ヒトがコントロール可能なオペラント行動とコントロール不可能なレスポンデント行動を分けて考える(ABA自閉症療育での行動の見方18)

本ブログはABA自閉症療育をテーマにしているため、ほとんどの場合「オペラント条件付け」についての行動について書いてきています。

理由はABA自閉症療育で扱う行動や介入方法ほとんどがオペラント条件付けによるものだからです。


ただNiklas Törneke (2009)行動分析学のための2つの基本原理は、オペラント条件付けとレスポンデント条件付けであると述べたように、

もう一つ、レスポンデント条件付けの学習原理についても忘れてはいけません。

オペラント条件付けとレスポンデント条件付けは学習の仕方の原理も違うため、少し別の知識として学ぶ必要があります。


オペラント条件付け、レスポンデント条件付けの学習の仕方の原理については過去のブログを検索窓からご覧いただいたとして、

本ブログページでは「自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考える」ことをテーマにオペラント条件付け、レスポンデント条件付けから考えて行きましょう。

※ 「オペラント条件付け」「レスポンデント条件付け」と検索すると学習原理のページも出てきます


自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動


自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動

本ブログページでは自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えるについて考えて行きます。

まず、


自身でコントロール可能な行動 = オペラント行動(オペラント条件付けで学習可能)

自身でコントロール不可能な行動 = レスポンデント行動(レスポンデント条件付けで学習可能)


という分け方ができます。


また別の分け方をすれば、


自発的な行動 = オペラント行動(オペラント条件付けで学習可能)

誘発的な行動 = レスポンデント行動(レスポンデント条件付けで学習可能)


という分け方も可能です。


Enせんせい

「自発的」、「誘発的」とはどういった意味でしょうか?


いくつか例を出します。


自発的

手を振る、上を見る、「こんにちわ」と言う、握手する、「これをください」と要求する、逃げる、「やめて」と拒絶する、薔薇の良い香りを嗅ぎに行く、背中が痒いのでかく、

など、自分自身で「行う/行わない」を選択できる行動です。

自分自身で「行う/行わない」を選択できる行動のため、最初の区分けの「自身でコントロール可能な行動」と分類されます。


誘発的

電気が流れ関節がビクッと動いた、虫が飛んできて目の近くに当たり瞬きした、蓋を開けると異臭がしたので息を止めた、CMで懐かしい音楽が聞こえてきて子どもの頃を思い出した、以前嫌なことが起こった状況に近いことが起こり不安になった、占い師に良くない未来を言われ「大丈夫か?」という思考が巡り出した、

など、自分自身で「行う/行わない」が選択できない行動です。

自分自身で「行う/行わない」が選択できない行動のため、最初の区分けの「自身でコントロール不可能な行動」と分類されます。


以上の内容を見て少し不思議に思ったかもしれません。


思う人

「瞬き」や「息を止める」は行動だと思うけども、「思い出す」「不安になる」「思考が巡る」は行動なの?


と思う人もいるでしょう。

でもこれらの行動は普段生活をしているとき一般的には行動と呼ばれないこともあると思いますが、ABAでは行動として捉えます。


ABAの「行動」は少し一般的な認識と違うかも

Jonas Ramnerö & Niklas Törneke (2008) 徹底的行動主義では行動とは「有機体(生活体)が行うすべてのこと」を意味する。つまり、

簡単に観察できる誰かの行為(たとえば、腕を上げる、誰かに話しかけるなど)だけではなく、

自分の内部で起こっていることも(たとえば、考えたり、感じたり、思い出したりするなども)、

行動として取れると述べています。


Jonas Ramnerö 他 (2008) の述べた「徹底的行動主義」はアメリカの学者B.F. Skinnerが構築した科学哲学ですが本ブログのテーマ応用行動分析学(ABA)は徹底的行動主義から発展してきました。


