
ABA:応用行動分析コラム63は「人生のその時間はもう戻ってこないからその瞬間の彩りを五感を使い感じよう」というタイトルで書いていきます
みなさまは「人生のその時間はもう戻ってこない」との自覚を持って毎日を過ごしていますでしょうか?
私自身はこの自覚を持って生きることが大切なことだと思うことがありました。
「人生のその時間はもう戻ってこない」と感じ、その瞬間を大切にするとき、私は「他者からの評価」や「社会的な評価」ではない「自分の好き」、大切にしたいと考えている時間に自分の人生の中で向き合える時間だなと、そのように思います。
もちろん「誰かに評価されたな」と感じた瞬間も嬉しいです。
そのような時間を軽視したり、「そのような時間は自分の好きではない」と考えている、ということではありません。
言葉で表現するのが少し難しいです。
「誰かに評価されたな」と嬉しさを感じるとき、五感を使ってないとも思いません。
ただ、特に「今、この瞬間を自分は大切にしたい」と思い、それが「他者からの評価」や「社会的な評価」ではない「自分の好き」と思える時間と向き合うときに私は五感を使い、「人生のその時間はもう戻ってこない」との自覚を持って向き合いたいなと考えました。
そう言った時間はとても貴重で、人生にとって有用な時間です。
ただ、そんな大切な「自分の好き」と思える時間を雑に過ごしてしまうこともあるでしょう。
例えば、
(1)忙しい毎日の中、先のことを考え続け、あまりその瞬間に注目できない
または、
(2)何か頭の中にそのとき思い浮かんだ考えがその瞬間の多くを支配しその瞬間に注目できない
上の2つについて私は思い当たる節があります。

35歳前から始めたこのブログも年月が経ち私ももうアラフォーです
アラフォーになった最近にこのことを再認識することがありました。
気がついたこの大切なことを今回ブログの記事として書きたいと思います。
「最近、気がついたこの大切なこと」とは、上で書いた(1)と(2)に人生が占有され、「その瞬間に注目できない」中で時間が過ぎて行くだけで人生を過ごすことがとてももったいないなと感じたということです。
特に私は今回「(2)何か頭の中にそのとき思い浮かんだ考えがその瞬間の多くを支配しその瞬間に注目できない」ということを自覚し気がつきました。
本ブログは「ABA自閉症療育ブログ」ですので「ABA(応用行動分析学)」という、心理学の1つを扱うブログです。
今回のテーマはABA療育の中で療育ではあまり扱うことは少ないと思うのですが「マインドフルネス」を考える上で大切なことかなと思います。
「ABA療育の中で療育ではあまり扱うことは少ないと思う」とは書きましたがマインドフルネスはお子様の成長にダイレクトに・・・、というよりは、お子様を育てている親御様のメンタルヘルスに良い影響を与えてくれる、そういった分野だと考えているところです(Singh NN・Lancioni GE・Karazsia BT・Myers RE・Hwang YS・Anālayo B,2019・Nirbhay N. Singh・Giulio E. Lancioni・Oleg N. Medvedev・Rachel E. Myers・Jeffrey Chan・Carrie L. McPherson・Monica M. Jackman・Eunjin Kim,2018参考)。
※マインドフルネスとメンタルヘルスの参考ページは「親のストレス対処:MBPBS(ABA自閉症療育のエビデンス23)(https://en-tomo.com/2020/06/19/mbpbs/)」
熊野 宏昭 (2020) はマインドフルネスの本で『「心ここにあらずの状態」になってしまうと、うまくいかない(いろいろなストレスを抱え込んでしまうことになる)』と述べました。
「心ここにあらずの状態」はストレスを抱え込んでしまうだけでなく大切にしたい幸せな瞬間の色味も削いでしまい、人生を楽しむためにもったいないなと私は感じています。
※マインドフルネスは近年注目されている心理学の1つで、心理療法へも活用されています
さて、以下より私なりの考え方を書いていきましょう。
本ブログはコラム記事なので個人的な気づきを書きますが、これが自閉症等のお子様を育てている親御様の参考となれば幸いです。
今その瞬間に充分注目する
私は以前から観光地に行ったときや花火が上がったとき等、写真や動画を撮りながらスマホカメラのレンズ越しにその景色や瞬間を撮影し続ける行為は少しもったいないと思っていました。
私はせっかくその景色や瞬間を感じられる場所や状況にいるのであれば生身で体験したい、そう思っていたからです。
私自身写真も撮りますし、ほんの数秒であれば動画を撮ることもあります。
しかし可能な限り肉眼(眼鏡はつけている)でその景色や瞬間を見て味わいたいなと思っているので、取る写真の枚数は人と比べて少ないと思いますし、長尺で動画を撮るということはほとんどありません。
写真は撮るのが一瞬です。
一瞬なので、写真を撮っても充分に肉眼でその景色や瞬間を味わう時間が充分にあると思います。
しかし動画は一瞬ではないでしょう?
