ABA:応用行動分析55は「毎日の固定化された生活パターンは幸せか、不幸せか?」というタイトルで書いていきます
みなさんは自分の生活パターンが固定化されているなと感じることはありますか?
「自分の生活パターンが固定化されているな」ということを私自身は感じることがありますし、もし同じように感じている人は、状況としては、
毎日だいたい同じことを繰り返しているな
といった状況かなと考えています。
また「毎日」でなくとも、
平日はだいたいこんな感じで土曜日はこんな感じ、日曜日はこんな感じ、たまの祝日もだいたい同じショッピングモールに行って買い物をして1日が終わる
こういった週間、月単位のブロックで見たときにだいたい同じという場合も、
「自分の生活パターンが固定化されているな」ということに該当するでしょう。
さて、これが良いことだとか悪いことだと判断をすることはいたしません。
というより、特に大人になるとある程度に日常が「固定化された生活パターン」になってしまうのは仕方のないことなのかもしれないとも思っていて、私自身はある意味「それは普通だ」という認識です。
今回はこのような生活パターンが固定化されていることについて「幸せ」と「不幸せ」についてABAの観点から考察してみたいと思います。
本ブログでは上のような「毎日だいたい同じことを繰り返す」状態を便宜上「固定化された生活パターン」と呼ばせてください。
では、以下見ていきましょう。
固定化された生活パターンは強制はされていない
「同じことを繰り返している状態」は誰かから強制的にそうさせられているわけではありませんね?
私たちは実は自発的(自分で選択して)に選択し、毎日そのように行動しているのです。
上の文章が間違っておらず、もし自発的に自分で選択して行動しているのだとすると、
ABAでこのことを捉えるとき、固定化された生活パターン行動は何かしらの強化子を得ている、と考えます。
強化子とは行動に伴う、行動を維持させたり増やしたりする結果のことです
固定化された生活パターンは強制はされておらず、私たちは実は自発的(自分で選択して)に選択し、毎日そのように行動していると言われると少し嫌な気分になる人もいるかもしれません。
例えば「つまらない」「彩がない」「刺激が少ない」という気持ちを持って普段生活をしている人は、
私見として固定化された生活パターンに陥っている可能性が高いものの、今の生活に満足をしていない部分もあるため、「自分で選んでそうしている」と言われると嫌悪的でしょう。
また逆に固定化された生活パターンは強制はされていないということに「そりゃそうだろう」と思う人もいると思います。
例えば「野球が上手くなるために毎日トレーニングしている」等の「好きなことを継続して行っている」ケースでは、そのことに時間を割くことを自ら望んで行っている感覚もあると思うので、
「自分で選んでそうしている」と言われても「そりゃそうだろう」と好意的に思うでしょう。
本ブログのタイトルは「毎日の固定化された生活パターンは幸せか、不幸せか?」です。
ABAでこのことを捉えるとき、固定化された生活パターンの行動は何かしらの強化子を得ていると考えるのですが、
前者は「不幸せ」、後者は「幸せ」と言えるかもしれません。
固定化された生活パターンの強化子とは?
さて、ABAでは固定化された生活パターンの行動は何かしらの強化子を得ていると考えるわけですが、
強化子には「正の強化子」と「負の強化子」の2種類が存在します。
坂上 貴之・井上 雅彦 (2018) は、
環境に何かを付け加えることによる環境の変化を「提示型」と呼び、これを「正の強化」
環境から何かを取り去ることによる環境の変化を「除去型」と呼び、これを「負の強化」
と呼びました。
上にて書いた、
例えば「つまらない」「彩がない」「刺激が少ない」という気持ちを持って普段生活をしている人は、今の生活に満足をしていないこともあるため、「自分で選んでそうしている」と言われると嫌悪的これは「負の強化」です
逆に固定化された生活パターンは強制はされていないということに「そりゃそうだろう」と思う人もいて例えば「好きなことを継続して行っている」ケースでは「自分で選んでそうしている」と言われても「そりゃそうだろう」と好意的これは「正の強化」です
坂上 貴之他 (2018) の述べている前者の嫌悪的な状況は「負の強化」にあたり、後者の好意的な状況は「正の強化」に当たります。
可能であれば好意的な「正の強化」で満たされた生活をしたいものです
私たちが自発的に行動するとき、ABAでは「強化子が伴う」、そしてその伴う強化子は「正の強化子」か「負の強化子」の2種類に分けられます。
「正の強化子」が伴って行動したときそれは「正の強化」と呼ばれ、「負の強化子」伴って行動したときそれは「負の強化」と呼ばれるのですが、