例えば山本 淳一 (2021) は応用行動分析学は行動の科学であり、したがって、徹底的行動主義は応用行動分析学の哲学である。

徹底的行動主義は、実験的行動分析学と応用行動分析学を生み出し、それぞれは独立に体系化されてきたと述べています。


そしてB.F.Skinnerは行動は顕在的行動(overt behavior:2人以上の人によって観察できる行動)潜在的行動(covert behavior:皮膚の内側で生じている行動)の2つに分けられると述べ、両方とも研究すべきだと考えたようです(参考 William・O’ Donohue  & Kyle E. Forguson ,2001)

「潜在的行動」、つまり周りから見て観察ができない皮膚の中で生じる事象も行動とABAでは捉えるということになります。


ABAでは顕在的行動(目に見える行動)と潜在的行動(目に見えない行動)という行動の区分けがあるだけでなく、

2つの行動基本原理(オペラントとレスポンデント)があり、オペラントとレスポンデントはそれぞれ違った特徴を持つ行動です。


Enせんせい

本ブログページのテーマは自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えるということでした

テーマに戻りましょう


ここまで書いてきたように、


自身でコントロール可能な行動 = オペラント行動(オペラント条件付けで学習可能)

自身でコントロール不可能な行動 = レスポンデント行動(レスポンデント条件付けで学習可能)


となります。


この「コントロール可能/コントロール不可能」はとても大切な区分けですので覚えておきましょう。


オペラント行動を自身でコントロール可能な行動である、レスポンデント行動を自身でコントロール不可能な行動であると捉えることでどういった行動の見方が可能になるか、本ブログページで見て行きます。



1つの事象をオペラント行動とレスポンデント行動に分けて考える

Enせんせい

他章のブログページでも何度かこのテーマは扱ったことがありますが、私個人としてはとても大切だと感じているテーマの1つです


本項目タイトルである、

1つの事象をオペラント行動とレスポンデント行動に分けて考える

ということができれば、ある種の問題を取り扱うとき、問題が取り扱いやすくなります。


大切です!

例えばある種の問題とは例えば「怒り」「不安」「恐怖」「抑うつ」などです。

お子様の療育場面では「怒りのコントロール」や「興奮」、「緊張」、「不安」、「恐怖」、「抑うつ」、「逃避・回避行動」などを扱う際、有用な考え方だと思います。

情動や感情を伴う問題を扱うとき、大切なテーマでしょう。


オペラント行動とレスポンデント行動が絡み合う、以下のエピソードをご覧ください。

Niklas Törneke (2009)を引用し、以下文章、( )内は私の入れた注釈です。


たとえば、私の息子が別の都市に住んでいて、私が彼と電話をするのが好きだったとしよう。

そのような場合、私はときどき彼に電話をかけるだろう(オペラント行動:自分でコントロールできる行動)

もし、彼に電話で捕まえるのが火曜の夜なら比較的簡単だとわかったら、火曜の夜だと気づいたときには、私は彼に電話をかけるだろう(オペラント行動:自分でコントロールできる行動)


ーーー中略ーーー


私が電話で息子を呼び出したとき、彼が出るのを待っている間、いつも同じメロディーが流れているとしよう

待つ間、このメロディーを聞く状況に私が何回か遭遇した後で、ある日、同じメロディーがラジオから流れてきたとしよう

そのとき、私は何かの情動反応(息子と会話するときにわき上がってくる)が、意識に上がってくるかもしれない(これは、コントロール不可なのでレスポンデント行動)

これは、どのようにして起こってくるのだろうか

答えはレスポンデント学習によって生じたのである(レスポンデント行動)


Enせんせい

このあと、どういったことが起こるでしょうか?


親御さんはレスポンデント行動(誘発された自分ではコントロールできない行動)によって自動的にわき上がってきた情動反応によって、

ラジオを聞いたことによって息子に電話をするというオペラント行動(自発する自分でコントロールできる行動)を行う可能性が高いでしょう。

レスポンデント行動によって誘発された情動がオペラント行動の生起確立を高めるのですが、このことは非常に大切なことです。


レスポンデントとオペラントはそれぞれ絡み合って影響し合います。

相互に影響を与え合うのです。

上のオレンジ色のところはNiklas Törneke (2009)のエピソードは日常の中にあるオペラント行動とレスポンデント行動が絡み合う1場面でした。


Enせんせい

さて、これがお子様の臨床場面だとどういったエピソードが考えられるでしょう?