もしかするとその瞬間は動画を撮とうとする前から始まり、撮り終わったときにはその瞬間が終わってしまっているかもしれません。
あなたは動画を撮ってスマホカメラのレンズ越しにはそれを見たけれども、肉眼ではその瞬間を見ることはなかった、というのは私からするととてももったいないです。
ですので私自身は肉眼でその瞬間を感じたいから、何かの瞬間に対してあまり動画は撮影しないとこれまで考え生きてきて、その考えは今も変わっていません。
風が肌に当たる感じやその瞬間の香りや音も含めて体験として肉眼を通して映像を感じる。
スマホカメラのレンズ越しでも見ていることに変わりはないじゃないか?、と思われるかもしれませんが、
スマホのカメラで良い写真や動画を撮ることに意識が向いてしまえば、視覚的な情報が生でなくカメラのレンズを通してになってしまうだけではなく、触覚や嗅覚・聴覚に対して注意が行きづらく鈍ってしまうと思います。
また綺麗に・正しく動画を撮ることに意識が入ってしまいそれが最優先になってしまうと多くの注意が「撮影」へと向いてしまうでしょう。


もちろん人によるのだとは思いますがそれを私はもったいないように思います
さてそのように昔から考えてきた私ですから、特に例えば上で例にあげた「花火」、ほかには「ライブ」等の時間が限定されていて一瞬一瞬が違う顔を見せる活動については特にスマホカメラのレンズ越しで見ることはやめ、しっかりと体験することを意識してきました。
これはその瞬間の彩りをしっかりと感じよう、とする行為だと思います。
上で書いた、
(1)忙しい毎日の中、先のことを考え続け、あまりその瞬間に注目できない
または、
(2)何か頭の中にそのとき思い浮かんだ考えがその瞬間の多くを支配しその瞬間に注目できない
私も上の2つについて思い当たる節があると書きました。
その時間が人生の時間を占有することはもったいないと感じています。
最近、そのことを痛感する出来事があったのですが一体、どういった体験でそのように気がついたのかについて書いて行きましょう。
何か頭の中にそのとき思い浮かんだ考えがその瞬間の多くを支配しその瞬間に充分注目できない
私にとって大切な人と話している時間がありました。
そしてそれは私の家の部屋の中でした。
そのあと、一緒に外出をすることが決まっていました。
だいたい何時ごろには家を出ようとは決めていて、時間も良い時間になったので「そろそろ行こか」と合意もあった中で2人は立ち上がります。
外出をするタイミングで2人とも立ち上がったのですが、そのタイミングでも別の話題が始まりました。
私たちはいろいろな話をしていたので、特に立ち上がったタイミングで別の話題が始まることに違和感はありません。
そして別の話題が始まったその話題は、大切な話題でした。
ただ「今から外出をする」という状況であったことから私は、
相手が一生懸命に伝えようとしてくれている中、「エアコンは消したかな」とか「鍵は持ったかな」とか、そういった気持ちに頭が占有されてしまいました。
特に急いでいたわけではないので本当はそのときエアコンや鍵のことは一旦置いておいて、相手が伝えようとしてくれている「その瞬間」にしっかりと注目すれば良かった。
私は後悔し、そして、反省しました。
相手が伝えようとしてくれている「その瞬間」を充分に五感を使い感じることができなかった。
他者が自分に真剣に接してきてくれているとき、これは私はとても贅沢な時間だと思います。
でもそんな贅沢な時間を私は充分に味わおうとしなかった・・・。
これが、
(2)何か頭の中にそのとき思い浮かんだ考えがその瞬間の多くを支配しその瞬間に注目できない
ことが勿体無いと感じた瞬間でした。
このとき、私は『ひとまず大切ではないことは一旦置いておき、相手と向きある「その瞬間」にしっかりと注目する』ことを、私はこれから生きて行く中で行っていこう、行っていきたいと思いました。
少し説明が難しいところかなと思うのですが、大切な人と一緒という状況だったのでもしかすると「他者からの評価」や「社会的な評価」つまり、「大切な人からの評価」を気にして私が後悔した、反省した、と思われたかもしれません。
ただ、そういうことではありませんでした。
相手をがっかりさせてしまった、というところではなく「私自身が相手が伝えようとしてくれているその瞬間を真剣に向き合い、しっかりと自分自身が味わうことができなかった」このことをもったいないと思った、ということです。

相手のことではない、というと少し自己中心的に聞こえるかもしれませんが、確かに自己中心的な考え方かも
それは認めます
人と関わる時間、充分に注目することが大切
今回は、自分にとって大切だと思う時間をそのように充分に注目することをせずに過ごしてしまったため、ハッと気がついたのですが、
よくよく思い直せば、人生の時間であまり大切ではない時間、特に人と関わる中での時間の中で大切でない時間はあまりないのかなとも思いました。
