6) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには言い方も大切
最後は『(6) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには言い方も大切』です。
ここまで「普段の関係性」が重要、「信頼している自分の好きな人」や「尊敬している人」が褒めてくれたり感謝を述べてくれる方が褒められたり感謝を述べられた本人は満足感を得るということを書いてきました。
別の角度から、「言い方」も重要です。
かなり上になってしまいましたが、夫婦の例を書いたところで、
機械的に、義務的に「ありがとう」というのではなく「本当、助かった。いつも感謝してる、ありがとう」と、まぁここまでオーバーでなくとも良いと思いますが、笑顔で、ちゃんと相手の目を見て言うくらいはした方が良い
と書きました。
例えばABA自閉症療育の本で、
「お子様が正しい行動をしたとき、褒めて強化しましょう」
などと書いてあることがあるかもしれません。
但し「褒める = 正の強化子」ではないことは注意しましょう。
強化とは、行動が増えた結果を確認したのちに「強化子だった」と判断できるものです。
ここは少し小難しい話となりますので、話題を戻しますが、「お子様が正しい行動をしたとき、褒めて強化しましょう」と活字を本で見て、お子様を褒めるため「すごいね」と言っていたとしても、ただ義務的に言えば良いというものではないことは覚えてください。
しっかりと強化として機能するように、普段の相手の様子から、相手がポジティブに受け取っているかどうかリアクションを観察しながら行いましょう。
「本当、助かった。いつも感謝してる、ありがとう」と、まぁここまでオーバーでなくとも良いと思いますが、笑顔で、ちゃんと相手の目を見て言うくらいはした方が良いというのはそのためです。
褒めや感謝も強化子として機能する言い方をしなければいけません。
「言い方も大切」ということは覚えておいて欲しいです。
ここまで、上の方で出したご夫婦のエピソードの要所から6点、
(1) 言われてやるでは「面倒ごと」を避けるために行動している可能性がある
(2) 可能であれば自発的に行動して欲しい
(3) 自発的に行動をしてくれたとき、本人も満足感を持って行動してくれるとベスト
(4) お金やアイテムと言ったものではないもので満足感を持って欲しい
(5) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには普段の関係性が大切
(6) 「ありがとう」などの声掛けが機能するためには言い方も大切
という6点を通して本ブログタイトル「どうして褒めてお子様を育てる必要があるのか?」ということについて書いてきました。
理由に加え、後半は「褒める」が機能するための普段の関係性や言い方のトピックもお伝えできたかと思います。
そしてこの「褒めてお子様を育てる」は「正の強化によって行動を強める」ことを実行する子育てでした。
最後に「正の強化によって行動を強める」こと以外で行動修正を行った場合のデメリットも少しお紹介し2023年最後の本ブログ記事を終了といたします。
罰によって行動を整えて行くことのデメリット
さてここまで「どうして褒めてお子様を育てる必要があるのか?」ということについて書いてきましたが「褒めて育てる」とは違った育て方とはどういった育て方でしょうか?
私がパッと頭に浮かぶのは「悪いことをしたときは叱って、行動を整えて行く」という方法です。
例えばABA自閉症療育では「悪いこと」は「問題行動」として捉え、解決を図ることがたびたびあります。
「問題行動」として捉えられる行動には、
(1)本人も周りも困っている
(2)本人は困っていないが、周りは困っている
(3)本人は困っているが、周りは困っていない
の3つがあると考えられますが、幼児期の場合(3)はほとんど出会ったことはありません。
例えば「お友達と遊びたいけれど引っ込み思案でお友達に声をかけられない」とか「お友達と仲良くしたいけれども怒りの感情が抑えられず怒鳴ってしまう」などは「(1)本人も周りも困っている」、
「大好きな電車に乗っているときに嬉しくで大きな声をあげる」とか「欲しいおもちゃがあるとき、お友達から奪い取る(本人は好きなおもちゃが即時的に手に入るため関係性は気にしていない)」などは「(2)本人は困っていないが、周りは困っている」、
に分類されるでしょう。
さて、このような問題行動が出現したときに叱咤し、問題行動を辞めさせることを行ったとき、実は副次的なデメリットがある可能性があることを知っているでしょうか?
過去に「(ABA自閉症療育の基礎29)オペラント条件付け−罰の副次的効果(https://en-tomo.com/2020/08/23/punishment-secondary-effect/)」でもご紹介をしたのですが、
本ブログページでも簡単にご紹介させてください。
本ブログページ冒頭、私自身はブログを書くにあたりあまり感情的な部分で理由を述べるのではなく、理論的にお伝えしたいという立場ですと書きました。
そして私自身も褒められたら嬉しいから、お子様も褒められたら嬉しいし、だから「嬉しいから褒めるんだよ。幸せになれるでしょ?」といったように「嬉しいから」という感情的な部分を推して説明はいたしませんとも書きました。
ここまで「どうして褒めてお子様を育てる必要があるのか?」について「褒めてお子様を育てる」は「正の強化によって行動を強める」ことを実行する子育てと書いて来ました。
これはお子様の適切な行動に対して「正の強化子」を伴わせて行動を整えていく方法です。
「悪いことをしたときは叱って、行動を整えて行く」という方法はABAでは「罰コントロール」と呼ばれます。
お子様の行動に対して「罰」を伴わせて行動を整えていく方法を「罰コントロール」と呼ぶのですが、「罰コントロール」にはどういったデメリットがあるでしょうか?