「正の強化は幸せ」、「負の強化は不幸せ」と、今私は書いているのです。
実際には全ての状況がそうであるかと言えばそのようなことは無いと思うのですが、大筋、これは大間違いであるとも言えないでしょう。
もっと一般的な言い方をすれば、
「正の強化」・・・自分で選択して好んで自発的に行っている行動
「負の強化」・・・環境より求められ、そのプレッシャーを解消するために自発的に行っている行動
と言っても良いです。
どちらも「自分が選択して自発的に行っている」はキーポイントでしょう。
自分で選択しているにも関わらず「幸せと不幸せ」に分かれることがあること、これは知っておくべき重要なことだと思います
自分の行動が今どっちの強化子によって生じていることが多いか、「今、なんか生活に満足感もなくてパッとしないんだよなぁー」という人の行動を変えるヒントになるかもしれません。
本ブログタイトルは「毎日の固定化された生活パターンは幸せか、不幸せか?」ですので、
ここから、幸せな状況は「正の強化」であり、不幸せな状況が「負の強化」に当たるということを筋として書いていきましょう。
正の強化、負の強化はオペラント条件付けという学習理論の専門用語です。
オペラント条件付けについての詳しい専門的な解説は別ページ(検索窓でこれらの用語を検索すると専門ページも出てくる)での解説をご覧になっていただくとして、
今回のコラム記事では日常的なエピソードからこれらについて書いていきます。
正の強化ー幸福な「固定化された生活パターン」
上でもご紹介しましたが坂上 貴之他 (2018) は、
環境に何かを付け加えることによる環境の変化を「提示型」と呼び、これを「正の強化」
と呼びました。
これは簡単に言えば、
行動をする前になかったことが、行動をしたのちに出現する
ことによって行動が生じている状態です。
例えば、
クッキーなし → 「クッキーちょうだい」とお母さんに言う(行動) → クッキーを手にいれる
こういったタイプの行動となります。
行動する前に無かったクッキーが、『「クッキーちょうだい」とお母さんに言う』行動をしたのちに手に入りました。
相手からの関わり無し → 自分から話しかける(行動) → 相手からの関わり有り
例えば気になっている人から関わりがないとき、その人が一人でいるとき、その人とコミュニケーションを取りたいなと思ったとき、「話しかける」行動をすると相手からの関わりが有り、コミュニケーションが始まりました。
上は一つの場面を切り取った例です。
実際には行動は連続しており、連続した行動が連鎖し、日常が作られています
ブログタイトルにある「固定化された生活パターン」は日常に変化が少ない状態だと思うのですが、
固定化された生活パターンであったとしても、行動をする前になかったことが、行動をしたのちに出現する正の強化によって生活できている場合はどうでしょう?
例えば毎週、休みの日の午前中はスーパーに買い物に行く人がいたとしましょう。
この人のお休みの日の午前中はスーパーに買い物に行くと言う点で生活パターンは固定化されています。
この人が休みの日にスーパーに行く理由が、新商品を発見することがものすごく好き、ということだったとしましょう。
この場合、
新商品(自分がまだ知らない商品)無し → スーパーに行く(行動) → 新商品(自分がまだ知らない商品)有り
と、正の強化行動に置き換えて考えることができると思います。
これは、楽しいでしょう。
もちろん毎回発見できるというわけではないかもしれないため「毎回毎回、大満足!」と言うわけではないでしょうが、概ね「楽しさ」を持って過ごしている「固定化された生活パターン」です。
例えば私自身はこうしてブログを書いて毎週アップしていますが、
もしこれが誰かに強制されてやっているとか、生活費を稼ぐためにノルマとして行っている、となれば楽しくないと思います。
私はブログを書くことでいくつか既にメリットを感じていて、例えば、
知識無し → ブログのネタに論文や本を読む(行動) → 知識有り
知らないことを知ることは私は楽しいです。
また、
アウトプット無し → 人に伝わりやすいことを意識してブログを書く(行動) → アウトプット有り
特にこの点が気に入っていて、例えばABAについて説明するときなど、ブログを始める前と比較して抜群に説明が上手くなったと感じています。
またブログも過去のものと比べるとイラストを描くことも上手になっていっていると自分では思っていて、イラストの上達も感じているところです。
これらは、ブログのアップ回数を重ねるごとに上手くなっているような実感もあって、
このような連続した「固定化された生活パターン」は私自身の心理学の練度を上げてくれているように感じており、
めちゃくちゃ良い修行だと思っています