例えば私に「先生、うちの子、テストで悪い点数をとったとき、隠すんです。なくしたとか言って隠すんですが、嘘をつくことが気になります」と言ったご相談があったとしましょう。

しかしもしかするとそうなった背景には以下のようなエピソードが考えられるかもしれません。

以下のエピソードは架空のものでお子様目線で書いたエピソードです。


以前テストで悪い点を取ったことをお母さんに報告をしたことがある(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:報告)

お母さんが激怒し、私はそのことがすごくショックだった(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:ショックが生じる)


ーー月日が経ちーー


またテストがあって、結果は最悪だった。

そのとき、またお母さんに怒られるかもしれないという考えと恐怖が湧き上がってきた(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:考えと恐怖の賦活)

家に帰ると、私はテストの答案を本棚の下に隠した(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:隠す)

そのとき、母さんの足音が階段を駆けてくる音がして、私の部屋に近づいてくることがわかり、どきどきと緊張が高まっていった(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:緊張の高まり)

ドアが開いてお母さんが「今日、テスト返ってきた?」と聞いてきた

私はとっさに「いや、まだ返ってきてないよ」と嘘をついた(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:嘘をつく)


テストで悪い点数をとったとき、隠す背景にはこのようなことがあったのかもしれません。

一人称の「私」はお子様です。


お母様が訴えた気になること「テストで悪い点数をとったとき隠す、嘘をつく」も、そのエピソードを細かく見ていけばいろいろな行動が相互作用し、生じた1つのエピソードであることに気がつくでしょう。

アセスメントによってこのようなことを明らかにして行くことで質の高いサポートが可能になると思います。


他のエピソードも見てみましょう。


以前、私は毎日一緒に帰っていた別のクラスのお友達から「今日は一緒に帰らないでおこう。僕は今日、一人で帰るね」と伝えられ、とても寂しい気持ちになったことがある(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:寂しさの賦活)

私はそのとき友達には笑顔で「うん!わかった」と伝えたんだ(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:了承を伝える)


ーー次の日ーー


今日、友達と一緒に帰るのかどうかわからなかったけど、下校時間が近づいてくるにつれて、なんだか憂鬱な気分になって行った(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:憂鬱さの賦活)

学校が終わるチャイムがなったとき、いつもはすぐ一緒に帰っている友達のクラスに歩いて行くのに、今日はなぜか最初トイレに向かった(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:トイレに向かう)

特にトイレがしたかったわけじゃないけど、どういうわけかトイレに10分ほどいた(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:トイレに滞在する)

トイレから出てお友達のクラスに向かったんだけど、友達はもう帰ったみたいだった(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:友達のクラスに行く)

そのとき「今日は一緒に帰らないでおこう。僕は今日、一人で帰るね」と伝えられることは今日はないんだなと少し安心感を持った(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:安心感の賦活)


ーー次の日ーー


今日も下校時間が近づいてくるにつれて憂鬱な気分になった(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:憂鬱さの賦活)

学校が終わるチャイムがなったとき、今日も最初、トイレに向かった(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:トイレに向かう)


このようなエピソードも考えられるでしょう。


「コントロール不可能なレスポンデント行動」と「コントロール可能なオペラント行動」を分けて考える、エピソードの中でそれは相互に交じり合う

このように例を見て行くと、実は1つのお話の中でもオペラント行動とレスポンデント行動が互いに絡み合い、行動が連鎖して行くのがわかります。

そしてよくみてみると、コントロール不可能なレスポンデント行動が、コントロール可能なオペラント行動を引き起こしているようにも見えるかもしれません。


上で出した例の中で例えば、


そのとき、またお母さんに怒られるかもしれないという考えと恐怖が湧き上がってきた(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:考えと恐怖の賦活)

家に帰ると、私はテストの答案を本棚の下に隠した(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:隠す)


↑↑↑は湧き上がってきた考えと恐怖によって(が原因で)テストを本棚の下に隠したように思えますし、


今日、友達と一緒に帰るのかどうかわからなかったけど、下校時間が近づいてくるにつれて、なんだか憂鬱な気分になって行った(レスポンデント行動:自分でコントロールできない行動:憂鬱さの賦活)

学校が終わるチャイムがなったとき、いつもはすぐ一緒に帰っている友達のクラスに歩いて行くのに、今日はなぜか最初トイレに向かったんだ(オペラント行動:自分でコントロールできる行動:トイレに向かう)


↑↑↑は不安感によって(が原因で)友達と直面するのを避けたようにも見えます。


でも、実は?

