こういう方向性で人生を進められたらと思うことーコンフリクトの理論から(ABA:応用行動分析コラム58)


Enせんせい

さて、「有限なもの」と聞いたら何を思い浮かべますか?


有限とはGoo辞書(閲覧日 2024.8.23)によれば、

有限の対義語は「無限」です。


私の母は私が子どものころ何かものが欲しくて買って欲しいと言ったとき、

「そんな、お金も無限じゃないんやで」

と言っていました。


確かにお金は無限ではないかもしれませんが、個人的には「有限である」と固く信じるほどに強いものではないように思っています。

なぜなら、お金は増やせるからです。


「お金は増やせる」という事実があるため、「有限である」と思っているのですが、私は「時間」と「健康」は有限だと思っています。

「時間」と「健康」が有限な理由は、増やしたりすることができなかったり、元に戻したりすることができないからです。


さて今日は私が有限と考えている「時間」と「健康」のうち、「時間」に焦点を当てて、

この有限な「時間」をどのように使って行く方向性で私自身が人生を進めていきたいか書いていきます。


その前に最初、時間は有限だけど、自分の身体は1つだけということについて書かせてください。



時間は有限だけど、自分の身体は1つだけ

上で書いたように時間は有限です。

しかし身体は1つだけしかありません。


例えば私はABAが好きでABAを勉強しているのですが、ABAの本を読みながら例えば好きなポケモンのゲームをする、ということはできません。


またもう少し長期のスパンで見たとき、例えば私は心理カウンセラーの仕事をしていますが、心理カウンセラーの仕事で週の例えば5日間をフルに費やしていた場合、

ITのエンジニアの仕事に興味があったとしても、同じようにITのエンジニアの仕事にも週の5日間フルに費やすように生活をする、

ということは1週間が7日しかない、時間は有限であるという理由から叶わないと思います。


そうするとこれは実は、

と言えるでしょう。


私たちの1日は24時間しか無いから、私たちは自分で選択できた他に行える活動の選択肢を捨てている

私たちが自分の身体が2つあって、2つの身体を自分の意思でコントロールできる、そういった生き物だったら違ったかもしれません。

この場合は心理カウンセラーの仕事で週の例えば5日間をフルに費やして、ITのエンジニアの仕事も週の5日間フルに費やすこともできる可能性があるでしょう。


でもこの考え方はイタチごっこにもなりそうで、

仮に身体が2つあって「心理カウンセラー」と「ITエンジニア」の仕事に時間を費やせたとき、きっと私は「料理好きやしコックさんもやりたいな。身体が2つじゃなくて3つあったら良いのに」と感じ、

身体を3つ、4つ、と欲しがり、何個あったら充分というものでもなく、常に足りないと訴え、無限に渇望が終わらないかもしれません。


そう考えると「私たちが自分の身体が2つあって」という空想は、仮にそれが実現したとしても、時間の有効活用に対して満足した答えをくれそうにありません。

時間は身体が2つあっても有限ということは変わらないのです。

次の項目では本ブログタイトルにもなっている「コンフリクト」について簡単にご紹介しましょう。



レヴィンのコンフリクト理論

社会心理学者のレヴィン(K. Lewin)は対象に接近したいという欲求(接近欲求)と、対象から逃れたいという欲求(回避欲求)の存在を仮定することで、この2種類の欲求の存在が引きおこすコンフリクトを考えました。


レヴィンはコンフリクトとして、

の3つのパターンを想定しました(和田 万紀,2005)