例えば私は自分が悲しくなる瞬間、いくつかあるのですが、人から軽んじて扱われたなと感じたとき、悲しさを感じます。
上のエピソードの私は充分に注目してその時間と向き合えなかった、ということがあったのですが、それはおそらく「私の頭の中」だけで生じたことであり、態度には出てなかったと思います。
だからおそらく上のエピソードで出した大切な人はそのときの私の態度で嫌な気持ちにはなっていなかったでしょう。
しかしこれが度を越してくると態度にも現れ、相手から見たとき「雑に扱われた」と見え、「人から軽んじて扱われた」と感じ嫌な気持ちになるかもしれません。
今回、私自身が経験したエピソードから学び、今後私自身が人と関わる中での時間に対して充分に注目し関わろうとする態度はおそらく、相手からは「雑に扱われた」という印象は受けにくいでしょう。
そうすると、相手との関係も良好になる可能性が上がり、自分自身の人生をより豊かにすることにつながるんじゃないかなと今、思っています。

さいごに
現在2025年。
季節は冬、12月。
私は歩くことで条件がクリアできる、ある程度メジャーな携帯アプリゲームを今やっているのですが、その日は特に寒く午前中、小雨が降っていました。
その日はゲームのイベントで1万歩あるく必要があり、私は一気に1万歩あるくのはしんどいので、午前中、お昼、夜と3回に分けて歩数を累積1万歩に積み上げようと考えていました。
私は結構インドアでこうしてブログを書いたりして仕事がない日は過ごしているのですが、その日は上のような理由があり、午前中に一度外へ出ました。
小雨の中歩いているとなんと、途中から足首がちょっと痛い・・・。
でも、歩き続けると、少しずつ足の痛みは穏やかになっていき、最終的には治りました。
途中から足首は徐々に熱を持ち出し、身体全体も、だんだんと暖かくなってきました。
普段歩いているときは充分に注目をしていなかったので知ることがなかった、今回、たまたま足首に痛みがあったため自身の身体感覚に充分注目し、時系列を追って、その変化を体感した体験です。
その日は私はこの体験が妙に楽しかったのですが、実は、意識を何かに充分注目するだけで普段やっていることからも新しい楽しさや発見があるのだなと思った1日でした。
本ブログ冒頭「アラフォーになった最近」と書きましたが最近、長く生きていることのメリットも感じるようになってきました。
私は過去に住んでいた場所や行ったことのある場所、昔よく会っていた人と会うと、そのときの楽しかった思い出が蘇ってきます。
この体験はとてもポジティブな温かな気持ちになる体験です。
これは、これまで生きてきた軌跡の中から生じます。
私の証であり、大切な想い出、たくさんたくさん続いてきた何気ない日常の中にあった幸せを思い出させてくれる、ありがたい体験です。
『ひとまず大切ではないことは一旦置いておき、相手と向きある「その瞬間」にしっかりと注目する』こと、
少し自分自身がそのとき意識的に何か大切な瞬間に注目することが大切だなと気がつけてよかった2025年でした。
【参考文献】
・ 熊野 宏昭 (2020) 実践!マインドフルネスDVD 体験に気づき、反応を止め、パターンから抜け出す理論と実践 株式会社サンガ
・ Nirbhay N. Singh・Giulio E. Lancioni・Oleg N. Medvedev・Rachel E. Myers・Jeffrey Chan・Carrie L. McPherson・Monica M. Jackman・Eunjin Kim (2018)Comparative Effectiveness of Caregiver Training in Mindfulness-Based Positive Behavior Support (MBPBS) and Positive Behavior Support (PBS) in a Randomized Controlled Trial. Frontiers in Psychology 7
・ Singh NN・Lancioni GE・Karazsia BT・Myers RE・Hwang YS・Anālayo B (2019) Effects of Mindfulness-Based Positive Behavior Support (MBPBS) Training Are Equally Beneficial for Mothers and Their Children With Autism Spectrum Disorder or With Intellectual Disabilities. Front Psychol. 2019; 10: 385. Published online 2019 Mar 6. doi: 10.3389/fpsyg.2019.00385