考えと恐怖、不安感は行動を引き起こす可能性こそ上げますが、コントロール不可能という状況に持って行くまでの強制力はありません。


例えば考えと恐怖があったとしても、怒られることを覚悟して答案をお母様に見せるということも実は選択できたのです。

同じように不安感があったとしてもチャイムがなってすぐに友達を迎えに行くこともできました。


ただ本人にインタビューすると、

「考えと恐怖があって、答案を見せることはどうしても無理だったよ」

や、

「今日も別で帰ろうって言われる不安があるから、すぐに教室に迎えに行くなんてできないよ」

と言うかもしれません。


「そんなことできないよ!」という感じ

上で書いたような本人へのインタビュー回答は、共感できるし、理解できます。

そしてこのような言い方は社会的にも受け入れられることが多いでしょう。


Enせんせい

では「コントロール可能」、「コントロール不可能」はどういったレベルの話なのか?


極端な話をします。


例えば「考えと恐怖があったとしても、怒られることを覚悟して答案をお母様に見せたらプレイステーション5を買ってあげる」ということがあれば、

本人は怒られる予測を持ちながらも、お母様にテストの答案を見せたかもしれません。


例えば「不安感があったとしてもチャイムがなってすぐに友達を迎えに行かなければ、バットで頭をぶつぞ」と脅されれば、

本人は断られるかもという予測を持ちながらも、お友達を迎えに行ったかもしれません。


このように本人にとって例えばこのような大きなモチベーションがあれば不安感などがあっても動くことはできるということも事実です。


しかし、そのとき「不安感を払拭できた(不安感がなくなった)」から、動けているかというとそうでないことも知っておきましょう。

「テストを見せることへの考えと恐怖を感じてはいけない」、「お友達が断ることの不安感を感じてはいけない」、

感じなければプレイステーション5を買ってあげる、感じたらバットでぶつと言われたとしても、感じてしまうはずです。


このとき、大切なことはオペラント行動(テストを見せる、友達を迎えに行く)は実は負荷はかかるものの本質的にはコントロールすることができて、実行可能なのです。

しかし不安を感じるなどのレスポンデント行動についてはやはりコントロールできなくて、「不安を感じないようにする」は実行できません。

この違いが「コントロール可能」、「コントロール不可能」というレベル区分け基準です。


「コントロール不可能な行動」はコントロールできないんだな、と捉えて介入方略を立てる

例えばJoann C. Dahl・Jennifer C. Plumb・Ian Stewart・Tobias Lundgren (2009) は「緊張しているから学校に行けない」といった表現を考えて欲しいと述べ、

正確な言葉の表現方法は「私は緊張していて、学校に行けないことを選択した」であると述べています。

このときJoann C. Dahl他 (2009) が述べているように緊張はコントロールできないものの、学校に行く/行かないは実は選択できる、コントロールできる行動なのです。


ではこのように行動を見ることで、ABA自閉症療育でどのように活かすことが可能か?

次項でそのことについて書いて行きます。



「コントロール可能」、「コントロール不可能」な行動知識をABA自閉症療育に活かす

Enせんせい

「コントロール可能」、「コントロール不可能」な行動知識をABA自閉症療育に活かすことを考えて行きましょう


いくつかご紹介します。


1つ目は、無理な介入計画を相手に伝えるリスクがなくなることです。


ここまでみてきて、もしあなたが介入を計画するとき、

「考えないようにしましょう」、「不安に思わなくても大丈夫です」、「感じないよう努力してください」という類のアドバイスはしない方が良い、ということがわかると思います。

なぜなら、それは無理だからです。


親から言われた子や、専門家から言われた人は、親や専門家からそのように言われると「それはやればできることなんだ」と思い、頑張って実行してくれるかもしれません。

でも、それは上手く行かないのです。

私たちヒトはそのようにできています。


Enせんせい

「やればできること」と思っていることができなければ、どう思うでしょうか?