以下、これらのコンフリクトについて和田 万紀 (2005)を参考に見ていきましょう。


「接近=接近型」


例えば自分の希望するA社とB社からの就職内定に対して、いずれか1社に決定しなければいけない場合などが「接近=接近型」となります。

「好きなもの」と「好きなもの」どっちか1つしか選べず、どちらにしようか迷う場合はこのパターンです。


「回避=回避型」


例えば英語と数学の勉強をしなければならないが、両科目ともに苦手な科目であり、いずれの科目も勉強に手がつかないときなどは「回避=回避型」です。

両方に魅力を感じないものの、「英語と数学の勉強をしなければならない」ため、いずれか一方を選ばなければいけません。

「好ましくないもの」と「好ましくないもの」どっちか1つを選ぶ必要があり、どちらにしようか迷う場合はこのパターンです。


Enせんせい

「接近=回避型」


1つの対象の中に「好ましいもの」と「好ましくないもの」が存在する場合となります。

例えば親と意見が対立して自立を試みるものの、親に甘えて依存していたい気持ちもあるときなどで迷う場合はこのパターンです。


さて上でも書きましたが、今回のブログ記事では「接近=接近型」 「回避=回避型」を用いて書いて行きます。



接近ー接近の葛藤の中で選択して生きて行きたい


「負の強化行動」は、例えば「お母様の顔がこわばってきてこのままだと怒られそうだから、宿題をやる」といった行動です。

この「負の強化行動」での目的は、行動を行うことで行動の前の事象(この場合は「お母様の顔のこわばり」)が消失するという結果によって動機づけられます。

この場合、「お母様の顔のこわばり」が無ければ特に「宿題をやる」という行動は自発的には生じないこともポイントです。


「正の強化行動」では「負の強化行動」とは違い、前の事象をどうにかするではなく、結果を得ることを前の事象に関係なく行っていきます。

これは例えば、勉強をしていて楽しくなり、どんどん知識をつけたくて自発的に調べて行く場合などが該当するでしょう。

イメージできると思いますが、「正の強化行動」には「楽しさ」が多く伴うはずです。


「負の強化行動」である「回避=回避型」のコンフリクトでは魅力を感じない対象が同時に複数(以下では2つを想定)存在し、嫌々ながらどちらかを選択しなければいけません。

こういったタイミングも多く人生にはあるかもしれませんが、私は可能であれば、

魅力を感じ接近したいという対象が同時に複数(以下では2つを想定)存在する場合の「接近=接近型」のコンフリクト、「正の強化行動」によって人生を選択できる時間を増やしていきたいです。


どうすればそういった「接近=接近型」のコンフリクト、「正の強化行動」によって人生を選択できる可能性が上がるでしょうか?


Enせんせい

ABAをやっていて、これまでいろいろなチャンスを手にいれることができてきました。

これは、私がABAとちゃんと向き合ってきたからだと感じています。

そして巡ってきたチャンスは基本的に私がABAができるからこそ巡ってきたものでした。

そのため「ABA関連」のチャンスが巡ってくることになります。


私はABAが好きなのでABAを巻き込む形で巡ってくるチャンスは魅力を感じ接近したいという対象であることが多いです。

そのためそのようなタイミングで何かを選択する際は「接近=接近型」のコンフリクト、「正の強化行動」であることが多かったなと思っています。


まず自分の好きなことをしっかりと努力する中で磨いて行く。

昔大学のときゼミの先生が「牙を磨け」と比喩表現で「自分自身の臨床スキルを上げろ」ということをなん度もおっしゃっていらっしゃいましたが、私はあれから10年以上研ぎ続けました(笑)


これからも頑張って行く中で良いチャンスに巡り合いながら、自分自身の人生を楽しんでいければ良いな、と思っています。


頑張ってくぜ!


さいごに

今回、このブログに書いた内容、

今後人生を生きて行く中で、あれもしたい、これもしたい、そういった中で最後死ぬとき、

「えー、もう終わり?まだまだやりたいことあったのに」という状態で死ねれば良いな、と、

友達と話していたこともあり、コンフリクトも取り入れて今回、ブログのネタにしようと思った次第でした。


残念なことに私たちの寿命が存在する限り、時間は有限で無限にあるものではありません。

だから一生懸命頑張って行く中で、「接近=接近型」のコンフリクト、「正の強化行動」によって人生を選択できる可能性がこれからも上がっていけば良いなって思っています。

私自身は本当にそのように思っていて、これからもそういった人生が生きられれば嬉しいです。



【参考文献】

・ Goo辞書 (閲覧日 2024.8.23)https://x.gd/RO6nI

・ 和田 万紀 (2005)【中島 義明・繁桝 算男・箱田 裕司 (2005) 新・心理学の基礎知識 Psychology:Basic Facts and Concepts 有斐閣ブックス】