上で「野球が上手くなるために毎日トレーニングしている」等の「好きなことを継続して行っている」ケースでは、そのことに時間を割くことを自ら望んで行っている感覚もあると思うと書きましたが、そのパターンであると言えるでしょう。
観覧されたことが分かる数字が上がっていくのも嬉しいです。
年々、観覧してくれる人の数、観覧数が伸びていくのがデータで目で見られることもモチベーションの一端をになっています。
このような生活様式は確かに「固定化された生活パターン」ではあるのですが、「自分の好き」が連続して形成されている「固定化された生活パターン」については私は幸せな「固定化された生活パターン」だと考えています。
負の強化ー不幸せな「固定化された生活パターン」
上でもご紹介しましたが坂上 貴之他 (2018) は、
環境から何かを取り去ることによる環境の変化を「除去型」と呼び、これを「負の強化」
と呼びました。
これは簡単に言えば、
行動をする前にあったことが、行動をしたのちに低減・消失する
ことによって行動が生じている状態です。
例えば、
頭痛有り → 薬を飲む(行動) → 頭いたがましになる、無くなる
こういったタイプの行動となります。
行動する前にあった頭痛が、「薬を飲む」行動をしたのち減ったり無くなったりしました。
期限までに終わらないと怒られる仕事有り → 仕事をする(行動) → 期限までに終わらないと怒られる仕事無し
例えば期限までに終わらないと怒られる仕事があって、怒られたくないと思ったとき、「仕事をする」行動をすると仕事が終わり、相手から怒られることが無くなりました。
上で私自身はこうしてブログを書いて毎週アップしていますが、
もしこれが誰かに強制されてやっているとか、生活費を稼ぐためにノルマとして行っている、となれば楽しくないと思いますと書きました。
これを負の強化、不幸せな「固定化された生活パターン」の例としてこれをもう少し具体的に見てみましょう
もし私が色々な仕事に就いてきたものの適性が合わず続かなかった、そして、借金もある
その中で月々の返済があって、ブログを始めたものの上手くいかず、たまたま心理学の分野でブログを書いたものの観覧数が良かったためお金も入ってきて、生活のために仕方なくブログを書いている
特に心理学もABAも好きではない
こういった背景で今私がブログを続けていたとします。
上では私はブログを書くことでいくつか既にメリットを感じていて、例えば、
知識無し → ブログのネタに論文や本を読む(行動) → 知識有り
知らないことを知ることは私は楽しいですと書きましたが、もし「生活のために仕方なくブログを書いている」となると、
「知らないことを知ることは楽しい」という内容も色を変え、苦痛な勉強を仕方なくしている、という「同じブログを書くことを継続する」状況であっても幸せだとは感じないかもしれません。
※「やっているうちにもしかすると楽しくなる可能性あるじゃんね?」というのもあるかもしれませんが一旦それは置いておいて
あなたが仕事をしていてその仕事が好きではない
仕事が好きではないのでなんとか有給をやりくりし、メンタルが削り切られる前に身体を労わって有給を自分のメンタルに照らし合わせる形で取得してきた
でも、もうあなたの有給は無くなってしまって、今年度中はもう休むと減給扱いになる
毎月の生活がカツカツで、メンタルが削り切られる前だけれど今日は仕事に行った
ブログ活動ではなくて、一般的な仕事というエピソードに置き換えて書き換えると上のような状況でしょうか?
これは誰かに強制をされているわけではないものの、上でも書いた、
「負の強化」・・・環境より求められ、そのプレッシャーを解消するために自発的に行っている行動
と言えそうじゃありませんか?
特に大人になるとある程度に日常が「固定化された生活パターン」になってしまうのは仕方のないことなのかもしれませんが、でもそのとき、
可能であればその「固定化された生活パターン」は「正の強化」によって維持されているものにしたいと思います。
人生は有限ですので、「負の強化」ばかりで形成された「固定化された生活パターン」ばかりで時間を使うのは勿体無いです。
このように「環境より求められ、そのプレッシャーを解消するために自発的に行っている行動」が連続して形成されている「固定化された生活パターン」については私は不幸せかもしれないと考えています。
今回「正の強化の固定化された生活パターン」と「負の強化の固定化された生活パターン」を分けて「固定化された生活パターン」について書きました。
しかし実際は人間が生きているときに「正の強化の固定化された生活パターン」だけで過ごすということはほとんど無いと思います。
というか、もしそれができて生きている人がいればその人はめちゃくちゃ幸せ者でしょう。
例えば大成功している野球選手の場合とか、起業して自分の好きな活動に没頭しているとか、そういう人が当てはまるでしょうか?