本当は「ヒトはそのようにできていない」が答えなのに、「自分が上手くできていないから達成できていない」と、できない原因を自分自身に帰属させるかもしれません。


「やっぱり上手くできなかった」、「ダメだった」という低い自己評価を招くことはできるだけ避けたいですね。

これまでの知識を知っていると「考えないようにしましょう」、「不安に思わなくても大丈夫です」、「感じないよう努力してください」という類のアドバイスをしなくなるでしょう。

これは自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えることのメリットの1つとなります。


2つ目は扱える行動問題の幅が広がるです。


ここまで見てきた内容から、行動を教えるとき、教えるべきはコントロール可能なオペラント行動になります。

そしてレスポンデント行動はその強度が強ければ強いほど、オペラント行動を誘発しやすくするものと捉えれば良いでしょう。


誘発される行動 = レスポンデント行動

なのですが、レスポンデント行動の強度がオペラント行動を誘発しやすくするはややこしいですね。


例えばテストを隠したお子様のエピソードを思い出してください。

お母様が激怒してお子様を怒鳴りつけ、持っているニンテンドースイッチを破壊するかもしれない、というレベルの恐怖よりも、

お母様が激怒して大きな声で怒鳴りつけてくるかもしれない

の方が恐怖の強度は低いですね?

この場合、恐怖の強度が高ければ高いほど、お子様がテストを隠すという行動を引き起こしやすくなるのです。


行動を教えるとき、教えるべきはコントロール可能なオペラント行動ですが、あまりにもレスポンデント行動の強度が強すぎると、すごく心的負荷がかかり、適応的なオペラント行動も出現しにくくなる、ということも覚えておいてください。


例えばお友達に関わることに強い緊張感を覚えているお子様がいたとしましょう。

このとき、お友達と関わる場面で生じる強い緊張感はレスポンデント行動です。

あまりに強い緊張感があると「あいさつ」のような適応的なオペラント行動を行うことも抑制されてしまいます。

例えば高すぎる緊張感は筋肉を硬直させ、発声に使用する器官をも固めることでしょう。


このようなときのアプローチの方法は?

強い緊張感の中でもできそうな簡単なことから始め、徐々に緊張感に慣れて行くことです。

このような方法は「エクスポージャー(Exposure):曝露法(ばくろほう)/曝露療法(ばくろりょうほう)」と呼ばれます。


坂上 貴之・井上 雅彦 (2018)は恐怖という情動反応が条件づけ可能であれば、その逆で消去も可能である。

今日の恐怖症の治療には、恐怖をもたらす刺激に患者をさらすことで治療するエクスポージャー(曝露法:ともいう)が適応され効果を上げてきている。

一般的なエクスポージャーは、最初は患者にとって比較的弱い恐怖反応を引き起こす刺激を用い、それに繰り返しさらすことで馴化(※注釈:馴らすこと)を生じさせ、その後、徐々に強い刺激にさらしていくことで治療を進めて行くと述べています。


坂上 貴之他 (2018)エクスポージャーについて「恐怖」をテーマに述べていますが、エクスポージャーの適用範囲は恐怖だけではありません。

例えば飯倉 康郎 (2005) は「エクスポージャー」は不適応的な不安反応を引き起こす刺激に持続的に直面することにより、その不安反応を軽減させる支援方法と述べています。


「恐怖」や「不安」だけでなくエクスポージャーは「怒り」や「緊張感」や「嫌悪感」などについて、本人の受け入れられるレベルに下がるよう、それらを引き起こす刺激に曝露(さらされる)ことを計画的に行っていく支援方法だと私は考えているのですが、

引き起こす刺激に曝露されているとき、曝されながら、並行して行える何かしらの回避的でないオペラント行動を行うことが上手くやるポイントでしょう。

適応的なオペラント行動が出現しにくくなっていることに対応するため、エクスポージャーを使い、適応的なオペラント行動が出現しやすくなる土俵を作るのです。


土俵を作ってステップアップ!