以下、箇条書きで示します。
1 :攻撃行動や情動反応を引き起こすことがある
2 :罰の使用者の負の強化を強める
3 :罰を使用された側の回避行動を強化する
4 :慣れることやもっと悪くなることがある
5 :罰の来ない状況でさらに悪くなる可能性がある
6 :全ての行動の全般的な抑制を導くことがある
7 :罰を受けた本人が罰を使用する可能性がある
8 :罰の使用者や場所以外では効果が期待できない可能性がある
9 :親以外が使いにくい
10:適切な何かを学ぶわけではない
11:罰を使用することで親御様に対しての回避行動が強まり、困ったとき(例えばいじめられたとき等)、親御様へ報告する行動が弱まる可能性がある
上のURLページに詳しく書いてありますので割愛をいたしますが、ざっくりと上の11個をまとめて解説します
また「11:罰を使用することで親御様に対しての回避行動が強まり、困ったとき(例えばいじめられたとき等)、親御様へ報告する行動が弱まる可能性がある」については、
上のURLページでは書かれていませんが、私が個人的に思っている罰を使用したときに生じる副次的な効果のデメリットです。
上の内容をまとめると、
問題行動に対して罰を使用するとお子様からの反発が生じる可能性があるだけでなく、だんだんと罰に対しての耐性が培われていき、罰を使っても効果が得られなくなって行く可能性がある
耐性がつくとより激しい罰を与える必要があり、親以外の関わる大人は職業上そのような罰は使用できない
また行動全体に抑制がかかり、抑うつのような症状を示すこともある
そして罰を与える人や状況が無い場所では同じ問題行動が続く可能性があり、それだけではなくバレないで行う行動へと精鋭化して行く可能性もある
行動が抑制されるだけで新しく何か適切な行動を学ぶわけでも無いので生産性も少ない
罰を使用した親側も罰を使用すれば瞬間的に問題行動が沈静化することを経験することから、どんどんと罰の使用が促進される(負の強化を受ける)という悪循環に陥りやすい
親がたびたび罰を使用した場合、お子様からすれば罰(叱咤)を回避するために何か自信がピンチになったとき相談しにくいというリスクヘッジが取れない関係性が形成される可能性がある
といったところでしょうか?
罰を使用すれば瞬間的に問題行動が沈静化することはとても魅力的ではありますが、そこに伴う副次的なデメリットが大きいです。
そのために個人的には「悪いことをしたときは叱って、行動を整えて行く」という「罰コントロール」を推奨いたしません。
もしすでに「強く起こらなければ言うことを聞かない」というような関係性に陥ってしまっていた場合は、個人的には長期的に怒らなくても良い状態(怒ることを少なくする)をどうすればよいかを検討すべきだと思います。
但し1点、お子様自信や周りの人へ危険があるときは一瞬で動きを止めることも必要です。
例えば「お子様が誰かに石をぶつけようとしている」などの場合は大きな声で叱咤し、その行動を一瞬にして沈静化することも必要になってくると思います。
このようにケースバイケースではあるのですが、ここでお示しをした理由より、「罰コントロール」は推奨いたしません。
さいごに
本ブログは「2023年も終わり!どうして褒めてお子様を育てる必要があるの?ーABAから理由解説」というタイトルで、今年最後のページ何を書こうかなーと考えた末、
ABA自閉症療育の基本「褒めて育てる」をもう一度、再考しようということを想い書いて来ました。
私自身もう良い大人ですがやはり褒められると嬉しいです。
と、本ブログページで私自身はブログを書くにあたりあまり感情的な部分で理由を述べるのではなく、客観的に、そして理論的にお伝えしたいという立場ですと書きましたが、
個人的に感じる感情の部分を示せば「嬉しい」気持ちになります。
さて、でも、本ブログで書いて来たように「嬉しいから」とか「嫌だから」という枠組みではなく、
もちろんそれも大切なことは分かっていますが、そういった視点ではなくもっと客観的な(感情を主観的なものだとすれば)立場から「褒めて育てる」について考えて来ました。
いやー、1年が過ぎるのが年々早くなって来たなと感じます。
2023年、皆様はどんな1年だったでしょうか?
私は今帰省中の新幹線の中です。
ゆったりと年末年始を過ごす予定となっております!
ではみなさま、また来年!!
来年もどうぞよろしくお願いいたします!!!
【参考文献】
・ Helen E .Flanagan・Adrienne Perry・Nancy L .Freeman (2012) Effectiveness of large-scale community-based Intensive Behavioral Intervention: A waitlist comparison study exploring outcomes and predictors. Research in Autism Spectrum Disorders 6 p673–682
・ James E. Mazur (2006) LEARNING AND BEHAVIOR:6Th ed. 【邦訳 磯 博行・坂上貴之・川合伸幸 訳 (2008) メイザーの学習と行動 日本語版 第3版 二瓶社】
・ Shira Richman (2001)Raising aChild with Autism A Guide to Applied Behavior Analysis for Parents 【邦訳: 井上 雅彦・奥田 健次(2009/改訂版2015) 自閉症スペクトラムへのABA入門 親と教師のためのガイド 株式会社シナノ パブリッシング プレス】