とは言え、そういった人でも嫌いな練習や嫌だけど仕方なくやっている生活管理とか、あまり興味はないけれども事業に必要な業務、などは「負の強化行動」を行っているタイミングかと思います。
でも多くの行動動機が「正の強化行動」で維持して「固定化された生活パターン」を生きられている人は、とても幸せな生き方だなと私自身は感じているところです。
さて上で、
実際は人間が生きているときに「正の強化の固定化された生活パターン」だけで過ごすということはほとんど無いと思います。
と書きましたが、
逆に、悲しいですが人間が生きているときに「負の強化の固定化された生活パターン」だけで過ごすということはあり得ると思います。
本ブログでは「毎日だいたい同じことを繰り返しているな」ということを「固定化された生活パターン」と称し、
ブログ内で特に大人になるとある程度に日常が「固定化された生活パターン」になってしまうのは仕方のないことなのかもしれないとも書きました。
そして「毎日だいたい同じことを繰り返している」場合もABAでそのことを考えればその行動は強制されたものでは無く自発的に行っており、
自発的に行っているのであれば「強化子が伴っている」と考えることをご紹介し、強化子が伴う行動は、
「正の強化」・・・自分で選択して好んで自発的に行っている行動
「負の強化」・・・環境より求められ、そのプレッシャーを解消するために自発的に行っている行動
の2種類の行動があるとご紹介してきました。
漠然と「なんか自分のやりたいことができていない」とか「今の生活に満足していない」とか、そういったことがある人、ABAからの観点「正の強化」と「負の強化」、少し意識してみるとちょっとしたヒントになるかもしれません。
自発的に私たちは日常、行動をしていますが、ちょっとした工夫、生活の中に少しずつ「正の強化行動」を入れることを意識してみるのはいかがでしょうか?
さいごに
本ブログの上で、
自発的に行動をしているんだけれども、ちょっとした工夫、生活の中に少しずつ「正の強化行動」を入れてみるのはいかがでしょうか?
と書きましたがめちゃくちゃ平たく言えば、
「好きなことをやる時間を増やすのはどう?」
って言い換えられると思います。
これって幸せになるって考えるときめちゃくちゃ普通な意見ですよね?
今回、めちゃくちゃ普通のことをABAの「正の強化」と「負の強化」って観点から書きました。
そして、
「環境より求められ、そのプレッシャーを解消するために自発的に行っている行動ばかりだと不幸せだ!」
も、みんなわかっていることで普通のことでしょう?
でも、ちゃんとそれを理論として考えて、じゃあどうすれば良いか?
例えばこうして何かを軸に考える。
今回はABAを軸にしました。
「ABAって学問で、そういう見方ができるのか?」と、ある程度真剣に考える時間を持ってさえなかなか答えが見つかりにくい問題、自分にとっての幸せの形。
私たちは「幸せ」に興味があり、大切だと思っているもののあまり考える時間は持ちません。
「そんなにヒマじゃない」と、しっかりと向き合うことはほとんど無いでしょう。
自分の人生について考えることは本当は大切なことだと思います。
少しの時間、自分自身の幸せの形をイメージしてみるのはいかがでしょう?
私は本ブログ内で自身がブログを書く行動によって、
・ 知識が増える
・ アウトプットが上手くなる
という正の強化子を得ることでブログを書くという行動が持続していると書いてきました。
最後に「上手くなる」の方向性は人によって違うことを知っておくのもポイントでしょう。
例えば「旅行」が好きな人は?
「旅行」も正の強化行動で維持していくと上手くなって行く行動です。
例えば、1回、2回、3回と旅行に行く中で、
・ 同じ日数の中で多くの観光地を回ることことができるようになった
と、
・ より地元に根ざしたお店を見つけることが上手くなって、より地域性の高い場所へ行くことができるようになった
は上手さの方向性が違うように思います。
他にも「めちゃくちゃ他の人よりも安く旅行できる方法」というのも魅力的かもしれません。
上で書いたいずれのことができる人でも旅行が上手い人と言えるでしょう。
私のようにブログを書いている人も、私とは違って「より多くの人と繋がること」とかが上手くなることが好きな人もいると思います。
野球選手だって「バッティング」「守備」「走塁」、人によって磨いている場所が違うかもしれません。
本ブログで書いてきた内容をめちゃくちゃ平たく言えば、
「好きなことをやる時間を増やすのはどう?」
ということなのですが、上のことも踏まえると、
何か興味のあることをやって行く中で社会的な価値や規範とは違った、自分自身の価値を発見し、それをモチベーションとして行動することを増やす
ということが「正の強化行動」、幸せなのだと思います。
今回のブログも書いていてとても楽しかったです!
私は幸せ者ということで(笑、自分で何を言っているのか)
ではまた!
【参考文献】
・ 坂上 貴之・井上 雅彦 (2018) 行動分析学 行動の科学的理解をめざして 有斐閣アルマ