ここで言う「回避的でない」というのは、例えば頭の中で、


・ 「母さんが言ってるから嫌だけどお友達の輪の中にいる」などと思い、状況から目を背ける

・ 「怖い!早く終われ!時間来い」などと考え、状況から目を背ける


など、目に見えない行動を行わないことも含みます。


例えばこれらを防ぐためには、エクスポージャーすることが本人にとって価値あることだと感じ、モチベーションを持ち取り組めるよう介入計画を立てることが大切です。

ここは難しいポイントではありますが、重要な点となります。


Enせんせい

本ブログページ上の方で、本ブログページの内容について、

お子様の療育場面では「怒りのコントロール」や「興奮」、「緊張」、「不安」、「恐怖」、「抑うつ」、「逃避・回避行動」などを扱う際、有用な考え方だと思いますと書きました


このような問題を取り扱う際はやはり自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えることが重要でしょう。

これらは少し別な戦略を組み入れて対応すべきものとなります。

本ブログページのテーマですね。


そのようなことを織り込んだとき、介入方略は、

強い緊張感の中でもできそうな簡単なことから始め、徐々に緊張感に慣れて行く、そのとき、本人も行動問題を解決することに価値を持ち、モチベーションがある状態で取り組む

これが基本線になると思います。


この基本線をもとに介入計画を立てて行くためには自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えることが重要です。

このようなことを知識として知ることでABA自閉症療育で「できないことを教える」以外の、「やろうと思ったらできるけど、やらない」という問題も扱え、行動問題の幅が広がることが可能となるでしょう。



さいごに

ABA自閉症療育の行動の見方にて、自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えることについて本ブログページでは書いてきました。

私自身は大切なテーマだと感じている1つのテーマです。


Enせんせい

自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考えることから、

例えば私自身は「怒りが湧いてきたとき」や「不安になったとき」、「悲しくなったとき」、

あぁ、私はそのことにで、今そのように感じる(思う)のだなぁと基本的には受容するようになっています


「考えてはいけない」、「感じてはいけない」と思わないわけです。

これは私自身の精神健康衛生上、良いことだとも思っています。


そしてこれは別に問題に無抵抗というわけではないということも大切でしょう。

対策が必要であれば、そう感じた(思った)上で、どうするか、というように考えます。


取り組んでも仕方のないところには取り組まない、と言ったところでしょうか。

基本線としては、少し辛さはあるものの頭の中で逃げずに感じ続けると(なかなかできないときもあるし、一時的に逃げてしまうこともあるが)順化が生じて行く(エクスポージャーがかかる)のです。


「恐怖を克服する」という言葉がありますね?

「不安を乗り越える」とか「緊張に打ち勝つ」とか、こういった日常用語もあります。

これらの用語があるため「恐怖」、「不安」、「緊張」コントロールできるものであると考えることは普通かもしれません。


しかし本ブログページで書いている内容のように、例えばヒトは自分自身の力で空が飛べないように、レスポンデント行動によって誘発されることをコントロールすることはできない、

という前提に立って介入計画を計画してみることはいかがでしょうか?

そう考えないときと比較して、かなり介入計画が具体的で立てやすくなると思います。


Enせんせい

「恐怖を克服する」、「不安を乗り越える」、「緊張に打ち勝つ」とはそれらを感じないようにするのではなく、

「恐怖」、「不安」、「緊張」を感じながら動けるように頑張る、という表現が正しいでしょう


頭の中や身体で感じる、レスポンデント行動のコントロールは本当に難しいのです。

例えばSteven C. Hayes・Kirk D. Strosahl・Kelly G. Wilson (2012) は著書の中でセラピスト、クライアントの以下のやりとりを紹介しています。


以下かいつまんで必要な内容だけご紹介します(以下、セラピスト=Th、クライアント=Cl)


Th:私が今から言うあるものを決して思い浮かべないでください。何かはすぐに言いますから、私がそれを口にしたら1秒たりともそれを思い浮かべないでくださいね。「チョコレートケーキ」

Th:ダメですよ!オーブンから取り出したばかりのその香り・・・、温かくてしっとりとした一切れがほろりとし崩れて・・・お皿にこぼれ落ちます・・・

Th:思い浮かべないでくださいね!

Th:さて、思い浮かべずにいられましたか?

Cl:はい

Th:どのようにしましたか?

Cl:他のものを思い浮かべるようにしただけです

Th:けっこうです。それでは「うまくできている」とどのようにしてわかったのですか?

Cl:どういう意味ですか?

Th:課題は「チョコレートケーキを思い浮かべないこと」でした。そこで何を思い浮かべたのですか?

Cl:レーシングカーを操縦する場面です

Th:すばらしい。それで、レーシングカーを思い浮かべれば課題をうまく達成できると、どうしてわかったのですか?

Cl:そうですね。「いいぞ、レーシングカーを思い浮かべている・・・」と自分自身い話していました

Th:はい。続けてください。レーシングカーを思い浮かべることによって、思い浮かべずにいるのは・・・

Cl:チョコレートケーキ

Th:そのとおり。ですので、うまくいっているようなときでさえ、やっぱりうまくいっていないんです

Cl:まさにそうです。素早く押しのけたので、ほとんど思い浮かべなかったものの、一瞬、ケーキを思い浮かべてしまいました


以上のエピソードは、頭の中や身体で感じることのコントロールが難しいことを示した一例だと思います。

頭の中で「考えてはいけない」と思っているとき、コントロールは難しいのです。


ABA自閉症療育で行動を見るとき、このようなオペラント行動とレスポンデント行動について知っておくことは大切でしょう。

以上、「自身でコントロール可能な行動とコントロール不可能な行動を分けて考える」でした。



【参考文献】

・ 飯倉 康郎 (2005) 強迫性障害の行動療法 金剛出版

・ Joann C. Dahl・Jennifer C. Plumb・Ian Stewart・Tobias Lundgren (2009) The Art and Science of Valuing in Psychotherapy: Helping Clients Discover, Explore, and Commit to Valued Action Using Acceptance and Commitment Therapy 【邦訳: 熊野 宏昭・大月 友・土井 理美・嶋 大樹 (2020) ACTにおける価値とは クライアントの価値に基づく行動を支援するためのセラピストガイド 星和書店】

・ Jonas Ramnerö & Niklas Törneke (2008)The ABCs of HUMAN BEHAVIOR:BEHAVIORAL PRINCIPLES FOR THE PRACTICING CLINICIAN 【邦訳: 松見純子 (2009)臨床行動分析のABC 日本評論社】

・ Niklas Törneke (2009) Learning RFT An Introduction to Relational Frame Theory and Its Clinical Application 【邦訳 監修:山本 淳一 監訳:武藤 崇・熊野 宏昭 (2013) 関係フレーム理論(RFT)をまなぶ 言語行動理論・ACT入門 星和書店

・ 坂上 貴之・井上 雅彦 (2018) 行動分析学 行動の科学的理解を目指して 有斐閣アルマ

・ Steven C. Hayes・Kirk D. Strosahl・Kelly G. Wilson (2012) Acceptance and Commitment Therapy The Process and Practice of Mindful Change 【邦訳: 武藤 崇・三田村 仰・大月 友 (2014) アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版ーマインドフルな変化のためのプロセスと実践ー 星和書店】

・ 山本 淳一 (2021)徹底的行動主義と応用行動分析学――ヒューマンサービスの科学・技術の共通プラットホーム―― 行動分析学研究 Vol. 35, No. 2, 128–143

・ William・O’ Donohue  & Kyle E. Forguson (2001) The Psychology of B.F.Skinner 【邦訳: 佐久間 徹 (2005) スキナーの心理学 応用行動分析(ABA)の誕生,二瓶社】